2-2
外に出ればあいにくの雨。
屋根から落ちる雨水が、地面ではねてちゃぽちゃぽと音を立てる。
だけど、外出を控えようと思うほどのひどい雨ではない。厚い雲に覆われて、薄暗いけど、すぐに買いに行けば、雨が強くなるまでに帰ることができるだろう。
僕は玄関にあった、ちょっと高そうな黒い先生の傘を差して、最寄りのスーパーへ歩いて向かった。
この廃墟街からなら、大通りに出て曲がったらそのまま直進でたどり着く。
だけど、その道は少し遠回りだ。
「――……か?」
雨が降っているからと、少しだけ近道をしようと、細い道を通ることにした。
廃墟街の路地裏を出てすぐのところにある林の近くの道を歩いていたとき、何かの声が聞こえたような気がして立ち止まる。
「うん?」
振り返っても誰もいないし、何もない。
きっと雨の音だろう。
家を出たときからは、ちょっと強くなっている。風も吹き始めたから少し急ごう。
僕はさらに歩く。
「――〇……△@」
「は? へ? あ?」
やはり聞こえた低い声。
低い声と高い声の二つが会話しているようにも聞こえた。
親子だろうか。
僕はまた、足を止めて振り返る。思わず短い言葉が口から出た。
そしてクエスチョンマークが頭に浮かぶ。
「気のせい、だよな」
周りには誰もいない。それを確認して、僕はまた目的地の方に向かって足を踏み出したとき――。
「……待って」
今度こそハッキリと声が聞こえた。
バッと振り返れば、暗い林の前で濡れた真っ白な着物姿の幼い子供が僕を見つめていた。
透き通るほどの白い肌に、大きな丸い目。背丈的にも小学生以下かもしれない。
そんな子供が僕を見ている。
まさかそのまま放置するほど、冷徹な人間じゃない。
僕はその子供に近寄り、傘の中に入れてそっと声をかける。
「ぼく、どうした? 家族は? 家は? 傘も差さないで、寒くないかい? それに何があったの?」
子供は僕の声に、何も返事をしてくれなかった。
ただただ、黙って僕を見ている。
話すのが苦手な子なのだろうか。
だったら無理に聞こうとするのは、この子にとってストレスになる。
「……て」
「ん?」
子供がやっと出した声をもう一度聞こうと聞き返す。
「……て。逃げて!」
「なっ……!」
何かがおかしい。
そう思ったとき、子供の後ろにある林からザワザワと葉がこすれる音がした。そしてそこから何かが僕に向かって飛び出してきた。
「うわぁっ!?」
とっさに僕は体を横に倒し、飛び出してきた何かと衝突するのは避ける。
僕は反射神経がそれなりにいい方だ。それが功を奏した。
傘を投げてしまったこともあって、上からと、地面からも雨を受ける。
「一体なに……って、妖怪かよ!」
飛びかかってきたものは、異形な姿。
白い毛の犬だけど、
犬と呼ぶにはらしくない服を着ているのもそうだが、何よりも大きさが普通じゃない。
年齢相応な僕の背丈よりずっと大きい。だからこの犬は……絶対、妖怪だ。
「ぼく、逃げるよ」
濡れた子供を俵のように抱きかかえ、家の方向へ走る。
びしょびしょの子供は、軽いけど体がとても冷たい。
「ひいいっ! こっちに飛んで来たっ」
犬のような妖怪は、大きく飛び跳ねて僕の上を通ると、進路を塞いできた。
グルグルと唸りながら見せる鋭い牙と爪が怖い。
嗚呼、なんでまた、僕は追われているのだろうか。
とりあえずこの子を安全なところに……あ、でもそもそもこの子には妖怪が見えないはずだからあの場所にいれば安全だったのか?
「ゝ♪↑。‡▲○♪」
「へ? ちょっ……うぐっ」
何を言ったのかと一瞬考えていたとき、隙が出来たらしい。
僕の体は軽々と背中から妖怪に押されて、地面にぶつかる。
子供に怪我をさせないようにと、腕でかばったら、ちょっと肘を痛めた。
「……君は、逃げて」
子供は無事だ。一緒に転んでしまったけど、妖怪が狙っているのは僕だけみたいだから逃げられるはず。
腕の中から子供を出して、背中を押す。
「……」
むくりと立ち上がったものの、その子供は何も喋らない。眉毛を下げて、ただじっと僕を見ている。
「※∋$」
妖怪が子供に何かを言っている。すると子供はその声を聞くと、首を横に振った。
「※∋$。■∋」
また何かを言われると、子供は今度、唇を噛みながら頷いているじゃないか。
ということは、あの子供は妖怪が見えているし、聞こえている?
「……人間」
「僕?」
子供が見た目にふさわしくない言葉、そして声を紡ぐ。
「そうだ。我らを作った人間である、お前を喰らう。そして、力を得る」
「……はい? 僕は君たちのお母さんじゃないんですけどっ……!」
様子からして子供はおそらく妖怪のしもべか何か。なら、ここは妖怪からも、子供からも逃げる方がいい。
僕はなりふり構わず、ごろっと横に体をずらして妖怪の手から逃れると、離れるため必死で走った。
「はぁはぁ……妖怪っ! なんで僕の所にくるんだよっ……」
雨の中、来た道を戻る。
傘は妖怪に押されたときに手放してしまった。先生には後で謝ろう。
「ひっ、着いてきてるぅ! もうやだっ!」
体力には自信があった。幼いころから妖怪に付きまとわれていたから、それから逃げるために必然と体力が付いたのだが。
走りながらちらっと後ろを見れば、やっぱりついてきている。
ドスドスと走る犬の妖怪の背中に、あの子供が乗っているし、やはりグルだった。
だけど、僕に最初、「逃げて」って言ったことは気にかかる。あの大きな犬の妖怪は、多分、僕を食べようとしている。でも、あの子供は僕を逃がそうとした。
訳がわからないけど、今は命の方が大事だ。
「先生っ! ヘルプッ!」
家の扉を勢いよく開けて中に入る。そしてすぐに閉めて鍵をかけた。
「なんだぁ? ポチ。初めてのおつかいは終わったのかぁ?」
髪の毛をかき上げて、リビングから顔を出した先生。僕を見るなり、ただ事じゃないってわかったみたい。
「どんな奴だ?」
先生はいつも通り、腰につけた本を取り出し、ペラペラとページをめくる。
「犬です。でっかい犬! 袈裟を着ている犬と……小さい子供でした!」
言葉だけじゃなくて、身振り手振りでどんな姿だったのかを伝える。雨で濡れた僕の服からは、動きに合わせてぴちゃぴちゃと水が落ちる。
「ふーん……袈裟の犬と子供のセット……」
「だ、だ、大丈夫ですよね? 今回はちゃんとその本にしまうんですよね?」
「まあな。おそらくだが、
にやっと笑う先生。子供みたいなその顔に、僕は安心……なんてできない。なんかちょっと先生が怖い。
「でかした、ポチ。俺のおつかいはできないけど、妖怪を集めることはできるんだな」
「不本意です! ただ買い物に行っただけで、こんな……」
「はっ、いいじゃねえか。あいつをちょっと回収してくらあ」
「お願いします」
先生は本のあるページを開いたまま、サンダルを履く。
そして躊躇することなく、玄関の扉を開けた。
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