二人で一緒に
「なんだか物凄く久しぶりな気がするな」
クロさんの治療がようやく終わり、久しぶりに一緒に家へ帰って来た。
クロさんがそう思うのも無理は無い。戦地へ赴いて約ひと月、治療の為に教会で寝泊まりする事約ふた月。その間家を空けていた事になるのだから。
季節はそろそろ冬へと変わっていく。
「綺麗に片付いているな。アトリア、頑張ってくれてたんだな」
「いつクロさんが帰って来てもいいようにと思って」
「そうか。ありがとう」
いつもの優しい笑顔が私へ向けられている。ただそれだけの事なのに、胸が締め付けられるように苦しい。ドキドキして身体中が熱くなった。
広くて寂しいだけの空間だった部屋は温かさを取り戻し、虚しく色褪せた時間は鮮やかさを取り戻した。
クロさんが居る。それだけの事なのに、一人の時とは何もかも違って感じられる。
クロさんの正面から抱き付いた。
固い胸板も、広い背中も、大好きなクロさんの匂いも、温かいのも全部本物。背中に回された腕が優しく体を締め付ければ、色んな感情が込み上げてくる。
ずっとこうして欲しかった。
早く会いたくて堪らなかった。
クロさんに抱き締めて欲しかった。
寂しくて心細かった。
「待たせてごめんな」
そんな私の心の声が全部聞こえてしまったかのと思った。
ふるふると首を振る。
ここにちゃんと帰って来てくれただけで嬉しい。
しがみついたまま顔だけ上げた。
「お帰りなさい」
帰って来た時は笑顔で迎えようと思っていたのに、色んな感情が込み上げてしまって目尻から涙が零れた。
「ただいま」
それをクロさんが指先で拭ってくれる。それでも止まらなくて、今度は瞼にキスが落ちてくる。
悲しい涙じゃないの。帰って来てくれて嬉しいから。
今まで通りにはならなくても、また一緒にいられる事が本当に嬉しいの。
だから
「もう何処にも行かないで」
ポロポロ零れる涙が止まらないまま首へしがみついた。クロさんは「約束する」と、そう言って抱き締めてくれる。
ぎゅっと締め付ける腕が、ぴったりくっついた体が、クロさんの返事のような気がして私は少しだけ背伸びをした。
「本当に結婚するのか?」
ベリエ母さんの食堂で、レオニさんとステラさんの結婚をお祝いする会が開かれた。
二人寄り添う姿を微笑ましく眺めていると、隣でクロさんが心配そうにしている。発言がはっきりと聞こえたから、心の声では無さそうだ。
「なんだよ! 俺だって家族持ちたいよ!! 独りは寂しいんだよ!!」
ギプスが取れた左腕をステラさんの腰へ回し、レオニさんがクロさんをギロリと睨む。
包帯はすっかり取れても失った視力は戻らなかったようで、左目には黒い眼帯がつけられたままだ。
「捨てられたんじゃ無かったのかよ」
「過去の事だ。忘れろ」
クロさんの心配そうな顔がステラさんへ向けられる。
「こいつは軽いし、適当だし、酔ったら相当面倒くさいぞ? 本当にいいのか?」
そんな言葉にクスクスと笑い、ステラさんは愛しそうに隣を見上げる。
「私は
「ステラ……」
お互いの体に腕を回して見つめ合う姿に、こちらの方が照れてしまいそうだ。クロさんも「続きは家でやれ」なんて言って呆れてる。
それでも、二人を見守る目はとっても優しい。軽口を叩きながらも二人の事を喜んでいるのが良く分かるだけに、私まで嬉しくなってしまう。
本当に良かった。
奥には笑顔を取り戻したリントさんがシエロちゃんとおしゃべりしている姿も見えた。少しずつだけど日常を取り戻していく様子に、胸の奥の方に燻っていた靄がずっとずっと薄くなっているのを感じた。
その後は、クロさんと一緒に役所へ行き、保留にしてもらっていた婚姻の手続きを再開して貰ったり、工房の親父さんの所へリングを作って貰いに行った。
やっぱり私達を迎えてくれたのは、例の中年の担当者で、顔を見るなりいつもの応接室へ通された。
後は手続きを進めて貰うだけだったから特に何もする事はなく、目頭を抑える彼と二言三言言葉を交わした程度だ。
それだけだったけど、あまり変わらない表情にうっすら涙を溜めてお祝いの言葉を掛けてくれる彼には、感謝の気持ちしかなかった。
工房の親父さんは相変わらずだったけど、体はどうだ? とか、義足の具合は? なんてぶっきらぼうに声を掛けてくれている。
お願いしたリングだって、滅多に取れない希少な白鉱石を使ってくれて、しかもリングの内側にそれぞれの瞳色の魔鉱石を埋め込んでくれるという特別仕様だった。
流石にその日に貰う事は出来なかったけど、後日取りに行って驚いたのだ。
鉱石が『白』へグレードアップしていた事、内側に加工がなされていた事に関しては、親父さん曰く「クソガキに春が来た祝い」らしい。
なんだかんだと気に掛けて心配してくれる親父さんは、本当にクロさんのお父さんのようで感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
ピロピロピロピロ……――
朝を告げる目覚魔しの音を遠くに聞いていると、温かくて逞しい腕に体を抱き寄せられる。
あったかい……
頬を擦り寄せて微睡んでいると、頭の上から声が掛かった。
「アトリア、朝だぞ」
「うーん……」
分かってはいるんだけど、最近起きるとき寒くって……
季節はもう冬の季へと差し掛かっている。
この辺りでは朝早く冷え込んだりすると、路面が凍ったり霜が降りたりと、猫子には辛い環境となる。そんな時、こんな風に温もりに包まれていると、どうしても甘えてしまうのだ。
ただ、この温かくて大きな手は時々意地悪だ。
わざと腿やお尻、背中の産毛を逆立てるように絶妙な力加減で撫で上げてくる。
「ひゃっ」
これがどうにもくすぐったい。
そして体の奥の方をざわざわさせる。
勿論嫌なざわざわではない。
だから困るのだ。
眠たさに半分しか開いていない抗議の目を向けると、目の前に優しい笑顔が現れる。
私だけに向けられる、特別な笑顔だ。
「起きたろ?」
「…むー」
抗議の意を成していない視線を受け流してクロさんの大きな手が体をなぞれば、たちまち眠気が失せてしまう。
ざわざわがあっという間にドキドキに変わってしまうのだ。
まだ慣れない……
恋人の関係になってからは随分経つ。結婚をして、夫婦の間柄にもなれた。
それでも、こうして朝同じベッドで目が覚めたり、大きな手で触れられたり、キスをしたり、肌を合わせたり……
幸せだけど、やっぱりドキドキしてしまう。
緊張もあるのかもしれないけれど、大好きな人だから。
大好きで大切で、尊敬出来る素敵なクロさんだから、息が苦しくなるくらいドキドキして、体が熱くなって、でも幸せで、離れがたいのだろうな。
目の前の優しい笑顔を見上げる。
もう仕草や表情で、どれだけ大切にしてくれているかがよく分かる。
この人とならきっと大丈夫。
二人でずっと一緒に、何処までも歩いて行ける。
何があっても……
クロさんの首へ腕を回す。それが合図になっておでこがコツンとぶつかった。
この想いが全部伝わるような、そんな言葉があればいいのに。
そう思いながら、いつものようにもたらされる甘い時間を期待して、私はそっと瞼を閉じた。
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