2ページ目 いぬとこども
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先生の家は、僕の住んでいたおんぼろアパートと比べ物にならないぐらい快適だ。
こんななにもいない廃墟街に建っているというのに、内装はとても綺麗だし、最新の家電が揃っているのに加えて、虫も動物もいないし、人もいない。
おかげで全く余計な音がないのだ。それに生活音が何もない。
まるで人類がほろんだのではないかと思うほど、静かである。
それがよくて先生はここに住んでいるのかもしれない。物音のない世界は、ちょっと寂しい気もするけど、僕は気に入っている。でも少しばかり、二階で先生が生きているのか心配になるけれども。
リビングで寝起きしている僕は、ソファーから体を起こしてふと窓に近づき、そこから外を見る。
そこから見える景色は、毎日コロコロと表情を変える空と薄暗いモノクロの建物だけ。他には特に気になるものはな――。
「うっ!」
窓の外。すぐそこに、赤い顔が見えて、急いでカーテンを閉めた。
あれは間違いない。天狗だ。
先生の仲間の天狗らしいけど、妖怪であることは変わりない。
仲間と言うだけあって、いつも近くにいることは知っている。家の中に入ってこないあたりは、ラッキーだけどやっぱり見たくない。
「はぁー……」
リビングの床にずるずると座った。
朝からドッと疲れたし、目が一気に覚めた。
寝間着に使っているゆったりサイズの服から、そのまま外へ出かけることのできる服へと着替える。
アパートを出てから、僕の着替えの服は必要経費だって言って、先生がいろいろ持ってきてくれた。
どうやら服や何やら生活必需品はだいたいインターネットで購入すると言う。
食べ物も「これで自由に頼んでいい」と言って、使い方のわからないパソコンを丸投げされた。
「何やってんだ、ポチ。床に座って。ソファーもあるのに」
「あ、先生……おはようございます。別になんでもないですよ、なんでも。ちょっと朝から疲れちゃっただけです」
へなっと座っているところに、先生がやってきた。
僕を見るなり眉をしかめている。そりゃあ、朝、ソファーもあるっていうのに床に座っているのを見て、「なんだこいつ」って思ったのだろう。僕だって好きで座ったんじゃない。先生の天狗にびっくりしてこうなったんだ。
「あっそ。それよりも飯。なんかねえの?」
「……ないですね。冷蔵庫のものはここ数日で一通り使い切りましたので」
先生のところに転がり込んで、早三日。ほんの少しだけ冷蔵庫に残っていた野菜やら、保存してあったカップ麺やらはすでに切らしている。
ただでさえ生活感のかけらもなかったこの家。あれだけの食材で三日間過ごせたことが奇跡と言えるだろう。貧乏なりの知恵で作った料理だったが、先生は満足そうに食べている。
「ねえならそのパソコンで適当に買っておいてくれ。ちょっと上にいるから。んじゃ、俺の分もよろしく」
そう付け足すと先生は、二階の部屋に戻っていく。お腹が減らないと、そこから出てこない。
何をしているのか知らないけど、衣食住保証されたも同然だから「わかりました」って返事をした。
ところがどっこい。新たな壁が僕の前に立ち塞がる。
今まで僕は、義務教育こそ受けたけれど、こういうパソコンやらの機械を使うことはほとんどなかったはず。
小学生ぐらいのときに、少しだけ授業で使ったかもしれない。そんな昔の記憶はとうに飛んでしまっているから、頼りにはならない。
だから、先生からパソコンを渡されても、何をどうすればいいのかわからない。
まずは……多分、電源ボタンを押すのだ。なんでも電源を入れなければ始まらないだろうし。
このノート型パソコンの電源はどこだろうか。
リビングのテーブルに置いて、じっとパソコンと向かい合う。
パソコンは値段が高い物だから、壊さないようにしないと。
そういう考えがあるから、どうしても慎重になる。
「待って、どこ押せばいいの……どこ、ボタン。学校にあったのと全然違うから、わからない……というか、学校にあったパソコンってもっと大きかった気がするんだけど」
下手に触って壊したくない。
そうして向かい合うこと一時間が過ぎる。
「あ、何やってんだ?」
「先生……」
喉が渇いたのか、降りてきた先生は真っ黒な画面のパソコンの前で止まる僕を見て、頭上に「?」を浮かべる。
「何でもそれで買えばいいだろ。カード情報、そのまま入ってるし。イマゾンとか億点とか。早けりゃ午後にも届くだろ」
「えと、そのー……使い方、わかんなくて。あと、イマゾンって……?」
「……まじで言ってるのか、それ」
「まじ、です」
沈黙。
カチリと時計の針が動く音がした。
「ぶっはっ! 嘘だろ、ポチ! このっ……このIT社会でっ! ぱそ、パソコン使えねぇとか! 今までどこの時代で生きてたんだよっ……! 天狗の方が使えるってーの! くくくっ」
「ぐぬぬぬぬっ……!」
先生は今までにないくらいの声で、腹を抱えて笑始めた。
途端に僕は恥ずかしくなって、顔が熱くなる。
仕方ないだろう、パソコンなくてもやっていける仕事をしていたのだから。レジ打ちとかはしていたけど、決まったボタンを押すだけだ。いくら機械音痴の僕でも、それだけなら何とかやってこれた。
私生活ではどうかと言えば、僕はパソコンどころか携帯すら持っていない。連絡手段は何もなくても、生きていけてたんだよ。
「ひぃぃっ、笑いすぎて腹痛え。原始人にパソコン渡すのは無理だったな!」
「うるさいですよ! 僕だって覚えればできるんですから!」
「あー、無理無理。原始人にパソコンは似合わねぇってーの。諦めて現金主義で行けよ。ほら、金」
渡されたお金は諭吉五枚。ちょっとしたおつかい分のお金としてはかなりの大金だ。僕にとっても、一度にこれだけのお札を持つなんて何年振りだろうか。いや、初めてかもしれない。
それをいかにも軽く財布から出して渡す先生は、一体何者なのか。
「俺、プリンとジャムパン。イチゴのやつ。あと、コーヒー牛乳」
「はい。わかりました。数日分の食料、買ってきます」
「あいよーいってら」
ヒラヒラと手を振られ、僕は買い物という名の初めてのおつかいに向かうこととなった。
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