重症だな………。
ピロピロピロピロ……——
目覚魔しが申し訳程度に鳴っている。
クロードのベッドの奥、仕切りの向こう側。アトリアのベッドだ。
寝起きが良い方では無いアトリアだったが、昨夜は遅番で明け方近くに帰ってきた筈のクロードを起こさぬよう、直ぐにアラームを止めた。
今日は朝から食堂の手伝いのため早くに起なければならない。覚醒とは程遠い体をゆっくり起こすと、瞼が上がらないままその場へお座りした。
枕元に用意してある服を寝惚けたまま身に付けると、再び体がゆらゆらと揺れ出す。
「……コラ」
頭の上から声が降ってくるのと、アトリアの体が抱き留められるのが同時だった。
「……アレ?」
全く瞼の開かない顔を向ければ、呆れ顔のクロードがアトリアを見下ろしている。
クロードは決して覗きに来たのではない。アラームが止まって大分経つのに、ごそごそ音がするばかりで一向に寝室から出ていく気配のないアトリアを起こしに来たのだ。
案の定、ぐらぐら揺れていた体はクロードが腹でアトリアの顔面を受け止めなければ、そのまま床に一直線だったかもしれない。
「遅刻するぞ」
優しい声色に頬をすり寄せたくなる衝動を押さえながら、アトリアはとっくに眠りに就いていると思っていたその人を見上げる。
「起こしちゃった?」
「いや。目が冴えて眠れなかっただけだ。……ほら、早く起きろ」
「…ふん…眠たい…」
「ふんって何だよ……前から思ってたけど、ホントに猫か?」
「猫だもん」
言いながらクロードへしがみつき、腹へ顔を埋めるアトリア。
その頭を撫でながら、クロードはムラムラと沸き上がる欲望と必死に戦っていた。
あー……可愛い。
…もう、どうしてくれようか。
一部だけ色の違う前髪がさらりと揺れ、眠そうな黄金色の瞳が覗いている。
……本当に、どうしてくれようか。
そっと前髪をのけると、露になったオデコへキスを落とした。
「!?」
途端に目が開かれ、みるみる頬を染めて見上げてくる。
驚いたようで、口がぽかんと開いたままだ。クロードもつい出来心だったのだが、覚醒効果は抜群だったようだ。が、そんなに凝視されるとこっちが恥ずかしくなってくる。
「目、覚めたか?」
ふわりと表情を崩して此方を見つめるクロードを見上げたまま、アトリアは首だけで頷いた。
「ほら。遅れるぞ」
「はっ!! そうだった!!」
アトリアは慌ててベッドから起き出すと、手伝いへ向かう準備を始めた。
顔を洗う間も、身支度を整える間も、クロードの唇が触れたオデコが、ずっと熱いままだった。
「昼飯いるからって、母さんに伝えてくれ」
玄関でアトリアを見送る。
「うん、わかった」
「気をつけてな」
「クロさん、ちゃんと休んでね! いってきます」
扉が閉まるのを見て、クロードは短く息を吐き出す。
重症だな……
気を抜けば、この腕に絡めとってしまいそうだ。
アトリアが嫌がる事は無いだろうが、何せ自制が利く気がしない…。
大人の男を装ってはいるが、いつ化けの皮が剥がれることやら。
年の差を考えれば尚更、幻滅させたくはない。怖がるような事もしたくない。
それを考えると、どうしても色々と躊躇ってしまう。
今度は深く息を吐き出す。
何とももどかしい。
体は疲れている。横になれば眠気もくるかとベッドへ入り目を閉じるが、時間ばかりが過ぎていくのみだった。
昼過ぎ。
昼食をとろうと食堂へ向かえば、レオニと出会した。彼も昨夜は同じ時間帯の勤務だった為、非常に眠そうな顔をしている。
アトリアとの事は直ぐに話したし、心配させた詫びも入れてある。散々ロリコンだの羨ましいだの文句や妬み嫉みのオンパレードだったが、いつもの事なので特に気にしていない。
食堂の入り口を開けて中に入ると、昼時とあって中々に混んでいた。無意識にアトリアを探せば、隅のテーブル席で若い男達に絡まれていた。
イラっとしたが、前回の事があるので一旦落ち着く。向こうは仕事中だし邪魔するのは駄目だと思っていたが、その内の一人がアトリアの腕を掴んだ。
ケモミミが萎れているな。
あれは困ってる顔だ。
そう判断してそちらへ向かう。
「おい! クロード!」レオニの声が耳に入ったから頭は冷静だ。前回の二の舞にはなるまい。
近付くにつれ、クソガキが明日の祭り最終日に上がる花火にアトリアを誘っているらしい内容が聞こえてくる。
「いいじゃん! 一緒に行こうよ」
「すみませんが仕事中なので……」
「おねーさんどうせ明日休みなんでしょ? 寂しいオレを助けると思ってさぁ、付き合ってよ」
「ですから——」
「おい」
アトリアの頭の上からクソガキを見下ろす。
『くま』と呼ばれるだけあって上背はある。有り難い事にその辺の奴よりはガタイも良いし上背もある。
こんな時には都合の良い体つきをしているのだ。そこは大いに利用する。
「「え?」」
突然降ってきた低音に驚いた若僧は、生意気にもアトリアとハモってクロードを見上げた。
「離せ」
「クロさん」
本当に困っていたようで、アトリアの表情からは安堵が見て取れた。
「なっ、なんだお前!?」
「触んな」
尚も白い腕を掴んでいるその手首を自慢の握力で締め上げる。
「いで、いでででででで」
ようやくアトリアの腕を掴んでいた手が離れたが、構わずそのまま締め上げる。
「悪いが彼女の予定は死ぬまで全て埋まってる。お前に割く時間なんて一秒も無い」
「なっ、なっ、なんでお前に! 痛い痛い!!」
「俺んだ。汚い手で触んな」
「…っ!」
騒がしい事に気が付いたのか、奥からベリエやシエロもやってくる。
周りの客の目が集まって来た事に半ば呆れたレオニも仕方ないとばかりにやってくると、クロードが捕獲した若僧の顔を見て「あ!!」と声を上げた。
「お前!! この間酔って暴れてヤマさんにシバかれた奴じゃねーか! また懲りずに騒ぎ起こしてんのか!!」
ヤマさんと聞いて、若僧の顔色がみるみる青くなっていく。
それを見逃さなかったクロードは恐ろしげに表情を歪めた。
「ほぉ? 確か今日はヤマさん出番だったな。そんなに暇で寂しいなら俺が今直ぐ詰所まで付き合ってやる」
「えっ? えっ?」
若僧の顔色が青から紫へと変化していく。
余程の目に合ったのだろう。ヤマさん一体何やらかしたんだ? と思ったが、今回はそれが効き目を表している。
「お前ら完全に営業妨害だ。こりゃ調書もんだな!」
「知ってたか? 調書は兵士を指名出来るんだ。もちろんお前らのご指名は——」
『ヤマさん』に震え上がった若僧は、必死のクロードの手を振り解くと、逃げるように食堂を飛び出して行った。同じ席に座ってニヤニヤしていた二人も一緒だ。転がるように飛び出して行った。
これで少しは懲りてくれればいいのだが。
「ったく。どうしようもねぇな」
溜め息を洩らしてクロードを見たレオニは、くまどころか鬼の形相だった表情が、もう既に激甘へと変化しているのを見て、再び溜め息を洩らした。もしも手にエールを持っていたなら、間違いなく半分は溢していただろう。
クロードは頬を染めて放心したようにこちらを見上げるアトリアを見つめた。
「大丈夫か? 怪我は? 腕は痛くないか?」
「え? あ! うん、大丈夫。ありがとう、クロさん」
「良かった。もしまた来たら俺の名前出せよ」
「ふふ…そうする。後、『ヤマさん』もね」
「そうだな」
「お昼ご飯は何にする?」
「アトリアのオススメで」
「わかった! レオニさんは?」
急に話を振られたレオニが「え? 俺?」等と慌ててふためいているのを余所に、クロードは意図せず空いた目の前の席へさっさと座った。転がるように逃げて行った彼らは、まだ注文前だったようでテーブルの上は綺麗なもんだ。
アトリアが厨房の方へ下がると、レオニがどっかり正面の椅子へ腰掛ける。
「可愛いなぁ……アトリアちゃん……」
「やらんぞ」
遠い目をしているレオニに言い放つ。
不敵な笑みすら浮かべるクロードに、レオニは間抜けな顔を晒した。
本当にあのクロードか? と疑いたくなる程の別人ぶりに、そりゃぁこんな顔にもなるだろうと言う顔をしている。
「このロリ——」
「聞き飽きた」
盛大に舌打ちをして不貞腐れた友人に苦笑しながら視線を上げると、丁度アトリアが定食を運んでくる所だった。
クロードの前に盆ごと定食をおくと、レオニに向かって声をかける。
「レオニさん、彼女さん来てますけど、いいんですか?」
「彼女?」
不思議そうにアトリアの視線の先を見たレオニが固まった。
そういやフラれた事、アトリアに言ってなかったな。そう思ったが、クロードもアトリアの視線の先を見て驚く。
食堂の入り口に、レオニを捨てた筈のステラが立っていたのだ。
「おいレオ…——」
いつも軽いあのレオニが固まったまま入り口を凝視している。初めて見る姿に驚いたが、静止画のまま一向に再生しないレオニ。
そんな彼の姿にアトリアも困惑しているのか、彼女とレオニを交互に見ている。
クロードは少し腰を浮かすと、レオニの額にデコピンを食らわせた。
「いっ…てぇ……」
「何固まってんだらしくない。早く行けよ」
「あ、あぁ…分かってる……」
歯切れ悪くも彼女の元へ向かうレオニの背中を見送る。やがて言葉を交わした二人は店の外へと出て行った。
アトリアへ視線を戻すと、目が合った途端に視線を彷徨わせている。何となくもじもじしているように見える。その理由が分かったクロードは、ふっと口元を緩めると伝えようと思っていた事を口にした。
「明日、夕方から回るのでいいか?」
「え?」
「祭り。最後だし、花火見るだろ?」
「……っ……! いいの?」
「ああ。アトリアに見せてやりたいと思ってたしな」
頬がみるみる色付いていく。
ケモミミもひくひく。分かりやすい。そして可愛い。
「音が大きいけど、平気か?」
「クロさんが一緒なら!」
……もう、どうしてくれようか。
今すぐに抱きしめてしまいたい衝動を必死に抑えて匙を手に取った。スキップでもしそうな勢いで戻って行くアトリアを見送り、クロードは昼食を平らげに掛かる。
盆ごと置かれた定食の中央には、様々な具材が入った『煮物』が鎮座している。じっくり煮込まれたであろうそれはいい具合に味が染みていそうな完璧な色味をしている。
少ししてニヤニヤしながら戻って来たレオニの「明日デートになったからもう一回よりを戻せるようにアタックする」話を、右から左に受け流しながら食事を堪能した。
浮かれてんな。
嬉しそうなレオニに適当な相づちを返す。
自分も人の事が言えない自覚があるだけに、クロードはそれを口に出すことはしなかった。
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