4-4
幽谷響は本を投げるように手放した。
それを慌てて拾う。
「っ……!」
もう、ここに居座る理由はない。
僕はバッと立ち上がって、先生のところに向かって走った。
「待ちなさいよ!」
「ぎゃぁぁぁぁ! ついてこないでくださぁぁぁい!」
それなりに僕はスピードを出したつもりだ。
なのに、僕の後ろにさっきの女性が走ってきている。
化け物なのか、あの人は。
「やだぁぁぁぁ!」
叫びながら山を下る。
僕の悲鳴は山中に轟いた。
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絶叫しながら先生のところに戻った。
もちろん僕の手には、盗られた先生の本がある。
早くこれを持って帰りたい。もう、幽谷響の回収は、後日にしよう、先生。
言葉を繰り返すだけの妖怪なら、回収を後回しにしても問題ないだろうし。
「先生ーっ!」
先生を寝かせたベンチ。その手前で叫べば、むくりと体を起こす人影。
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、うるせえんだよ……こっちは頭も痛えし……」
嫌そうな顔で僕を見る。その後ろに続く人も見えたらしい。
少し赤い顔をぐにゃっとさせて、今までに見たことのない最上級の嫌な顔をしている。
「先生、本は取り返しましたので、早くここから出ましょう」
肩で息をしながら先生の元に向かう。
体を起こした先生に、本を手渡し、早く帰ろうと広げていた荷物を集める。
「おお、でかしたポチ。だけど、余計なもんまで拾ってきたな……」
先生の眉間に深いしわが刻んで、目を凝らしながら僕の後ろを見ている。
その方向を僕も見れば、あの女性がニヤニヤしながらやって来ていた。
「よぅ! 愛しの弟よ! 元気にしているか? 姉さんは見ての通り、ピンピンしているぞ」
「うっせぇ……頭痛えんだよ。くるんじゃねぇよ、クソ姉貴……うっせぇ……」
二人を交互に見る。
頭を抑える先生。そして、先生を見下ろす女性。
発言からしてやっぱり……姉弟、なのか?
言葉遣いは似ているけど、ハキハキとした女性と、やる気がほとんど出ない先生の二人が?
「私だって、ここには妖怪探しに来ているんだ。そこにお前が来たのだろう? 私の邪魔をしに来たのはお前だ」
「こっちもあいつを捕まえに来たんだ。クソ姉貴は黙ってろ。」
「はいはい。まったく、我が儘な弟だ」
なんだかじろじろと僕が見られている。気になるけど、あえて触れないでおこう。
「っし……戻れ、幽谷響」
先生はいつも通りに妖怪――
「ポ、チ……ある……じ……」
「……え?」
顔の横を幽谷響の体が本へ向かってサッと通ったとき、声が聞こえた。
誰の声でもないもの。多分、幽谷響の声だ。
でも、決して誰かの声を真似たわけじゃなかった。山谷響だというのに。反響音でないというのならば、幽谷響は自ら会話をした……?
「はい、回収ー……疲れたし、帰る」
「……先生」
「あ? なんだ?」
ポンと本を閉じ、ぐっと体を伸ばす先生に聞く。
「さっきの幽谷響、妖怪ですよね?」
「ああ、そうだ」
「だったら、どうして今、ポチって……それに、あるじ? って言うのは……?」
確かに聞こえた声。僕だけが聞こえたわけじゃないと思う。確かに幽谷響が話したのだ。
「……何言ってるんだ? もともと人間だった
「です、よね……?」
僕の声は風に流され消えていく。
理解はしても納得はできない。幽谷響は確かに自ら言葉を発した。妖怪でも会話ができるものがいるのではないか。僕の頭はそう考えていた。
「おい、弟! ちょっと来い!」
「はぁ!? なんで俺がっ……」
「あ、ちょっとっ……」
先生がお姉さんに無理やり連れていかれた。
先生の体調はよくないままだけど、家族ならまあいいか。
僕には聞かれたくない話があるのだろう。家族内の話かも。
僕から離れて、二人は木の下で何やらを話している。
手持無沙汰になった僕は、ベンチに座ってそこからの景色をじっと見る。
青い空。緑の斜面。
大きく深呼吸をして、久しぶりの自然を満喫する。
「妖怪って、何なんだろうなぁ……」
小さい頃から当たり前に見えていた存在を改めて考えてみると、よくわからないものだ。
わからなくても確かにそこに存在している。
何を食べて、何を想い、何をしていたのかは知らない。
でも、僕に近寄って来る。
まとまらない思考が嫌になってきた。
「帰るぞ、ポチ」
「お話は終わったんですね。先生の調子も悪そうですし、早めに帰りましょう。では、お先に失礼します、お姉さん」
「またな、妖怪少年! 弟をよろしく頼むよ!」
「……ええ」
何をしに来たのかわからないけど、お姉さんはこのままここに残るらしい。こんな山の中に何の予定があるのか。
いつの間にか天狗もいなくなっているし、これ以上妖怪に出くわしたくないから、僕は先生と共に帰路についた。
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長時間の旅路を終えて、その地域のご当地グルメに目をくれることなく、モノクロな家に帰ってきた。
バスではよく寝たおかげで、僕も先生も少しは体力を回復させている。その証拠に、家に入るなり真っ先に冷蔵庫に向かって、しまってあった紙パックのコーヒー牛乳をぐびぐび飲んでいる。
モヤモヤしている僕とは反対に、いつも通りの先生。
「つっかれた……」
「同意だな。さすがに俺でもあそこまでいくと疲れる」
腰に手を当てて飲む姿は、まるでお風呂上りに牛乳を飲むようだ。
「先生のお姉さん、何しにあそこにいたんです?」
「知るか」
まだ足りないのか、先生は甘味を求めてさらに冷蔵庫を漁る。
「先生、甘いもの好きですね。食べ過ぎて寝込むとかはやめて下さいよ。虫歯とかも気をつけてくださいね」
「ふんっ。ならねぇよ、そんなこと。妖怪回収すると、疲れるんだよ。疲れには甘いものだろ」
「そうですけど……」
次々に冷蔵庫から取り出されるのは、プリンやアイス。どれも甘いものだ。
「晩飯はホットケーキで」
「流石にそれは不健康なので、違うものにしますよ」
「は?」
「そんな顔しても駄目です」
食べても太らない体質、羨ましい。
甘味だけじゃ偏った食事になってしまうから、今日は野菜炒めにしよう。
今日みたいに倒れられてはたまったもんじゃない。これからはバランスのいい食事を用意しないとな。
甘い匂いが漂うキッチンで、僕は早速夕食の準備を始めた。
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