『執事がメイドに落ちた時』
「クーラはいつからナタリーの事が好きだったの?」
「ぐっ…ゲホっ! けほっけほっ……」
いきなり直球の質問をされて、クーラは飲んでいたお茶が入ってはいけないところに入ってしまい、盛大にむせてしまった。
カナのティータイムに付き合わされたクーラが席に付き、早速と口をつけた矢先の事だった。
なんとか咳が治まり一息ついたクーラに、カナは申し訳無さそうに眉尻を下げ、背をさすった。それに対し「お見苦しいところを」と謝意と感謝を伝え、席に戻ったカナを真っ直ぐに見つめた。
「……少し前のお話になりますが」
「ええ、是非聞きたいわ」
「では僭越ながら……あれは私が初めてこちらのお屋敷を訪れた時にございます」
◇ ◇ ◇
その日、クーラがここフォーミリオ邸を訪れたのは、学院卒業後の就職先を見つける為だった。お屋敷付きの執事として雇ってもらう為の試験を受けに来ていたのだ。
学院では卒業後の就職先の斡旋も行なってくれる。王城だったり貴族の屋敷だったりと、その斡旋先は多岐に渡る。
この屋敷へも学院からの就職先の一つとして紹介されてやって来たのだ。
力のある貴族なら、その人脈やコネクションを活かしてもぎ取るのだろうが、クーラの家にそんな力は無い。よって地道に試験を受けて回るしかないのだ。
王都からも近く、フォーミリオの領主邸であることも鑑みれば、ここは破格の条件だと言える。
一発目に受けるにしては格式が高過ぎただろうかと、訪れて早々に後悔しつつあった。なんせデカい。広い。よって迷った。
初めての事で勝手がイマイチわかっていなかった事と極度の緊張とで、下調べをしてあったにも関わらず面接の行われる大部屋が分からなくなってしまったのだ。
いつの間にか中庭に出てしまったクーラは、慌てて引き返そうとして女性の声が聞こえるのに気づいた。
もしもその声の主が屋敷の女主人であったなら、声をかけるのは明らかなルール違反だ。礼儀を欠く行為であり、使用人としてはあるまじき失態である。それでも面接会場へ辿りつけなければ、今までの準備が全て無駄になってしまう。どうか使用人でありますようにと祈りを込めて、声のした方へ歩みを進めた。
庭のベンチに腰掛けていたのは、二人の少女だ。後ろ姿の為顔は見えなかったが、一人は黒髪、もう一人は侍女服を着ている事から彼女付きのメイドなのだろう。散歩の途中なのかと思ったが、メイドの少女がしきりに黒髪の少女の背をさすっている。よくよく見れば黒髪の少女は口元をハンカチで覆い苦しそうに息をしているように見えた。
迷ったものの手を貸した方が良いかと考え、声を掛けようかと言うところでメイドの少女と目が合った。
「誰!?」
直ぐに黒髪の少女を守るように背に隠し、こちらへ鋭い視線を向けるメイドの少女に、クーラは驚きを隠せなかった。
歳は社交界デビューするかしないかくらいだろうか。少しキツイ印象を与える猫目をキリッと吊り上げ、アメジスト色の瞳に鋭い光を宿し、警戒心を全面に押し出してくる。
彼女が主なのか、幼いながらも自分が主人を守る盾なのだと体現して見せるその健気な姿に、心を打たれてしまったのだ。
クーラはその場で片膝をつくと胸に手を当てて礼の姿勢を取った。
「クーラ・シジリアンと申します。お嬢様の憩いの時間を邪魔してしまい、申し訳ありません」
そして自分が学院生である事や、ここへは面接で来た事を説明する。
「もし必要でしたらお手伝いさせて頂きますが」
「それは……」
部外者であるクーラに少女を任せてもいいのかと言う戸惑いが見えた。
それはそうだろう。目の前の人物が信用に値する者かどうかなんてわかる筈がない。今口にした経歴も偽りかもしれないのだから。
メイドはチラリと黒髪の少女へ視線を移した。そして苦しそうに息をする姿に決意した。
「あの、お願いします」
「かしこまりました。えっと、」
「私はナタリー。こちらはカナリア様です」
クーラは直ぐにカナリアの前に回ると、膝をつき胸に手を当てたまま柔らかい声色で話しかける。
「カナリア様。急を要すると判断しました。お体に触れる事をお許し頂けますか?」
カナリアは青ざめた顔をクーラに向け、目尻を下げると僅かに頷いた。クーラは彼女を抱き上げるとナタリーに案内され、近くの客室へと向かった。
ベッドへ寝かせたところで別のメイドが医者を連れて入ってくる。素晴らしいタイミングとよく連携が取れている事に感心した。この少女の手腕なのだとしたら見事の一言だ。
クーラはナタリーについて部屋を出た。
「お嬢様を運んでくださり、ありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げた少女の肩は僅かに震えている。
不安だったろうに、怖かったろうに、気丈に振る舞う姿は幼なくとも確かに侍従のそれだった。主人の為にどう動くべきか何を優先すべきなのか、懸命にそれを果たそうとするその姿勢に、クーラは心を打たれ同時に感銘を受けた。
机上で『執事とは』とあるべき姿を問われても漠然としていた形が、今まさに色を持って確固たる姿を得たのだ。
「いえ。……私は今日、貴方に出会えて良かった」
「え……」
「なんでもありません。お嬢様が一日も早く回復される事をお祈り申し上げます。では」
彼女に教えてもらって試験会場に辿り付いたが、やはり遅刻だった。
しかし、すでに自分がカナリアの救護にまわっていた事が知られており、遅刻については不問となった。これも彼女の手腕だとしたら……。
彼女のようにありたいと、強く思う。
「では次に、クーラ・シジリアン。貴方が当屋敷を志望した理由をお聞かせください」
「はい。……私には、どうしても共に働きたい方がおります——」
◇ ◇ ◇
「合格の通達が来た時は嬉しくて……その日はとても眠れませんでした」
恐らくもうその時には落ちていた。彼女の強く美しいアメジストが、ずっと瞼の裏に焼き付いている。
「私は初めからカナリア様が大好きな真っ直ぐで健気なナタリーが大好きなのです」
「まぁ! ふふっ……」
言い切ってお茶を飲み干したクーラは、そのまま食器を持って仕事に戻って行った。
無理を言って呼び止めたのだから、そこは気にしない。が、無理を言って呼び止めた甲斐があったと、カナは満面の笑みで彼が出ていった扉と反対側の扉へ視線を向けた。その扉は今は開け放っている。
「ですってよ? 素敵なお話ね」
僅かな衣擦れの音が聞こえ、そこに確かに彼女がいると確信した。
恐らく両手で覆った手の中は、りんごのように真っ赤に色付いている事でしょう。
このままずっと幸せでいて欲しい
そんな事を思いながら、カナは嬉しそうにティーカップを傾けるのだった。