第16話「Franz Qahwah2」
過去と現在の鬼ごっこ。
過去が鬼だったなら今からは現在が鬼。
でも現在は過去を追いかけない。
追いかけるのは未来だ。
僕たちは追いついては離され、追いついては離され、終わることがないのにそれでも諦めようとしない“馬鹿者”だ。
◆
俺と部長はメニューを見て注文をした。したけど部長が、
「お代は払います」
真剣〈まじこい〉の顔で宣言した。
「いや、奢らせてもらうよ」
目を光らせるのは姉貴。
「払います」
神剣(天之羽々斬)は石化しない。それどころか霊力が増す。
「だめだ。奢らせてもらう」
第三の眼力も増していった。
間の俺は風船のように萎んでいく。萎みすぎてトイレに行くこともできない。
「払います」
その目は姐さんに負けていない。合戦前の武将のような眼差しだ。
姉さんは数合、武将と火花を散らしていたが……。
「チッ。まあいい。今日はアタシが勝たせてもらうからね」
チッて。チッて。……舌打ちこええ。なんか勝つとか言っちゃってるんですけど。あと舌打ちこええ……。
姐さんは背を向けてカウンターの奥に戻っていった。
まじこいはそれを見つめ、凛乎たる態度で、
「負けません……絶対に」
キリリッ。
何かっこつけてんだこの人。
俺たちは一杯目をすでに干し、二杯目のコーヒーを飲んでいる。部長はアイスを慣れた手付きで。俺はブレンドをちびちびと。奢りのケーキを待ちながら。
ふと、カウンター近くの壁の角に備え付けられた液晶テレビからブレイキング・ニュースが聞こえてきた。
視線を移すと、「麻薬組織の一つが壊滅」というスーパーが見える。
アナウンサーの説明では、麻薬組織の構成員は尽く銃殺、斬殺されており、現金と麻薬の一部がなくなっていることから、窃盗目的の殺人、愉快犯の犯行、対抗組織との抗争などが予想される、とのこと。また、証拠が残っていないため、犯人の特定は困難を極める、らしい。ただ、最近起こっている連続殺人事件の内容と酷似するため、同一犯の可能性がある、ということ。
え? 同一犯ってわかってんなら、それ、特定されてんじゃねえの? と思ったが、犯人がどこの誰で何という名前か、がわからないと特定とは言えないのかもしれない。
「志津馬君、気になるのか?」
「いえ、ただ耳に入ってきたので、コーヒーの肴に見てただけです」
そう、こんなどうでもいい伏線は熟すだけでいい。それよりも、
「お疲れ様でーす」
暢気そうな声が奥から聞こえてきた。
「おつかれ。着替えたらそこのケーキ頼むよ。三番のテーブルだからね」
メデューサマスターの声だ。
「はーい」
暢気そうな声は間の長い返事をする。
またバイトの子か。これで三人目だ。そう考え、すでにシフトに入っている二人のウェイトレスを見る。気付かれないよう横目で。
店に入ってからずっと気になっていた。もう何て言うかチラチラチラチラ盗み見ちゃう感じで。
部長なら何か知ってるかもしれない。訊いてみよう。
「なんでここ、ウェイトレスの格好がメイド服なんですか?」
フリフリのフリルに、踝辺りまであるロングのエプロンスカート。ハァハァ。ホワイトブリムのレース付きカチューシャ。ハァハァ。黒のソックスに同色の編み上げブーツ。ハァハァ。ゴスロリが少し混ざったフレンチメイドのデザイン、ではなく、一般人を重視したメイド喫茶で見られる、ヴィクトリアンメイドのデザイン。昨今、マンガやアニメで目にするメイド服、それを着た女の子がウェイトレスをしている。ハァハァ。おかしい、このコーヒーなかなか冷めない。ハァハァ。
部長はカップから口を離して顔を上げる。
「私が、そうした方が売上が伸びると提案したんだ」
まあ! 本当ですの? 一介の学生が、店の経営事情に口を出したと言うんですの? にわかには信じられない話ですわね。
「冗談じゃなく?」
「嘘をついてどうなる」
この一杯に誓う、とでも言うように腕を少し上げた。
さっきから真人間みたいに振舞っている部長。だが実際は真人間通信簿メーカーの結果といい勝負だ。そんな人のアイディアを採用した店はどうなったのか。
「で、結果は……」
「私に毎度毎度奢ろうとするくらいは好況なようだ」
困ったものだよ、と続ける。
それであの意地の張り合いか。そりゃ奢ろうとするのも当然だ。すげえな部長。あんな元レディースみたいなメドゥーサに借りがあんのか。なにもんですかてめえ。
そんなこんなで会話にダンロン1のラフレシア? を咲かせていると、
「三番でしたよね?」
「ああ。頼んだよ」
そんなやりとりが聞こえてきた。そろそろ来るかな。
「部長って、もしかしてすごい人だったり?」
カップをソーサーに置いてなんとなく訊く。
なんでもない、と言うように真顔で話してきた。
「そうだな……素人が、冬場に軽装備で富士山に登ろうとするくらいはすごいぞ」
「それ悪い方のすごいですね」
すごい無謀だよ。まず遭難するからね。間違いなくヘリ来ちゃうよ。山は、やはり富士山に止めを刺す、って、それじゃあ富士山に止めを刺されちゃうじゃない。……やだ! わたし同じこと言ってる? ぷっ! あっははー! ボケてきちゃったのかしら? ねえボブ?
「部長のボケ」――おっと間違えた――部長の「ボケ」、を聞き咎めてからカップに口を付けていると、フリフリの気配が近づいてきた。
「お待たせしましたー。カラメルフロマージュとティラミスでございますっ」
甘ったるい声とともに、小皿に乗せられた二つの甘味がテーブルに置かれる。それによりここに――甘味甘露の最強デュエットが完成した。ででん。
来た来た、俺のメルちゃんと部長のミス・ティラノ(部室で俺を食べたいとか何とか言ったことに由来する。多分)。なんて調子に乗りながら、装飾の凝った洋菓子に目を奪われる。
すかさずカップに口を付けた。
(……大丈夫、気づかれてない気づかれてない)
「え!?」
突然、横から声が上がり、
「え?」
それに釣られ顔を向けると――、
「ぶふッッ!!」
「きゃっ!」
吹いた。コーヒーを。
(な、なんで……)
とっさに首を戻したので、ウェイトレスにコーヒーが掛かることはなかった。部長のティラミスも無事。だが、俺のメルちゃんが…………。大惨事です……。
「汚いなさすが志津馬君きたない。しかしあの顔は初めて見たな」
ニヤリ。したり顔で尻目に懸けてくる。
気づかれてたあああああ! よりにもよってこの人に! そしてあのセリフ。……消えたくなってきた。底なしの穴の中に。
ゆるふわロングのウェイトレスは、トレーを盾にするようにして顔を少し覗かせた。必然、こちらまで気の緩みそうな垂れ目と視線が合う。
「な、なんでほうきの人が……」
――それやめてっ!? それ今日のNGワードだからっ!
と言いそうになったが、グッと飲み込んだ。
とりあえず、テーブルに据えられていたナプキンで口と制服、テーブルをフキフキした。フキフキフキ。
フキつつ一カメを見た。
なんでほうきがNGワードかって? それは俺と部長が、部室でほうきを使ってやんごとなき遊びをしていた折に、熱が入りすぎて暴走してしまった俺をこの子が目撃しまったからさ。……思えばあれも運命のいたずらだったのかもしれない。……わけわからん? うん、俺もわけわからんよ。でもキュウべエはわかるって言ってたよ。なんでかな?
フーキィ・フーキィが終わってから。
「ほうきの人はやめて。お願いだから」
今はお客さんがいないけど、あまり大きな声で言われると困るんです。ほら俺、魔法使い見習いだから。「ほうき」とか言われると、一般人に正体がバレちゃうかもしれないんだ。長く厳しい修行の間、正体を知られるのは禁忌とされてるからね。
そんな必死の念話が伝わったらしく、ゆるふわウェーブのメイドウェイトレスは落ち着きを取り戻したようだった。
「う、うん……」
しかし警戒までは解かず、シュバルツ・ブル――シュバルツシルトを下ろす様子はない。
(大丈夫。物分かり良さそうな子だからきちんと説明すれば……)
「ああ! そうか君か! どうりで見たことがあると思ったよ」
ですよねー! そうなりますよねー! 俺、久しぶりに見ましたよー。握り拳で手の平叩く人ー。ポン! ってねー。……ガッッッデァムイット!
そこで牽制球を投げることにした。
「部長、ちょっと黙っててくれますか?」
と。
が。
「それはいやだよ」
………………。
直撃雷を受けた気分になった。
「……さ、さいですか」
そんな他人を見るような真顔で言わなくても……。前回と落差ありすぎて対応に困るんだけど……。
――前回――
「今、読書中なんで黙っててくれませんか?」
と。
が。
「それはいやだ!」
ぷい!
志津馬唖然。
十数秒後、偏頭痛発症。
――以上――
(……ああだめだ。このままじゃ何もかも……)
脳内で途方に暮れていると、渡りに船とばかりに天使が手を差し伸べてきた。
「あの、お二人はあの教室で何をしてたんですか?」
両手で展開したソリドゥス・フルゴールはそのままに、おそるおそる訊いてくる。
すかさず天使に手を伸ばし、
「あれは部長のおふざ――」
「それはもう組んず解れつと言うか……なあ?」
「なあじゃないでしょうが!」
伸ばした手はアザキエルによってはたき落とされた。
「はわわ……!」
そこ! 顔赤らめんな! 違うから! トレーに隠れてないで俺の円らな目を見ろ!
どうやら船は泥船だったらしく、天使は天使でも堕天使だったらしい。なんという巧妙な罠。アザゼルの奸計であったか。……でも俺はめげないんだぞ。
「ち、違うんだ。あれは部長がふざけて変なこと言い出すから、ああするしかなかったっていうか……」
そう、ほとんど部長のせい。多分七対三くらいで。主観で言わせてもらえば三対八くらいで。
「じゃあ、さっき言ってたのは……」
メイドは鼻から上だけそろっと見せる。なんかリスかウサギみたいでかわいく思えてきた。これなんてギャルゲ?
「あれは嘘だって。この人、ちょっとおかしいから」
ちょっと? ちょっとってなんだ。なんでちょっとオブラートに包んだ俺。
と自分の発言に煩悶していると、
「だから私は嘘をつかないと――」
「だから部長は黙っててくださいって言ってるじゃないでt――」
「――だからそれはいやなのっ!」
プイッ!
言い募り、しゃらっと顔を逸らす。
……もう、――誰かこの人どうにかしてっ!?
とんだ強突く張りに半分自棄になっていると、ウェイトレスはトレーを下ろしながら口を開いた。
「そうだったんですか……私てっきり……」
良かった……! わかってくれたみたいだ。これで少しは部長も落ち着くだろう。
「ほうきを使って何か……い、いやらしいことをしてたんじゃないかと…………ふわわっ……!」
だめだあああああああああ! 収集つかねええええええええ! てか! ほうきを使ったいやらしいことってなに!? どんな状況!? そっちの方が気になるわ! もしかして魔法少女モノの薄い本がアツくなっちゃうの!? ゆりゆり!? 敵にヤられる!? それとも触手なの人外なのっ!? 誰か! 誰かどのタイトルかおせぇえてよお!!
事態の紛糾に頭を抱えて天井を仰ぎ、テーブルに突っ伏した。だが、このままではまずいと直感が働き、すぐさま復活する。
いかんいかん。そんな誤解をされたままでは変態という烙印を押されているも同じ。何とかわかってもらわないと。
「違う違う。そんなふしだらなことは一切――」
「ああそうだ。それとも、君には私たちがそんな不埒な行為に興じるように――君、うちの部に入らないか?」
そうそう、俺たちがそんな不埒な行為に興じるように…………え? ちょっと待って……。今、なんて……? ……君、うちの部に入らないか? ……って、え。……え? ……なにそれ。……うちの部に入らないか? ってなに? いきなりなんなの? 「ああそうだ」って、その「ああそうだ」? …………。ああ、そう。…………で? うちの部に入らないか、ってなんなのよ?
「と、突然、なに言ってるんですか部長……」
藪から棒の発言に不意を突かれたが、彼女はそうではなかったらしい。冷静に耳を傾け、部長を正視している。
「どんな部活なんですか?」
童顔なのに割と真剣そうな顔で訊く。いやいや、真面目に受け取らなくていいからね。この人、思いつきで言ってるだけだから。
「お喋りをする部だ」
談話って言えよそこは。腕組んで言ってもそれじゃカッコつかねえだろ。
「うーん……。うん。いいですよ。楽しそうですし」
こっちが清々しくなるくらい楽天的に笑って答えた。決断はやっ! そんな即断即決でいいの!? 人生の分岐点だよ!? この選択で、将来結婚する人が出木杉かのび太に分かれるかもしれないんだよ!? 君、それくらい考えて決めた!?
……あれ? ちょっと待って……。その場合、出木杉かのび太って俺のことじゃ……。ふむ……。ということは俺は出木杉ということか。ならのび太は後から出てくるとして……ジャイアンとスネ夫はどこ行った? ……え? すでにのび太は出てる? なにそれどういうこと? 監督、イケメン枠はぜひ俺にって言ってたじゃん。何がどうなってるの……?
「ほんとにいいの? さっきはああ言ったけど、この人、ホントに変人だよ?」
この際なので直截簡明に言った。ひどいこと言ってるような気もするけど、間違ってないと改めて確信。マジでダリってますわこの人。ダーリンダーリン♪ どこか行って~♪
「でも、他にら――楽しそうな部活ないですし。うーん……うん、やっぱり入部します」
一頻り考えることもなく、ものの数秒できっぱり答えが出た。は、はええ。夏場、台所を飛び回ってるイエバエよりはええ。
「そ、そう……それならいいけど」
楽そうが楽しそうになった。本音が出たな。
「では来週にでも入部届を提出してくれ」
ダリが言うと、
「わかりましたー」
敬礼のポーズ。
(や、やはり天然かこの子……)
「ご、ごめんね。バイト中に」
バイト中の生徒勧誘するとか、どんな神経してんだこのメガネ。少しは人の迷惑も考えろよ。なんで俺が謝ってんだ。
「いえいえ。それよりも、ケーキ、新しいの持ってきましょうか?」
私のせいかもしれませんし、と付け加える。
俺のメルちゃんは黒酢をかけたフレンチトーストの切れ端みたいになっていた。このままではメルちゃんを青春の一ページ的味で甘受せねばならなくなる。なるのだがしかし、
「いや、自分のせいだから食べるよ。これ店長の奢りだし」
俺は決めた。どんなメルちゃんも愛そう、と。
別に店長が怖いわけじゃない。店長が黒濁液塗れのケーキを見て、「アタシの好意を受け取れないってわけかい。へえ、いい度胸だねえ」なんて言うのを想像したわけでもない。俺が怖いのは、店長の好意に泥を塗ってしまったこと、それを知られることなのだ。だから決して、メデューサ姉さんが怖いわけではない。うん。うんうん☆ もひとつうん♪ ついでにたん♪ たんたん♪ もひとつたん♪ んぅーそれ、うん♪ たん♪ うん♪ たん♪ うん♪ たん♪ うん♪ たん♪ うん♪ たん♪ うんうん♪ たんたん♪ うんうん♪ たんたん♪ うーーーん、たたん♪ ――はい! おれたんのがんめんふんさいこっせつのできあがりーぃ!
「そうですか、わかりました。何かあれば呼んでくださいね」
そう言って、フェリシアは仕事に戻っていった。大丈夫かなあ。なんかあの子が加わると……。いい子なのは間違いないんだけど。
杞憂に終わってほしい不安要素を危惧していると、ほくそ笑むような声が出し抜けに響いた。
「ふ、計画通り……」
口の端を釣り上げているキラに対し、oLeは告げる。
「ライト君、お客さんがいる時にその顔をしたら、ワタシ問答無用で逮捕しますので」
ドヤヤヤァ。
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