第39話「SlapStick」

「こんなに苦しいのなら! こんなに悲しいのなら! ――生など要らぬ!!!」


 仰向けになったまま、全身血まみれタイツ(のような)姿になりながら志津馬は天に絶叫した。


「なんでだ……なんで…………! なんでお前は死なねえ……!?」


 サバイバルナイフを持ち、志津馬に馬乗りになった七緒は困惑の声を上げる。それでも彼女は凶刃を振り下ろす手を止めない。


「ああっ……! もっと……! もっとだ! 今まで誰も試したことがないような……! そんな方法で殺してくれ! ……私を! 私の息の根を……! その手で止めてくれ!!!」


 最初に突き刺されてから、彼はどれだけの致命傷を負っただろう。数十、いや、数百だろうか。常人なら一度で倒れ伏すであろう刺傷だが、それでも彼が死ぬことはない。何度、傷を負おうと、どれだけ急所を穿たれようと、彼の体は瞬時に元に戻る。……そう、彼にとって致命傷は致命傷たり得ないのである。もちろん出血はするが、どれだけ出血しようが失血死することはない。四肢やその他が欠損しようと新しく構築され、欠損した部位は霞のように掻き消える。先程から繰り返されているのがそれだ。損傷。再構築。損壊。再構成。欠損。再形成。

 彼が何かを意識して行っている様子はなく、それはどうやら自動的に行われるようだ――。


「がっ――!」


 闘牛が激突したかのような音と呻き。直後に響く破壊音。

 突如として、七緒は横合いから突き飛ばされた。


「あ……?」


 顔を上げて首を振る志津馬。

 辺りを見回すと異変が一つ。数メートル向こうの家屋の塀が、掘削ドリルが突撃したかのように崩れていた。

 後頭部を乱暴に地に打ち付けて、


「あぁああぁあぁぁぁぁああああぁあぁああぁあぁああ~~~……もう!!!」


 恨みがましく漏らし、


「サノバッ!! んぅうううああああ! 何が! 何がどうなってんだ一体!! もう少しでイケそうだったのにぃいいい! あと何なんだあの意味不明な文章は!? Heart was broken!? 失恋した!? Fateの真似すれば受けるとでも思ったのか!? 真似にもなってないんだよ! 小学生が書いたポエムなんだよ!! 古いんだよ自虐ネタはさあ!!! …………。……ふぃー! ちょっぽしすっきりしたかな。そ・れ・で・はッ!」


 腕を使わずネックスプリングをした。

 間を置かず、崩れた塀に近づき中を覗き込むと……、


「え? ……え? あ…………あ――、きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 女性が絶叫した。

 視線の先では、浅黒い筋骨隆々の大男が芝生の上で七緒を組み伏せ、今まさに自らの極大の欲望を満たさんとするところだった。


「おいゴリラァッ! 何やってんだお前ッ! 住居侵入罪と私財損壊罪で逮捕するぞこの公然猥褻物がァッ!」


「……。……む?」


 巨漢は誰のことを言っているのか、という様子で顔を向ける。


「いやそれよりもだ! そのオン――おニャン――おにゃの――――ンンッ! ――女性は今さっきまで俺がよろしくやってたにゃんにゃんおなんだよバカ野郎が! さっさと返しやがれこの……この…………、羨まししゅぎる巨根が!!!」


 指を立て捲し立てる。その声に巨漢が目を見開いた。


「……なぜだ? 私は君を助けたのだ。なぜそれほどまでに怒〈いか〉っている……?」


 厳つい顔に困惑の色が宿る。しかし、


「待て……今、この女性が君と愛し合っていると言ったのか……? 君はこの女性の伴侶なのか……? そんなまさか……。ならどうしてあんなことを……」


 七緒が志津馬を殺そうとしていたことを言っているのだろう。それゆえに巨漢は状況に困惑している。


「ああ。それなんだが、実は俺とその子は吸血鬼のような特異体質の忌み子でね、二人して生き埋めにされるところを辛辛逃げてきて、ようやくこの地にたどり着いて平和に暮らしてたんだ。ところが、今になってその子に呪いが掛けられてることが発覚してさ、殺人衝動に不定期に駆られるようになってしまったんだ。つまり今の状態がそれ。俺とその子は多分だけど死ねない体だからさ、俺がその衝動を受け止めて、落ち着くまで殺人の対象になってるんだよ。今さっきも突然衝動が起きてさ、なんとか落ち着かせようと悪戦苦闘してたってわけ。…………フゥッ! 我ながら長かったな……」


 滔々と説明した志津馬を見て、巨漢は感嘆した様子で、


「なんということだ……そんなことが……。私も今まで様々な話を聞いてきたが、そのように残酷な運命はなかなかに出合ったことがない……」


 この世界に神はいないのか……と言った。


「滅入る話を聞かせてすまない」

(……にしてもさっきから静かだな七緒は。なんでだ? まあ、この大男もわからないことだらけだが……)

「あんた名前は?」


 巨体に訊く。


「クリスだ。君は?」


「志津馬だ。志津馬禎生。俺はずっとこの古き良き映画的自己紹介をしたかった」


 恍惚な表情で言った。


「クリス。ミドルネームは? レッドフィールドか? それならそのパワーも納得なんだが。でもクリスにしては図体がこう……さらにゴリラ染みてるな……」


「えー……クリス……、クリス…………ヘイラーだ」


 長いこと思考してクリスは言った。


「へえ。ヘイラーね。クリス・ヘイラー……俺もそんな名前に生まれたかったよ。ヘイラー……ヘイラーのクリス……」

 ちょっと待て、と続ける。


「ヘイラーのクリス? あんたもしかして…………。ヘイラーのクレス……?」


「いや、私はそんな名前では……」


 しどろもどろに答えた。


「じゃあ何か? ゴリラとでも言うつもりか?」


「違う。そんなわけがないだろう。そう……私はハル――」


「イレイ? もっとメジャーなの言ってたら作者が暗殺されるとこだったぞ?」


「いや、私は……」


「もういい。わかった。お前はクレしゅだ。クレシュ・ヘイラー・アルヴェイン。ニックネームはクーリッシュな。クリシュでもいい。OK?」


「お、おーけい……」


「さて、何もなかったように話を戻そうぜ」


「私に」と巨漢は言った。「なにかできることはないか? 邪魔をした詫びに手を貸そう。必要なら、だが」


「殺さずに気絶させてくれ」


 即答した。あまりに早すぎたせいか、


「いいのか? 彼女は君の伴侶なのだろう? それに衝動への対処はそれで構わないのか?」


 疑問を呈する。


「仕方ないさ。こんな住宅街で刃傷沙汰を繰り広げるわけにはいかない。それに、もう通行人やら近隣住民に目撃されてるからな。そろそろ人が集まってくる頃だろう」


「そうか」と首を動かした。「この家の住人は留守だったようだな。幸運と言うべきか否か……」


「ああ」と返し、


「……ヤりすぎてガバガバになったアソコより酷いご都合主義だ」


 私に向かって言った。


「では申し訳ないが、君のためだ。少しの間気を失ってもらう」


 右手を握りしめて腕を引き、七緒の顎目がけて横から殴る。


 七緒は脳震盪により気絶した、ように見えた。


「手際が良いな」


「まあ、こういうことには慣れているのでな」


 そう答えて七緒を抱き上げようとすると……。


 カッと眦が開かれ、傍らのナイフを手に取り、自分に向けた状態で両手を天に突き出した。


「そんじゃあクソ野郎ども! ヒャッハータイムの始まりだぜッ!!!」


 彼女は一切の躊躇なく心の臓を突き刺した。

 

 志津馬と巨漢が注視する中、突き立てたナイフはそのままに腕が人形のように力を無くす。同時に全身の筋肉が弛緩し、上を向いていた頭がぐるっとこちらを向き、口を開いた。

 その直後――。


 七尾の目や口、胸の傷穴から膨大な閃光が溢れ出た。


「わーお! これなんてホラー? マトリックスのエージェント・スミスみたいだけど、いきなりやられるとSAN値がダダ下がりだわ!」


 巨漢は目を閉じ、彼と志津馬は視界を腕で遮りながら身を逸らす。

 閃光は強さと範囲を増していき、やがてそれが数キロ圏内にまで広がった時、膨張は数秒停止し……。

 一瞬で発生点へ集束した後。

 ――中心が爆発を起こし強大な熱風を巻き起こした。


「ぬぅううううううううううううううううううううううううううううううううう!」


「ぁぁぁあああああああああちちちちちちちちはやぁああああああああああああああ!」


 志津馬は衝撃波と熱風により吹き飛ばされ、巨漢は両腕で体を覆い、その場で堪えた。





 爆発点から浮かび上がる熱の球体。その熱の膜が後ろに集まっていき、人型がはっきりと見えるようになる。

 体躯は熱を放射しているのか、橙染みた赤色で光っている。結われていた髪は解け、長い髪は真紅の輝きを放っており、燃えるように揺らめく。掛けられたアンダーリムの眼鏡が徐々に燃え溶けて消え去り、面様の表れたその瞳の奥には……。



 七緒美月――彼女こそ『システム・アマテラス』の中核であり、アマテラスそのもの。日本〈ひのもと〉を照らす太陽を神格化した存在、それが天照であるなら、彼女もまた、今の日本を照らす天照〈アマテラス〉に他ならない。



 太陽の化身は眼〈まなこ〉を閉じたまま宙に浮かび上がり、地上数十メートルの高さで静止し、ゆっくりと開眼した。


 黒点のような赤黒の双睨〈そうげい〉は地上を見下ろし、化身は自身の降臨を宣言する。








 ―――――――――――――――我は神―――――――――――――――

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シグマの日常 kapuri @clazybones

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