4-2

 全く同じ言葉を返す。

 僕の中で点と点が繋がりかかってきた。


 先生がわざわざ探しに来た妖怪。ヒントは少ないけれど、きっと僕の予感は的中しているはず。


 目の前にいるこれが幽谷響やまびこの姿なのではないかということに。


 『やまびこ』と言えば、ただの反響音のはず。だからそれが妖怪となったとき、どんな姿なのか想像もつかなかった。まさか、獣みたいな姿だなんて想像できないでしょう?


 昔の人は、音が反響するなんて物理的なことがわからなかったから、妖怪が声を返してくるのだと言うことにしたのだろう。

 だとしても、こんな姿であると思うだろうか。いや、思わない。僕だったら絶対思わない。


「人の言葉を繰り返すやつだ。その他には特に何もやらない。人を喰う犬神いぬがみよりずっと可愛いもんだろ」

「いやいやいやいや! 妖怪は妖怪ですから! 先生、早く!」


 首が飛んでいくんじゃないかってぐらいにブンブンと横に振る。


「あー、はいはい」


 先生は腰元の本のあるページを開いたその時。


「あ」


 ドタバタと幽谷響が四足歩行で走ってきたのだ。僕らから二メートルほど離れた場所から、大きく飛び跳ねると、その口で先生から本を奪う。


「何やってるんですかっ!」

「俺のせいじゃねぇ!」


 幽谷響は華麗に着地して、クルリと方向を変えて山の奥へと走って行く。


「追いかけますよ!」


 妖怪は怖い。だけど、先生がこの本を使って妖怪を回収してくれる。そうすれば怖くない。だから、僕は先生と一緒に行動してきた。


 その重要なアイテムである本が無くなってしまったら。

 そうしたら僕らは無力な人間だ。

 妖怪をどうすることもできない。

 早く取り返さないと。

 走り出そうと一歩踏み出したとき、ドサリと音がした。


「せんせ、い……?」


 半身ひねって振り返ると、そこには倒れた先生が。


「先生っ!」


 僕は慌てて肩を揺さぶる。

 長い前髪を手でよけて顔を伺えば、かなり赤くなっている。

 その額に手を当ててみた……これは熱があるな。


「こんな山の中で……とりあえず木陰に……」


 あるのは固いベンチだけ。

 幸いにも木が多いから暑さはしのげるけど、長居はあんまりしたくない。風邪だったとしても、こんな場所にいたら治るものも治らない。

 でも、山を下りたところで、住宅も何もない。早く人が多いところに行くべき。そうしたら薬もあるだろう。でも、あの本を取り返さないと……。


「先生。とりあえず休んでくださいね」

「さわんじゃねぇ、よ。俺も行く」

「無理ですよ。そんなフラフラじゃ……」

 

 休む以外に術がない。

 横たわる先生の背中と膝裏に手をくぐらせる。よいしょ、とそのまま立ち上がれば、先生の体は浮く。

 見た目通り、先生の体は軽かった。


「ベッドより固いですけど、しばらくここにいてください。あいにく水しかないですが、これ飲んで休んでいてくださいね」


 遠出しそうな雰囲気だったから、僕はちゃんとリュックに最低限のものは持ってきている。

 タオルとか飲み物とか……そういうものだけだけど。

 リュックを枕に、タオルとペットボトルを先生のお腹の上に置いた。


「ゲホッ。ポチ……どこいくんだよ」

「どこって、幽谷響を探しにですよ。あの本は大切なものでしょ? 先生が動けないなら、僕が探してきますから。そうしたら先生が幽谷響を回収してください。終わったらすぐ帰りましょう」

「……大丈夫、なのか?」

「大丈夫、じゃなくても何とかやってみますよ」


 正直怖い。

 いくら舗装された道を歩くとしても、人のいない山だ。妖怪も怖いけど、イノシシとかクマがでたら僕には太刀打ちできない。

 でもやるしかない。

 とりあえずあの本を取り返さなきゃ。せめて帰りのバスに間に合うように。


「行ってきます」

「……ん」


 真っ赤な顔をタオルで覆った先生を残し、僕は幽谷響を追った。



 ----



「とは言ったけど……こっわ」


 人気のない山。

 風が木々を揺らす音が耳に入る。それ以外の音がない。

 しばらく人が通らなかったせいか、草木が覆ってしまった道を一人で歩く。

 誰もいない。何もいない。それがまた怖い。

 僕の足はビクビクしながらも進んでいく。


「お、おーい……幽谷響ー……」

「『――お、おーい……幽谷響ー』」


 道の先へ向けてそう言えば、幽谷響による声が返ってくる。

 声の高さも僕と一緒。まるっきり同じ声が聞こえると、確かに不気味に思う。


「いるならでてこいよ、もう……」


 僕の小さい声を返したということは、確かに幽谷響は近くにいる。

 見える場所にはいないけれど。


「というか、何で奪ったんだよ。やっぱり本の中に戻りたくないから?」


 考えてもわからない。

 だって、僕は妖怪じゃないから。

 人間の僕からしたら、妖怪がうろうろしているのは怖い。

 妖怪からしたら、人間の世界に出てこれてハッピーなのかな。


「先生も先生だよね。体調悪いなら先に言ってよ……って、いた! 幽谷響!」


 道の先。石の鳥居の元に、幽谷響がいる。

 手には先生の本。まるで見せつけるかのように持っている。


「お前っ、返せよっ!」


 走って幽谷響の元に向かう。

 もちろん、幽谷響も僕から逃げるように走る。

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