終章 こえとおわり
9-1
太陽が隠れたころ、僕らは家に着いた。
人のいない廃墟街を通ったときは怖かったけど、僕の前を、知っている妖怪が歩いているからどこか安心していた気持ちがあった。
「先生……」
月明かりが家を照らしている。
その玄関に、長らく姿を見ていなかった先生が頭を抱えて座っている。
僕は先生に何を言ったらいいかわからない。純粋にただいまと言えばいいのかどうかすらも。
「ポチ……」
先生が僕に気づいて顔を上げた。その顔はひどくやつれている。
『あ、
「あん? お前、窮奇かよ……」
チビが空気を全く読もうともせずに、先生をあざ笑うかのように言う。そんなチビを戒めたのは、先生じゃなくて、その後ろにいたもう一匹の窮奇、ボスだった。
チビの上に飛び乗って無理やり黙らせると、チビのしっぽを加えてずるずると引きずり、廃墟街へと姿を消した。
「ポチ……」
「ひいっ!」
先生がふらりと立って僕に向かって足を踏み出したとき、思わず僕は声が出てしまった。
慌てて口をふさぐも時すでに遅し。先生はぴたりと足を止める。
「わかってるならいいだろ。今まで通り、俺の名前を呼べ。そうしたら俺もその中に帰れる」
先生は僕に背中を向ける。
違うんだ。たとえ先生が妖怪であったとしても、僕は先生を怖いとは思っていないんだ。
今まで妖怪に追いかけまわされる生活だったのが、先生と出会ったことで毎日楽しかったし、妖怪自体が全部怖いものって思っていたけど河童みたいな優しい妖怪がいることを知った。
「早くやれ。そうすりゃ、お前も妖怪から解放される。残った家は好きに使え。金も勝手に使えばいい」
先生は僕を見たくないらしい。ちっとも僕を見ようともしない。
僕が先生の記憶を見てしまったからだろうか。それを先生がわかっているからだろうか。
それとも、自分が妖怪であることを隠していたからだろうか。
「早くやれって言ってんだろ」
「嫌です」
「はあ!? やれよ」
「嫌です」
先生を本の中に戻したくない、そう思った。
本の中がどんな世界になっているのかはわからない。だけど、先生を本へ閉じこめてしまうことはしたくない。
先生にはいなくなってほしくない。
「嫌って言ったら嫌なんです!」
大声でそう言えば、先生が振り向いた。その顔は今までにないくらいびっくりしている。
「先生にお願いしていたこと、河童が教えてくれました。僕がこの画図百鬼夜行を作った人と魂が同じだって。だから僕に妖怪が見えているのでしょう!? だから僕のところに妖怪が寄って来るのでしょう!? でも先生は僕を襲うことはなかった。それどころか守ってくれてた。そんな優しい先生を回収するなんてことはしません!」
最初は夜の道で先生に出会った。
その時に先生は僕が
先生のことは僕は人間だと思っていたし、あの時は垢嘗に悩んでいたから僕は先生と一緒に行動することを選んだ。
そのあとも一緒に行動していたけど、先生は僕を取って食べようとはしなかった。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
「なっ、何なんですか、そのため息はっ」
「何って、ポチは俺の決意をとことん踏みにじってくるんだなって。とことんあいつと似てるよ」
「あいつ……っていうのは
河童から聞いている名前を言えば、先生はしゃがみ、頭をぐちゃぐちゃにかく。
「そうだよ、石燕だ。あいつ、俺を書いてからずっとパシリにしてくるし、その割には俺を本に戻そうともしねぇ。早く俺を閉じ込めろって言っても、『優しいお前にはこの本は狭い』とか言いやがる。お前も、あいつも意味わかんねえよ」
「先生……」
先生が鼻をすする音が聞こえた。
何とも言えない空気が、僕たちを囲う。
家の中に入るべきか。何か声をかけるべきか。
どうにもできず、どうにもならない状況。それを破ったのは僕でも先生でも、チビたちでもない。
あの人だった。
「やっほーっ! お元気? 愛しのお姉様が様子を見に来たわよ! あら? 何この空気。お葬式?」
何処からともなく現れたのは、先生のお姉さん。意気揚々としゃがみ込んだままの先生の背中に乗るようにまたがった。
肌寒いどころかもう冬直前だというのに、出会ったときと同じ夏のような服装だ。
「……空気読めないクソ姉貴が来るんじゃねぇよ」
嫌みのように言うが、先生は顔を伏せたまま立ち上がらない。
その様子から察したのか、「ははん……」とお姉さんはニヤニヤした顔を僕に向ける。
「さては木魅なのがバレたな!?」
「うるせェよ」
「だーから言っただろう? いつかはバレることだって。とっとと本に帰れ」
「やれたならそうしてんだよ」
「ほう?」
あれ、先生と姉弟だとするならば、お姉さんも妖怪なのだろうか?
そう言えばお母さんもいたような……。
「妖怪少年!」
「は、はひっ!?」
妖怪なのはそっちだろうって思った。
お姉さんにとって、「妖怪少年」というのは僕のあだ名になっているから今更か、
「こいつのことは好きか?」
「へ? えっと……」
ここで好きだと言ったら、何か勘違いされないか?
「あー、言い方を変えよう。人として? いや、妖怪として好きかってことだ」
「それは、もちろん好きです」
「どんなところが?」
「えっと、強引だけどしっかりしているところとか、ちゃんと褒めてくれるところとか、嫌々言っても教えてくれるところとか……」
先生と出会ってからの出来事を思い出して挙げていく。
色々あった。生活が変わった。見る目が変わった。
どれも大変な思いをしたけど、先生に出会えてよかったと思う。
「だってよ。それだけ思ってくれているなら、一旦帰って出直せば? そうすれば、母さんも文句言わないだろう?」
うん? 帰って出直す?
首をかしげる僕を気にとめることなく、二人は話し続けている。
「……ということで、妖怪少年! 一旦妖怪をしまえ!」
「ええっ!? 一旦ってどういう――」
「言葉のままだ! 一度その本に帰した妖怪は、お前の指示下に入るんだ。そして、ページに触れながら再び名前を呼ぶ。そうすればまた出てこられるよ。そうして暴れる妖怪を抑え込んでいたのがこいつだからな」
知らなかった。
確かにこの本に書かれた妖怪が、本から飛び出してきてしまっている時点で、二度と会えなくなるわけじゃないんじゃないか。
なんだ、もう会えないと思ったからちょっと考えすぎて損した気分だよ。
「ああ、耀司って名前は偽名だからな? ちゃんと木魅と呼べよ。こいつと、私に向けて」
「はい、わかりました……先生、お姉さんの言うことは正しいですよね?」
「ああ」
だったら。
僕は本を開いた。
でも、痛い思いをして血を出すのはいやだな。何かほんの少しだけ血が出るところはないっけ?
「窮奇」
『んだよ! 呼ぶんじゃねぇ!』
本の中からチビのお兄さん窮奇を呼び出してみた。
キイキイと叫ぶ姿は、耳障りだと思っていたけど今ではちゃんと声を聞き取れるからそう思わない。
「君たちの力を貸して?」
『……嫌とは言えねぇのがムカつく! おい、兄弟!』
『はーい!』
『あいよ!』
窮奇三兄弟が揃った。
明るい声の末っ子チビは、僕を見て嬉しそうにした後、暴風が巻き起こる。
そして一瞬だけ僕の指先に痛みが走った。
やんわりと風が止んだときには、痛みが起きた指は何事もなかったかのように傷口はない。だけど、ぷっくりと血が出ている。
さすが窮奇というところだろう。本来はこういうことをする妖怪なのだろうな。
「少しだけ、戻ってください……木魅」
僕の血を吸った本の中に、先生は吸い込まれていく。
そして本には大きな木と共に、男女の老人が描かれた。
『木魅はながーく育った木から生まれた妖怪だよ。人に化けることもできるんだ』
「へえ……」
本の中では老人の姿だが、それはあまり好きじゃなかったのかもしれない。
前に年齢を聞いたとき、僕より少し上だったけど、プラス何百年っていうぐらいの年の差があるだろう。
あの性格の先生ならきっと、老いた姿は動きにくいだとかそういう理由で僕の知るだらしない姿を守っていたのだろうな。
『おい小僧。すぐに出してやるなよ』
本から出たばかりの窮奇が、僕の肩でそう言った。だから、「どうして?」と聞くと、すんなりと答えてくれる。
『あの木魅、だいぶ力を消耗していた。だからその中で休ませてやれ』
『兄上の毛並みもよくなってるもんね! 本の中にいると力がつくの?』
『そうだ』
確かに先生はやつれていた。
だからなのだろう。本の中がどんな世界になっているかわからないけど、チビの質問に答えた窮奇の言葉は間違いではないはず。なら、少し、先生を休ませておこう。
寒空の元、画図百鬼夜行は少し暖かい気がした。
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