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『入替花嫁』完結記念番外編 第四弾

『邂逅 カナリアとレオドルド』


私はその日、自身の生き方を決定づけた『天使』と出会った。


アズベルトの妹が倒れた。
そんな話を聞いたのは、九年生の前期がもうすぐ終わる頃だった。

来年、就業訓練生になれば、いよいよ商人として成功する為に本格的に動き出さねばならない。父の言いなりで生きてきた自分は、父の息のかかった商家で修行する事になるのだろう。束の間の自由ともおさらばだ。
アズベルトと出会ってから、騎士も面白いと思うようになった。誰かの為に命をかけるとか、国に忠誠を誓うとか、そんな事に興味はない。
朝から晩まで訓練漬け。身体を酷使し、汗にまみれて心身ともに鍛え上げていく。そんな地獄も真っ平ごめんだ。
そう思っていたのだが、アズベルトの自主練に付き合って身体を動かしている間は、何かを考えている暇などない。身体を使えば使う程、鍛えれば鍛える程、自分の身体が出来上がっていく感覚。剣が扱えるようになっていく面白さは、思いの外レオドルドに合っていて、アズベルトが一緒なら騎士も悪くないかもなどと思える程には興味を持つようになっていた。
やりたい事もなりたいものもなかったレオドルドにとっては、ありえない変化だった事は本人も自覚している。

そんな風に本気で将来について、初めて父に抗ってしまおうかと考えていた矢先の事だった。

酷く塞ぎ込んでいるアズベルトに掛ける言葉が見つからないまま、唯日々が過ぎて行く。
原因不明の高熱が続き、一時危険な状態だった妹の意識が戻ったと聞かされたのは、夏期休暇に入る少し前の事だった。

「レオ。休暇中の予定はもう埋まっているのか?」
「? いいや。家なんか帰りたくないし、どうしようかと思っていたところだ」
「だったら我が家へ来ないか? オレの小さなお姫様が退屈しているそうだから、見舞いにも行こうと思ってるが、一緒にどうだろう?」

休暇に入ると同時にアズベルトの屋敷へ世話になる事にしたレオドルドは、丸一日を費やして二人でお菓子やらおもちゃやらを大量に購入し、翌日オラシオンへと向かった。
アズベルトの姫君が住んでいる領地は、広大な畑と穏やかな時間が支配する長閑な場所だった。
学院や実家のある王都とは違い、ゆったりと時間が流れていく感覚に、どこか懐かしささえ覚える。
農地に囲まれた領主邸へ着くと、早速姫君の部屋へ向かう。
アズベルトの後から入室したレオドルドは、ベッドに座り満面の笑みで彼を迎える幼女に驚愕した。ふっくらとした頬をピンク色に染めてアズベルトの首にしがみつくように甘える幼女は、信じられない程可愛らしい。

「リア、今日は私の友達を連れて来たんだ」
「アズにいさまのお友達?」

アズベルトが紹介してくれて、初めて彼女と目が合った。
ベッドの側に膝をつき、彼女の右手の甲にキスをする。

「初めましてお姫様。レオドルドと言います。レオと——」

小さなふわふわの手がレオドルドの両方の頬へ当てがわれる。目の前にこちらを覗き込む大きな瞳があった。その瞳をキラキラと輝かせ、カナリアが興奮気味に声を上げる。

「うわぁ……あなたのおめめ、宝石みたいね……」

灰銀の大きな瞳に自分の青眼が写り込む。それ程の距離でまっすぐに見つめられ、レオドルドは身動きが取れなくなった。
正直、最初にアズベルトに声を掛けられた時は戸惑った。小さな子供の相手などした事も無く、扱いなど全くわからない。どちらかと言えば苦手な部類だ。しかし、家に帰るよりはマシだと思い、ついて来たに過ぎなかった。
アズベルトがお菓子やおもちゃを選んでいる間も、どれでもいいと思ったし、どれも一緒だろうと思っていた。
が、今なら彼をそうさせた理由がわかる。
『天使』
例えるならそれだろう。
切り揃えられたサラサラの髪も、ふっくらとしたピンク色の頬も、くりっくりの瞳も、何よりレオドルドを魅了してやまないその笑顔が。
天使以外の例えが見つからない程天使だったのだ。
同時に戸惑った。自分に向けられた純真無垢な眼差しに。一切の汚れを知らないその笑顔に。
幼い頃から汚いものばかりに触れてきた自分が、酷く汚らわしく思えたし、そんな自分がカナリアに触れてはいけないのではないかとさえ思った。この美しい少女を汚してしまう気がして、無意識に身を引いてしまった。

「どうかしたの? あなたもどこかいたい?」

表情の変化に気が付いたのか、カナリアが心配そうにレオドルドを覗き込む。慌てて笑顔を貼り付けると、大丈夫だよと声を掛けた。

「お姫様があまりに可愛らしくて、驚いてしまったんだ」

ありがとうと言ってはにかんで頬を赤らめるカナリアは、やはり天使だった。


ベッドから出る事を許されていないカナリアの為に、ベッドの側にテーブルを寄せそこでお茶にした。ベッドへ並んで座り、ケーキを食べた。
一日かけて選んで来たおもちゃを渡すと、本当に嬉しそうに笑っている。やはりカナリアの好みを知っているアズベルトが彼女の心を掴んでいるようだ。次は絶対間違えないようにと、カナリアの好みを必死に頭に叩き込んだ。もっと事前にリサーチしておくべきだったのだ。
お菓子を食べ、一緒に遊んだ後は、大きなベッドに移って三人で横になった。移動時、レオドルドによって抱っこで運ばれたのは言うまでもない。
カナリアを真ん中にして布団に入ると、レオドルドは色んな話をした。カナリアにこちらを向いて欲しくて、年甲斐もなく必死だった。
カナリアが笑ってくれるのが、無性に嬉しくて。
自分の目を真っ直ぐに見つめ、「レオ」と呼び、喜色に頬を綻ばせる少女が愛しくて仕方ない。
荒みきって汚れた心が、洗われていくようだった。



「アズ。オレはやっぱり商人になろうと思う」

眠りにつく幼い少女の寝顔を見つめながら、レオドルドは決意を口にする。彼が迷っていた事を知っているアズベルトは、そんな友人の顔を見つめた。

「……それでいいのか?」

レオドルドは多くを語らない。彼の苦労も、痛みも、思いも。彼以外の人間にはわかる筈も無い。
それでも彼が家族を敬遠してきた事実を知るアズベルトには、彼がその選択をした事が驚きでもあったのだ。

「ああ。決めた」
「そうか」

カナリアが望むものを手に入れられる商人に。
彼女の為に。この笑顔をいつまでも失わない為に。
そう気持ちを新たにしたレオドルドは、小さな手をそっと握り締めたのだった。

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