30話——望んだ世界で
長い休養がもう直ぐ明けようとしている。
鈍った身体を筋力トレーニングで叩き起こす。
アトリアはベリエの食堂を手伝いに行っている為、クロードは一人の時間をトレーニングに当てている。
上半身を鍛えながら、これからどうしようかと考えていた。
復帰するべきかどうか。
職場からは戻って来いと声を掛けて貰っている。
負担の少ないような部署へ回ってもいいと。
そう言って貰える事は本当に有り難い。
あの露店の店主もとい国家魔術士は、今後の保証をすると言ってくれていたし、少なくとも生活の水準は落とさずに過ごせるかもしれない。
ただ、再び同じような事が起こったら…
アトリアを残して行けるだろうか。
この足で帰って来られるだろうか。
二度と仕事の出来ない体になってしまったら。
これ以上アトリアに負担を掛けたくないのに。
一人で居ると、どうしても良くない考えばかりが過ぎってしまう。
迷う理由はもう一つあった。
先日リングを受け取りに、工房街の親父さんの店へ行った時だ。
「クロード。お前、その足で復帰するつもりか?」
直球の質問に狼狽える。
「…正直なところ、迷ってるんだ」
どうするべきか答えはまだ出ていない。
「実は俺の知り合いが弟子を探してる。そいつもひねくれてるばっかりに、嫁も息子もいなくてな。継ぐ奴がいねーんだとさ。家具屋なんだが…興味ねぇか?」
「…え…」
「身体は使うが、兵隊よりかはマシだろう? やるなら紹介状書いてやる。ただし、場所が鉱山近くのバハラって村だ。この街を出る事になるが、どうする?」
思ってもみなかった話に、直ぐに返事が出来ないまま、考える時間を貰ったのだ。
願ってもない職人への道。
物を作る事が好きなだけに興味はある。
兵隊のような訓練は無いだろうから、義足への補助魔法できっと出来ない事はない。
ただ、この街を出る……
その事がクロードの気持ちに迷いを生ませていた。
アトリアの事を思うと、どうしても決断が出来なかったのだ。
「ただいまー」
手伝いを終えたアトリアが帰って来た。
「おかえり」
居間の入り口で出迎えると、パタパタ駆けてきたアトリアが腹へしがみついてくる。
ケモミミが覗く頭を撫でると、それがピクピクと動き手を払う。
「お疲れさん」
薄らと頬を染めて此方を見上げる黄金色に愛しさが込み上げる。
一部だけ色の違う前髪をそっと避けて、露わになったおでこへ唇を押し付けた。
黄金色と視線が交わる。
あぁ…不満そう。
クロードを見上げるその瞳は『それだけ?』と言っている。
ケモミミをピンと立てて、真っ直ぐに此方を見上げるアトリアが、可愛らしくて愛しくて仕方なかった。
そっと頬へ触れると顔を寄せた。
焦らすように鼻先が触れれば、せがむように細い腕が首へと絡んでくる。
思わずクスリと笑みが漏れる。
本当に、可愛いくて仕方ない。
クロードに比べれば小さな体を胸に閉じ込めキスをした。
この温もりを失いたくない。
アトリアを一人にはさせたくない。
辛い涙を流して欲しくない。
寂しい思いも、悲しい思いも、怖い思いもさせたくない。
一緒にいる時間がアトリアにとって少しでも幸せな時間であって欲しい。
小さな物で構わない。
自分といる時間が、二人で過ごせる大切な時間が、笑顔でいられるものであればいい。
いつの間にか真っ赤に染まった頬に、少し潤んだ瞳が見上げてくる。
再び小さな体を抱き寄せる。
背中に腕を回してギュッと抱き締めた。
「愛してる。…ずっと、一緒だ」
「…!!」
小さく頷いた彼女が、胸へと擦り寄るのを感じて、抱き締める腕に力を込める。
迷いが吹っ切れた気がした。
「…街を、出る?」
夕食を食べに来たクロードとアトリアからそんな話を聞かされて、シエロは危うく手にしていたトレーを落としそうになった。
「なんだってまた急に」
エプランを外しながら、二人の前の席へベリエが座る。
「親父さんの知り合いで、跡継ぎを探している職人へ弟子入りする。この足じゃ兵士は続けられないから、世話になる事にしたんだ」
「そうかい」
「その工房があるのが、バハラって小さな村らしい。そこに移り住んで修行する。だから王都を離れる事にした」
「それじゃ…」
シエロの不安気な顔がアトリアへ向けられる。
「アトリアも連れて行く」
「折角雇って貰ったのに、ごめんなさい。でも私、クロさんともう離れ離れにならないって決めたの。だから、一緒に行きます」
この話を切り出した時、アトリアははなから付いて行くと決めていたようだった。
真っ直ぐにクロードの目を見て、なんの迷いも無く共に行くと言い切った。
知り合い等いない、一からスタートするにも拘らずだ。
アトリアだけここに残ってもいいと言う案は却下された。
一番側でクロードを支えると心に決めていたと言うのだ。
それを聞いて、クロードの覚悟はより強固な物になったのだ。
「………」
「寂しくなるけど、仕方ないねぇ。二人がそう決めたのなら私は応援するよ。頑張りな」
「…ありがとう」
「なに、今生の別れでもあるまいし、いつでも遊びに来れるだろう。たまに顔見せにおいで」
「はい」
俯いたまま何も言わずにいたシエロへ、アトリアが近づく。
「シエロちゃん、ごめんなさい。相談も無しに決めてしまって。だけど、私はシエロちゃんの事、本当のお姉さんみたいだと思って大好きだよ」
顔を上げたシエロが、今にも泣きそうな表情でアトリアを抱き締める。
「私だって…私だって、アトリア大好きだよ!! 強いとこも、可愛いとこも、泣き虫なとこも…大好きだよ……大好きだよ…」
「シエロちゃん…」
二人で抱き合いながら、ポロポロと涙を溢している。
ベリエは目頭を押さえながら、クロードと共にそんな二人を見守っていた。
その後、クロードは退職届を提出した。
兵士長からは「本当に良いのか?」と聞かれたが決意が変わる事はもはや無い。
退職届が受理されると、国から退職金が支給された。
あんなに沢山の金貨を目にしたのは生まれて初めてだ。
流石に持ち歩くのは恐ろしく、王都中央銀行に預けて、いつでも引き出せるようにと、カードを作成して貰った。
魔力を使って作成されたそのカードは、作る際にクロードの血液が使われている為、落としたり失くしたりしても不正に使用されることが無いらしい。
実際に使われた血液は指の先から垂らした一、二滴程だったのだが、「カードを作るから血を寄越せ」と言われた時には、流石に目の前の担当者を二度見してしまった。
その手続きをしてくれたのは、もはやクロードとアトリアの専任担当者と言っても過言ではない彼だ。
宿舎を出る手続きも一緒に済ませて貰う。
ぼそりと「寂しくなりますね」と言われた時には、二人で顔を見合わせてしまった。
引っ越しの準備もほぼ完了し、数日後に王都を出ようかと言う頃、クロードがレオニから呼び出しを受けた。
行き先は二人で脚繁く通った『ママ』の店だ。
いつもの席に座り、グラスを掲げる。
一年に一度の記念日では無いにも関わらず、ママはクロードが毎年楽しみにしていた良い酒を開け、『煮込み』を馳走してくれる。
しんみりやるのかと思いきや、しばらくすると苦楽を共にしてきた兵士仲間達が次々に店へとやって来る。
然程広くない店内はたちまちむさ苦しい野郎共で溢れてしまった。
「最後くらいゆっくり呑みたかったよ」
クロードが零すと、レオニが笑う。
「そんなタマじゃないだろう? それに最後でも無い」
「まぁ、そうか」
クロードの隣にリントが座った。
瞳は心無しか潤んで見える。
飲んでいるのか、頬が薄ら染まっていた。
「俺、兵士辞めませんから」
「そうか」
リントの目に映るのは、穏やかに微笑むクロードの顔だ。
ここ一年で明らかに柔らかさと包容力の増した、リントが憧れる大人の男の一人だ。
「くまさんみたいになれるまで、絶対続けて行きますから」
「じゃあ、まずはレオニが暴走しないように見張るトコからだな」
「はぁ?」と言う呆れ声と、「それこそくまさんにしか出来ないじゃないですか」と言う抗議の声が重なる。
ははっと声を出して笑ったクロードに、睨んでいた方と睨まれていた方が呆けて顔を見合わせた。
その様子に再び笑いをもらしながら、送別と言うには少々賑やか過ぎる夜が更けて行った。
冬の季も半ばを越えた頃、一組の夫婦が王都を去った。
人間と獣人と言う異色の夫婦は、王都では滅多に見ることのない珍しい組み合わせだ。
しかし、彼らを知る者達は誰も意外だとか異色だとは言わなかった。
むしろ羨ましい程仲が良く、似合いの夫婦だと口を揃える。
この夫婦が生み出した小さな綻びが、やがて王都からベスティエール王国を少しずつ少しずつ変えて行くきっかけになった事は、唯一人を除いて、まだ誰も知る所では無い。
数年後、王都商業地区の一角に真新しい小さな家具屋がオープンした。
魔家具屋『猫子』
店主は大柄な熊のような背格好の義足の職人。
奥さんで看板娘は、愛らしくて生命力に溢れた美しいケモミミ女性だ。
この店では一風変わった家具が売られている。
衣服を引き出しへ入れると完璧な除湿と外へ干したかのようにふわふわにしてくれる魔タンス。
気付くとふきんで拭いたように綺麗になっている魔テーブル。
いつの間にか元の位置に戻っている魔椅子などなど。
魔力が付与された、魔家具が扱われている。
そこへ、一組の客がやってくる。
若い男女で、夫婦だろうか。
男性の方は、ケモミミにフサフサの尻尾が見える。
犬の獣人だ。
身を寄せ合い、仲の良さが伺える。
この国にもこういった組合せがちらほら見られるようになった。
店を営むこの夫婦が住んでいた頃からは、想像もつかない変化だ。
その事が嬉しい事だった。
ふと、客の女性のお腹がふっくらしているようにも見える。
聞けば新しい家族が増える為に、家具を新調しようかと見に来たと言う。
そんな様子を見ながら、店主は自動で揺れ続けるゆりかごがあったらいいなと考える。
客が去った後、嬉しそうに鼻唄を歌う妻へ提案してみる。
案の定大喜びで店主へ突進する勢いで抱き付いてくる。
商品化する為にはまず、自分達で試す必要性があることを、おそらく分かっていないだろうなと微笑みながら、店主はそっとその背中を抱き寄せた。
この夫婦に小さな命が宿るのは、もう少し後のお話……
おわり
仔猫だと思って拾ったら猫子だった~堅物兵士とケモミミ少女の焦れ甘スローライフ~ 九日三誌 @Asahi_m
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