第21話「ArcHive3」

 座してから数分が経過した。

 俺は高度な物理の本をめくっている。タイトルは「物理のシャンプー 力学・波動編」。読み進めるごとに頭を締め付ける万力のネジが回っていく、それほどに興味深い内容だ。

 にしても、シャンプーというタイトルが甚だ以って疑問である。シャンプーだと、きれいさっぱり洗い流されてしまうと思うのだが、気のせいだろうか。些事に囚われるべからず、という意味だろうか。……ふむ。よし、わかった。流すことにしよう、疑問と文字を。

 そういったインテリ擬の思考にも、読んでいるふりにもいい加減飽きてきたのが現状である。

 部長はずっと静かだ。あれから一言も喋ってはいない。未だ俺に気付いた様子はなく、話しかけてくることもない。


「ぷくくくくくくくく」


「!?」

 突然、隣の机から声が聞こえてきて、一方ならず驚いた。

 気を落ち着け視線をやると、見も知らぬ校友が腹と口を押さえて笑い転けている。

 もしや。そう思って顔を向けるが、部長はさっきと変わらず、血眼になって図鑑を睨んでいた。


「ははははそうかそうか。そんなにお前は私とにらめっこがしたいのか。よーしよしよし……。だーるまさん、だーるまさん、にらめっこしましょ、笑たら負けよ、あっぷっ――ブフッ!」


 蛇だろうか。今はページが見えないのでわからない。ないしは蛙かもしれない。


 部長はくすくす笑っている。件の生徒も同様だ。


「いやあ、マジ吹くわー。さすが福さんだわー」


 もしやふくろうなのか? はたと思った。


 それにしてもおかしいな。何かしていると思ったが……。そう考えながらも、ひとまず視線を本に戻した。


 波動編。波動。波動。……だめだ。どれだけ波動方程式を見ても、次元波動爆縮放射機のことばかり考えてしまう。波動という漢字が伊達すぎるのがいけないのだ。


「いひひひひひひひ」


 また隣から声が上がった。今度は机に伏して体を震わせている。

 すぐに部長の方を向いた。しかしさっきと様子は変わらない。あたかも本の虫の如し、を体現しており、こちらにはまったく気付いていない……ように見える。


 頁に視線を落とす。


「いひひひひひひひ」


 だんだんと老婆の魔女がせせら笑ってるようにも聞こえてきた。

 顔を上げる。変化なし。


 本を見る。


「いひひひひひ」


 上げる。

 戻す。


「いひひひ」


 上げる。戻す。


「いひひ」


 上げる。

 戻す。――と見せかけて上げる! 


「いひひひひひひひ」


 パチパチパチパチパチパチパ――


「――あ」


 ウィンクをしていた。連続で。『私に気付いて』とでも言わんばかりの表情と、アイドルのやる、首を傾げたポーズで。

 頭に虫が湧くかと思った。手遅れだった。


「……。何やってるんです」

 そう訊くと、さも当たり前のように、


「ん? ちょっと目にゴミが入ったみたいでね」


「ぶっ!」


 女子が吹いた。あんたさっきから受けすぎだよ。そのうち注意されるぞ。


「周りに迷惑です。さっきだって女の子が――」


「ああ、あの子にはひどいことをした……」


 目を閉じ、肘をついて顔の前で手を絡ませる。一昔前の映画かドラマにありそうなセリフとしぐさだ。(……ゲンドウさん、ゲンドウさん、おいでください)


『人は思い出を忘れることで生きてゆける。だが、決して忘れてはいけないものもある』


 オー・マイ……オー・マイ・ゲンダォウ……!


『冬槻、あとは任せる』


「ああ。唯君によろしくな」


『ああ』


 え。え? えッッッ?!!


 Calm down, calm down(魔手がそんな感じのことよく言ってた。意味は違うかもしれないけど).


「トラウマものですよあれは」


 あの子が中学か高校に上がった時、言い知れぬ恐怖に駆られて不登校にでもなったらどうする。あんな、将来有望なロリ美ゲフンゲフンキュートな子が。


 言うと、部長は絡ませた手を解き反論するかのように、


「違うんだ。最初はちょっとからかうつもりだったんだ。だがあの子の反応が面白すぎてな、つい度を超えてしまった。……後で謝りに行かないとな」


 最後のもなんか聞いたことあるな。わからんけど。


 それはともかく、余計、質悪いよそれ。わかっててやったってことだろ? いたずら小僧か。デニスみたいに狙うのはウィリーさんだけにしろよ(このネタがわかるあなたは魔法使いですか? それなら弟子にしてください。メンター!!!)。


「そうしてください。とにかく、周りに迷惑をかけないよう頼みます」

 ってあれ? おかしいな。この言い方だと、俺ならどんどんオーケーよ? みたいに聞こえるのはなぜ? いやいや、周りっていうのは俺も含めてって意味でさ、どんと来いってことじゃないのよ。なんで俺だと大丈夫、みたいな流れになってんの? おかしいじゃない。ちょっと! 責任者出しなさいよ、責任者! 


 時間は凍結する。


「作者ですが、どうしました?」


「往生せえやぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 突然現れた、コンピュータのブラウン管モニターらしきものを被った人物は、音もなく刀で斬られ、肩口からぱっくりと裂けた傷口から、噴水のような血を辺りに撒き散らして倒れた。


「ふぃー! これで少しはすっきりしたかな?」


「今時そんなベタなセリフを叫びながら斬られるキャラがいますか? コメディ以外で」


 斬られたはずの者は、自分が斬殺されたことなどなかったかのように五体満足であった。撒き散らした血なども跡形もなくなっている。


 志津馬が蠅を追い払うようにしっしっと手でジェスチャーをすると、


「でしょうね。それでは」


 と言ってモニター頭の者は雲散霧消した。


「……Fuck. 自己顕示欲の塊が……」


 空間は融解する。


 素朴な疑問は露知らず、部長は「キルキンチョ!」と返事をして図鑑に視線を落とした。





         ◆





 それぞれがそれぞれの目的のため、意識を一点に集中する。その、どこか不思議で静謐な空気の中、


「いひひひひひひひ」


 あぁ、またか、またなのか。ホント、期待を裏切ってくれないよね……。


 ――ボツもらったところのダイジェスト↓――


 あー。えー。ここから下は個人的にも面白くなく、作者が自分のミジンコタレントに納得がいかないらしいのでダイジェストでお送りするよ。ではどうぞ。


 基本的にはさっきやったことと変わらないし、今までやってきたことと何ら変わらないんじゃないかな。

 部長がふざけて、俺が振り回されて……っていう同じパターン。それも削ることにした一因でもあるね。

 映画製作では定番らしいけど、冗長な部分とか、面白くないところ、余計なところを削る作業ってとても重要みたいだ。まあ、それは何にでも言えることかもしれないけど、映画においては観客を飽きさせないために特に重要らしい。これもそれと似たようなもんだね。要らないところは削除するし、面白くないところは何らかの処置をする。作者の作品の場合、ハードディスクごと復元不可設定で全削除しないといけないレベルなんだけど、仕方ないよね。才能も経験も努力も何もかもが足りない、ないない尽くしの他人の作品にゴチになることしかできないぐるぐるナインリィナイン・アンド・つくしちゃん状態なんだから(今、君が想像したグルメバラエティや、コンクリーロード映画とは何の関係もないよ?)。

 おっとごめん。また要らないことを長々とくっちゃべるところだった。

 この先の文章を一文に集約すると、次のようになる。

 部長がペーンデヤルートアブナイヨー(一時期流行ったアレね)を仕掛けてきて、俺がそれを無視し続けて、隣の女子がそれを見て笑いまくって、で、最後には俺が神になる。

 どう? わかったでしょ? この先が削られた理由が。

 ウィットに乏しい、意外性もクソもないただの与太話(与太郎が作った話)。

 わーお! なんてこった! この作品全部が! 与太話だったよ! ネタバレ全部しちゃったみたいなもんじゃないか! ははは。これでこの作品を読み続ける意味がなくなったかな。それじゃあここで本? を閉じちゃおう。そうすれば君の大事な時間を浪費させなくて済む。それに俺から一つアドバイスすると、……この作品は最後まで読まない方がいい(小声)。なぜかって? それはこの作品を読むと、『変身』を読んだ時みたいにオカシクなっちゃうかもしれないからだよ(余談:ライダーの「変身」はこの作品のタイトルに由来するんだって)。まあ、『毒虫』には到底及ばないけど、多分、毛虫か芋虫くらいにはオカシクなっちゃうかもしれないね。尺取虫とか(俺はあのクレイアニメが大好きだ)。

 実を言うと、この作品の作者はバイオ7のエヴリンなんだ。ごめんウソ。正確にはエヴリンと同じじゃない。エヴリンは、「どうしてみんなわたしを嫌うの?」とか何とか言ってたけど、作者はその理由を自覚してる。わかってて周りにヴァイルスを撒き散らしてるんだ。エブリンとは違うベクトルで質が悪いよね。

 どうしてこんなアドバイスをするのかと言うと、俺は作者にほんの少し残った――良心の残滓だからさ。いわゆるビフィズス菌(善玉)ってやつかな。作者のブドウ球菌(悪玉)を癌とするなら、作者はそのカニさんに体の半分以上を貪り尽くされてる。つまり俺たち善玉や善悪に属さない部分が、そのキャンスァー(水中型MS)に丸齧り(クローで捕獲されてコクピットに魚雷を撃ち込まれる)されようとしてるってわけ。いずれ全部食い尽くされて、多分、最後には悪に目覚めた「どくどく」持ちのエグイキョダイキングラー(ハサミギロチン覚え済)になっちゃう。

 何が言いたいかと言うと、この作品を最後まで読んでオカシクなったとしても、ブドウ球菌は責任を負う力がないし、一切関与しない、自分は警告した、あなたが選んだことだ、なんて言うつもりってこと。逃げるつもりなんだよ、ヤツは。

 まあ、オカシクなるかどうかは眉唾もんだし、それもわかる人にしかわからない代物かもだし、大抵の人は「なんだそんなこと? 白けた」とか、「何言ってんだこいつ」、「頭イってるぞこの作者」、とか思っちゃうんだろうけどさ。でも可能性はゼロじゃないんだ。種は蒔かれてしまう。何の可能性か? オカシクなる可能性じゃないぜ? ――共感してしまう可能性、だよ。多分だけど、共感してしまうと、オカシクなる可能性は高くなると思う。それでも、共感してしまっても本をポイ捨てする可能性の方が断然高いんだろうけど……。……それでもまだ読む? 読んじゃう? そこまで警告する価値もないかもだけど。

 …………。

 オーケー。わかった。でも一つだけ約束してくれ。もしコレを最後まで飽きずに読んだとして、――悪い方向へ向かわない、と。既に悪い方へ進んでいても、それを悪化させたりしない、って。

 それだけ。俺からはそれだけさ。

 クソ話を長ったらしいクズ話で勿体ぶって悪いね。

 じゃあ続き。とりあえずペーンデヤルートアブナイヨーのところだけ抜粋してお送りしようか。


 みんな。考えるな、感じるんだ……! ユニコーンの角の先っちょで……!


 ニコ動の恐るべきネタ、恵方巻デqueue!





 ピンク髪がなぜ強いのかを悩んでいたら、視界の端に物体Xが。

 ……匍匐前進。

 志津馬は緑のベレー帽を脱いで、棺の中で両手を組む友に、借り受けていたへこみのある幸運のコイン(純度九十九点九八%の鉛製)を握らせてやった。


「今更だが……疑ってすまなかった……。確かにそれは幸運のコインだったよ……」


 そのコインは戦場で志津馬の命を奇跡的に救ったコインであった。



「いひひひひひひひ…………ひぃーふぅーみぃーんー……」


 やめたげてよお! もうあの子の腹筋は崩壊済みよ! と闇アイリスが言った。

 いや、ここで「何してんだ!」と叱ってもいいんだけど、俺は将来寛容なお父さんになりたいので、気づいてないふりに徹しようと思います。ハイハイしてる頃はあたたかく見守ってあげないといけないって言うしね。


 一児の親になる覚悟を固めていると、背中に寒気を感じた。

 背後から這い寄ってきたそれは、背中に沿って何かを動かし……。


 ほてっぷー! 


 肩の辺りで動きを止めたかと思うと……。


 ポンポン。


 そこで勝利を確信した。


 トントントン。


 無視! 


「くくくくく……!」


 タンタンタン。


 黙殺! 


「ふふふふふ……!」


 ペシペシペシ。


 知らんぷり! 


「ぷぷぷぷぷっ……!」


 テシテシテシ。


 素知らぬ顔! 


「ひひひひひ……!」


 バンバンバン! 


 ネグレクトゥッ! 


「へへへへへ」


 バシッバシッバシッ! 


 俺は……神だ。


「いひひひっイチチチチチッ……!」


 …………。


 延々と無視し続けた結果、肩を叩く手が止んだ。


 勝利! 勝負! 勝った! 勝! フハハハハハハハ! バルカディア・NEX召喚!


 勝利の余韻に浸っていると、


「ぶふっ!」


 両頬にぴと、という感触。さらに、


 ツンツン、ツンツン。


「ふひひひひひひひっ」


 あははぁ、なんで両側に感触があるんですかねえ? おかしいですねえ? 


 って――。


「――それ反則だろうがコラァッ!!」


 手をはねのけ立ち上がった。そして脳天に手刀を叩き込もうと思い切り振り上げた直後――、


「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」


 バンバンバンバンバンバン! 


 振り下ろされたのは彼女の手で、ゆえに俺のそれが空を切ることはなかった。


 ……どんだけ笑うねん。





         ◆





 作者の文章力が改めて劣悪だと判明したにもかかわらず、この自慰小説を未だに読んでいるあなたの忍耐力、もしくは受け流す力、ないしは純粋さは、少なくとも人並み以上だと思われます。そのどれもが人生において成功するための鍵であり、アイデンティティであり、育んでいかなくてはならないものです。それを失くしてしまった時、あなたは人生という道程で灯りを見失うでしょう。

 ご存知のとおり、ほとんどの人生は、味気のない粉の塊の間に薄い肉や卵などを挟んだものです。……面白くないですね。すみません。

 魔女の砂はおいしいですか? 勝ち組の残飯で妥協して幸せですか? それを幸せと思い込まれなければ生きていけないと? ほぼ際限のない富など、欲望と同じでキリがなく、有って無いようなものだと? ……諦めが肝心ですよね。しかし本当にそうでしょうか。諦めは肝心と、どれだけ自分をごまかしても、納得させた気になっていても、心のどこかで願ってはいませんか? ……なにか素敵なことが起こらないかな? とか。いつか報われる日が来るかもしれない、なんて。自覚してなくとも、無意識にその方向へ向いてしまうのが人間です。たとえその上で、後ろや下に進んでいたとしても。体が別方向へ進んでいても、心のどこかは願いの方角へ向くもの。大抵の人間はそうらしいのです。……これは少し面白いことかもしれません。

 ではなぜその願いが叶わないのか。自分の願いが叶うということは、誰かの願いが叶わないから? 人が増えすぎたから? 人の進化が遅延または停滞しているから? 全て正解と言えるでしょう。ありきたりな、面白くも何ともない模範のような解答であり、使われ過ぎた解答〈こたえ〉です。それなら別の考えを。これもありきたりな、面白くないものですが。

 願いの力が足りないのです。……いえ、それでは間違いですね。才能と願いの力が足りない、これがより正しいと思われます。どれだけ願いが強く、どれだけ努力しようと、才能がなければ花開かない。どれだけ才能に恵まれ、どれだけ天に愛されようと、望まなければ、必ずしも成功するとは限らない。どちらもなくては。

 それならば……。私達は、生を受けたときから既に決まったレールの上にいる、ということになります。しかも分岐器の数は限られているのです。親が選べる世界であればいいのでしょうか? それとも遺伝子学の研究が進めば様変わりするでしょうか。果たして、そんな世界は到来するでしょうか? 科学の進歩も、種としての進化も、停滞した世界に。人間は限界なのです。体も、心も、社会も。あなたも、人類は明らかに余裕がなくなってきていると感じていませんか? タイムリミットは残り少ないのだと。社会が崩壊することや、地球が破壊されることだけが絶滅ではないのです。それらだけがタイムリミットではないということです。先述した、人類の余裕――それらがなくなった時が――タイムリミットなのです。それは言わば、「絶滅の確定」です(これもありきたりですが)。絶滅の確定――それ即ち絶滅、とは言い過ぎでしょうか。

 支えていたもののどれかが修復不可能なほど崩れてしまった時、破綻してしまった時、それは連鎖するでしょう。大きなビルが倒壊するように。人が人を殺めるように。戦争を繰り返すように。感情が怪電波の如く伝播するように。全てのものが繋がり、そして循環するのなら、破滅もまた循環するのが道理でしょう。死は等しく訪れる、とも言います。意味が違いますか。では均しく、とすれば? または斉しく、齊しく、とすれば? 齊しく…………齎す、と似ていませんか? いえ、思考の超飛躍ですし、別の漢字なのですが。けれども、齊しくと齎すを掛けるのも、ほんの少しだけ面白いのではないかと考えたのです。どうでしょう、面白いでしょうか? そうであれば幸いです。

 長くなってしまいました。すみません。

 それでは、このあたりでお暇をいただきましょう。

 人は休まなければ働けません。働かなければ食べていけません。食べなければ生きていけません。

 “殺”さなければ、生きることはできないのです。


 あなたは何を食べますか?


 魔女の砂か、人か、肥え太った家畜か、それとも――。

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