5-5
「せ……せぇ……」
感謝でも文句でも言っておけばよかった。
最後に名前を呼ぶ相手が、先生しかいなかった。
「――戻れ、山姥」
「なにぃ!? お前、まさかっ……!」
聞きなれた声が聞こえ、老婆がバッと光差し込む方へ振り返った。それと同時に、老婆の体がみるみるうちに消えていく。
「げほっげほっ」
咳をしながら顔を上げれば、光に背を向けている人の姿。
「――なさけねぇ顔してんな、ポチ」
「ひっく、先生ぃ……遅いですよぅ」
泣きべそかきながら、聞きなれた声の主――先生の足にしがみついた。
しがみついて僕は気づく。先生の息が上がっていることに。
きっと急いでここに来てくれたのだろう。
「ぜんぜぇ……」
心細かった。怖かった。
山姥はいなくなった。それに加えて、もう大丈夫という気持ちが生まれ、安心のせいで涙がでる。
「きったねぇ! 鼻水つけんじゃねえよ!」
「うわああん。だっでぇ……」
先生の真っ黒なズボンに涙とも鼻水とも区別がつかないものがつく。
「はぁ……」
最初こそ僕を引きはがそうとした先生だったけど、諦めたらしい。
僕の上の方でため息をつく声が聞こえた。そして、僕の頭に何かが置かれたように温かさと重みを感じた。
「……悪かったな。あと、よくやった」
僕の髪の毛はぐちゃぐちゃにされた。
何というか、これは褒められた……なでられたのだろうか。
本当に僕は先生の犬みたいな扱いだけど、なでられるなんて何年振りだろうか。嬉しいのと安心したので、余計に涙が出てきた。
「てめぇ! また汚してんじゃねぇよ!」
「だっでぇ、だっでぇ! 怖かったんでずよぅ! 死ぬかと思ったぁ!」
その場に長くとどまっていたくはなかったが、先生は僕が落ち着くまでずっと頭を撫でまわしていた。
「聞こえていたと思うが、さっきのが山姥だ。長い間、この山を拠点にしていたらしい。俺も少し山の中を調べたが、いくつか住処にしている証拠を見つけた」
グスグスと顔を伏せていた中で、先生は何をしていたのか話してくれた。
「ここもその一つだ。暗くて見にくいが……おそらく人骨、だろうな。あれは」
暗いけど、さっきは慌てていたからよく周りを見ていなかった。
人骨が本当にあったのかと、振り返ろうとしたが、その動きは先生によって止められる。
先生の足にしがみついている僕の後頭部をそのまま押し付ける。
「見るんじゃねぇよ。あれは、見ない方がいい」
「……はい」
そう言う先生の声は、今までにないくらい、低くて真面目な声だった。
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すっかり僕が落ち着いてから、僕は警察に通報した。
先生が見つけた山姥の住処らしき場所を指し示したら、警察に詳しく話を聞かれた。
先生の言うとおり、そこにあったのは人の骨だったらしい。
見つかった数が、行方不明になっていた人の数と一致。詳しいDNA検査はまだだから、個人の特定はされていないが、おそらく行方不明者だろうということだ。
何年もかけて警察が捜していたのに、たかが一般人がどうして見つけられたのか。
犯人だからじゃないのか。そうじゃなければ、どうやって見つけることができたのか。
それと、何故山の中に立ち入ったのか。
ここは立ち入り禁止になっていることを知らなかったのか。
僕は警察に質問攻めにされた。
先生は警察が嫌いなのか、めんどくさいからなのか、「俺のことは言うなよ。じゃあ、後は任せた」って言って、警察が来る前にどこかへ行ってしまったから、おかげで全部僕が話さなければならない。
まさか妖怪探しが目的で来たなんて言えるわけないから、山登りしていて迷子になった時に見つけたと必死すぎる言い訳をするしかない。
それしか言わないものだから、警察も流石に呆れていたが。
あと、僕の首に残った跡を見て、警察は僕が自殺をしにここにやってきたのではないかと疑っていた。
最初は首の跡と言われてもわからなかったが、小さな鏡を貸して貰って確認すれば、締め付けられたことによる赤い跡が残っていた。
流石に自殺は否定したが、完全に白とはみなされずあとでまた話を聞かれることになった。時間も時間だし、今回はこれで充分です、と僕は日付が変わった頃に解放された。
ずっと山に縛られていたから、解放されて気持ちが晴れる。
警察に見送られながら、山を降りればそこに先生がぽつんと待っていた。
「おつー」
「本当ですよ、まさかこんなことに……」
「妖怪は人を襲うこともあるからな。実害が出ているのは珍しいが」
振り返って山を見上げれば、まだ警察が使うライトがちらほら光って見える。
「とりあえず帰るぞ、今日は」
「はい、そうですね……」
先生はタクシーを呼んでくれていた。
すぐにやってきたタクシーに乗り込み、ふうっと息を吐く。
扉が閉まれば、バックミラー越しに運転手と目が合った。
「おや、昼間にここへお連れした方じゃないですか」
「ああ、あの時のタクシーさんですね」
運転していたのは、昼間にこの山へ僕たちを連れてきてくれたあの運転手だった。
「どうでした? あの山は。あれ、警察がまたこの山へ……? 何かあったのですか?」
普段は人気のない山なのに、ぞろぞろと止まっているパトカーに不思議そうな声を上げる。
「その、行方不明になっていた方らしき人の骨が見つかって……」
「……! そ、そうなのですね……」
僕が軽く出来事を話せば、運転手はハッとした顔になり、ハンドルを抱きしめるかのように前のめりになる。
「あのー……? 運転手さん?」
「あっ、す、すみません! その、私の娘がもしかしたら見つかったのかも知れないと思うと……」
「あ、ああ……」
運転手の娘さんも、あの場所で行方不明になっていたのだろう。
悲しみに明け暮れ、何年もどこかでひっそりと生きていることを信じていたであろう家族。だけど、既に亡くなっていたら。
その思いは、僕には計り知れない。
「でも、これで家族がまた揃うかもしれない。見つけてくれたんですよね?」
「……ええ、そんなところ、ですね」
行方不明になったとき、亡くなっているとわかった今。二度目の悲しみをもたらしてしまって、本当に申し訳ない。
「ありがとうございました」
「え?」
「やっと娘に会えるんです。妻も私も、これで前に進めます。ありがとうございました……っ!」
僕はその言葉に何も返せなかった。
黙ってうつむく。
見つかってよかったのか。生きているという希望を消してしまったのだから、悪いことをしたのではないかと思ったからだ。
僕の隣で先生は、やっぱりつまらなさそうに窓の外を見つめているだけで何も話さない。
「それで、今回は何処までお送りしましょうか?」
目からこぼれた液体を袖で拭って、運転手は振り返って行き先を聞いてくる。
暗い感情を抱きながら、僕らはやっと帰路についた。
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