side――レオニ

 ——時は少し遡る。



 撤退の指示が出て直ぐ帰路についた雑兵部隊が急襲された。戦闘のせの字も無かったせいで、張り詰めていた緊張が解けた瞬間を襲われてしまったのだ。

 獣人は人のような成りをしているが、体の一部に別種族の特徴を持つ亜人種だ。普通の人間に比べて抜きん出ているところが多々ある。筋力や戦闘力など、人間よりもはるかに生まれ持った能力が高い種族もザラにいる。それが成人ともなれば尚の事。

 襲って来たのは小規模な部隊で統率もクソも無かったが、警戒が緩んでいた雑兵部隊が大きな打撃を受けるには十分だった。


 獣人との戦闘で足を負傷したクロードは、大量出血に加えズタズタの傷口から毒による腐食がみられた。

 苦渋の決断で右足の半分を切断することになったのだ。

 武器を手にしなかった時点で嫌な予感がしていた。

 クロードの体に長い爪を突き立てるのが猫子だった時点で、こうなるような予感がしたのだ。



 深手を負った原因を知りたいと言ったアトリアに、話すべきか迷った。クロードがそれを望むのか、それを考えてしまった。

 ただ、真っ直ぐに向けられた黄金色に、嘘を付くことが出来なかっただけだ。


 クロードが昏睡状態の間、アトリアは気丈に振る舞っていた。

 朝は部屋への入室を許されるずっと前から扉の前で待っていたし、面会の時間が過ぎてもしばらくは扉の前でベンチ椅子に座っていた。

 周りの人間に決して涙は見せなかった。





 そんな時間を半月程過ごした頃だったろうか。開け放たれた扉の向こうから、誰かのすすり泣く声が聞こえたのだ。


「!?」


 誰かに何かあったのか、まさかクロードに……

 そう思い慌てて駆け込もうとして入り口で留まった。

 泣いていたのはアトリアで、その涙を拭っていたのはクロードだった。

 張り詰めていたものがほどけていくように大きく息を吐き出した。

 二人の様子を遠くから見つめる。

 クロードの手を握りしめ、決して誰にも見せなかった涙を零すアトリアの横顔を見つめた。


 拳を握り、一歩下がる。

 声を掛けないまま、その場を後にした。



 独身寮へと戻ってくると、ふと二階の一室へ視線を向けた。条件反射というか、もうクセのようなものだ。

 クロードが住んでいたその部屋は、未だ空室のまま。在りし日のクロードがぶっきらぼうな表情で此方へ手を上げる姿が浮かぶ。


「……っ……」


 途端に足から力が抜けてしまった。

 力無くしゃがみこみ、込み上げる嗚咽を堪える。

 安心した途端に色んな感情が一気に押し寄せて、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

 ぼやけた視界の先で地面に黒く転々と染みが作られていく様を、ただただ眺めた。



「レオニさん!?」


 突然名前を呼ばれて、顔を上げる 。

 声のした方へ視線を向けて固まってしまった。

 立っていたのは、ここにいる筈のないひとだったのだ。


「……ステ、ラ? ……な、…は? ……どうして……」


 悲痛な表情をレオニへ向け駆け寄って来たのは、紛れもないステラだった。


「大丈夫ですか? 立てますか? …なんて酷い怪我……どうして、こんな……傷が痛むの?」

「え、あ、いや…。なんで…? 俺は幻でも見てるのか……?」


 混乱しているせいか、今、目の前に映し出されている光景が、現実なのか幻なのかわからなくなった。

 ただ、真っ白なワンピースに身を包み、レオニが惚れた強い光を宿す瞳が紛れもなく自分に向けられている。


「とにかくここじゃ駄目です。お部屋で休みましょう」


 言いながらレオニの右腕を自らの肩へ回し、体を支えようと寄せてくる。

 抵抗する間も無く、彼女に少しだけ体を預け、すぐ側にある綺麗な横顔を見た。


 あの日から忘れた事なんて一度もない。

 会いたくて、触れたくて、夢にまで見た。

 想っても叶わない事がこんなにも辛くて苦しいなんて知らなかった。

 何も手に付かなくなるくらい、息が出来なくなるくらい、一人でいるのが怖いくらい、自分が誰かを想えるなんて知らなかった。


 とっくに結婚してるものだと思っていたのに。

 遠い地で、新しい幸せな生活を始めているものだとばかり……。


「なんでここにいる? どうして戻ってきたんだ…」


 合鍵を使って扉を開けるのを眺める。


 鍵なんて、まだ持ってたのか。


「沢山怪我人が出たって聞いて……じっとしていられなくて……」


 玄関に置かれた小さな腰掛けへ座った。

 ステラが目の前で視線を合わせてくる。


「……国を、出たんじゃなかったのか」

「出たわ。……だけど、そんな噂を聞いて……気が付いたらここへ来る寄合馬車に乗ってた」

「ばかやろう! 早く戻れよ」

「戻らないわ」

「…!?」

「こんな姿見せられて、置いてなんて行けないもの」


 強い光を宿した瞳が潤んでいるのを見た。

 花火の光の下、あの時と同じだ。

 ただ、あの時にあった迷いは消えていた。

 心を決めた覚悟の瞳が、目の前で涙に濡れている。


 ステラに向かって手を伸ばした。

 片目が見えないせいで距離感が掴めなかったのだ。

 届くと思った右手はステラに触れられない。


「……っ……」


 その手を彼女が握ってくれた。

 彼女の頬を涙が伝うと同時に、ステラが首へとしがみつく。


「ごめんなさい! 本当に……ごめんなさいっ……」

「……ステラが謝る事なんて何も無い。早く戻れ」


 背中に腕を回してしまいたい衝動を堪えて言葉を絞り出す。

 レオニの首へ回す腕の力を強めて、ステラは首を振った。


「ここはステラの居るべき場所じゃない」


 そうだ。

 ステラのような素敵な女性に相応しい場所はもっと他にある。


「在るべき場所へ戻れ。……そこでちゃんと幸せになれ」

「私の幸せを勝手に決めつけないで」

「…!?」

「私は綺麗なドレスを着て夜会に出るより浴衣を着て一緒に屋台を回りたいし、豪奢な馬車に乗るよりも手を繋いで一緒に歩きたい」


 絡み付いていた腕がほどけると、涙に濡れた大きな瞳がレオニを映して揺れている。


「会ったこともない商人の息子なんかじゃなくて、貧乏でも優しくて、軽いくせに一途で、自分の事なんて二の次で私の事を想ってくれるような、私を本当に愛してくれる人の隣にいたい」

「…………」


 惚れた瞳が強さを孕み、ポロポロと涙を溢れさせながらレオニを射抜いてくる。

 その美しい女性から視線を反らすことが出来なかった。


「私が幸せかどうかは、私が決めるわ! 勝手に決めつけないで」

「けどっ」

「何も言わずに出てきたの。今更帰れないし、帰る場所も無い。……責任、取ってくれるんでしょう?」



 なんて女だよ



「いいのか? そんな事言って。後悔しても知らねえぞ」

「え……?」


 空いている方の腕で彼女の腰を抱き寄せる。


「そんな事言ったら、もう一生離してやらない。泣いて謝ってももう遅いし、貴族や王族が迎えに来たって、譲らないからな。…それでもいいのか?」


 ステラの暖かい手が頬へ触れてくる。

 両手で包まれ、おでこがぶつかった。


「そんな奴らなんてクソくらえ…だわ」


 本当に、なんて女だ


「世界一幸せな花嫁にしてやるから覚悟しとけよ」

「……嬉しい」


 引き寄せられるように唇が重なった。

 離れては追いかけ、触れては離れる。

 戯れるように、吐息すら奪うように、離れていた時間を埋めるように、お互いの体へ腕を絡め、唇を求めた。



 今ならクロードの気持ちが良くわかる

 もう二度と離れたりしない



 そう心に固く誓い、彼女の腰を抱く腕に力を込めた。

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