第28話――腐った世界で
クロードが目を覚ました。
そこからの回復は目を見張るものがあった。
昏睡状態の間に続いていた高熱は、目覚めた途端に下がり、沢山繋がれていた細い管は、あれよあれよと言う間に消えていった。
元々体力があり、体も頑丈な方ではあったが、その人並み外れた回復力に治癒師は「奇跡だ」と驚くばかりだった。
体は順調に回復している。
しかし、足を失った現実を受け止める事が出来ないでいた。
頭では右足は健在なのに、視界にそれが入らない。
受け入れ難い現実に混乱し、絶望と不安が押し寄せる。
それに加えてヤマさんの訃報も知らされる。
目の前で怪我を負った姿を見ただけに、何故助けられなかったのかと後悔ばかりが押し寄せた。
あの魔法使いが言っていたのは、こういう事だったのか。
生きる事を選んだ。
その事に後悔はない。
しかし、生きていく為に必要な足を失った。
尊敬していた先輩を失ってしまった。
もう今まで通りの生活は出来ない。
兵士の仕事は続けることが出来ないだろう。
アトリアと生きていく。
そう決めたのに、生きていく為の糧を失ってしまった。
この先どうすれば……
考えれば考える程、大きな不安に押し潰されてしまいそうだった。
「生きていれば、どうにでもなるよ」
そう言ってアトリアは微笑んだ。
無い筈の右足が疼くと、昼夜を問わずさすってくれる。
痛み止めの魔石を手に、いつも笑顔でクロードに寄り添った。
悪夢にうなされて目覚めると、傍らで手を握り、クロードが眠りに付くまで話をしてくれた。
「私だって働けるんだから、大丈夫だよ。心配しないで、早く良くなって」
いつの間にか頼もしく成長した猫子は、愛らしく笑いながら甲斐甲斐しく身の回りの世話を焼いたのだ。
何も出来ないと泣いていた頃が嘘みたいだな。
そんな昔を思い出し懐かしく思いながら、明るく健気なアトリアのおかげで、塞ぎがちだったクロードの心は徐々に癒されていったのだった。
クロードがベッドの上で体を起こせるまでに回復すると、色んな人が見舞いに訪れるようになった。
ベリエとシエロは毎日のように来てくれたし、ママも『煮込み』を差し入れに来てくれた。
魔石工房の親父さんまでやってきたのには驚いた。
「さっさと治して早く指輪を作りに来い」
親父さんなりの励ましに、クロードだけでなくアトリアまで胸がいっぱいになった。
レオニと共にやってきたリントは、未だに引きずっているようで、目を腫らしている様子を見る限り、立ち直れていないようだった。
無理も無い。
クロード自身、現実を受け入れるのに時間が掛かったのだ。
リントの心情を思うと、なんと声を掛けてやればいいか分からなかった。
「何があっても生きて行かなきゃならないんです」
そう叱咤する猫子をリントの不安気な眼差しが捉える。
「どんなに辛くても、悲しくても、前を見て生きていくんです! そんな顔してたら、ヤマさんが安心して天国に行けませんよ?」
アトリアが冷たいリントの手を握る。
「皆さん覚悟を決めて戦場へ行った筈です。誰もリントさんを責めたりしません」
黄金色に強い光を宿し、優しく細められた瞳を、リントは息を飲み見つめ返す。
「自分を責めないでください。命があるのですから。ヤマさんの分も精一杯生きて行きましょう」
消えそうな声で返事を零し、アトリアの手を両手で握り返したリントは、声を押し殺して肩を震わせていた。
レオニから、戦争の顛末を聞かされる。
「全てフェイクだったらしい」
先に出兵した騎士団の進軍がそもそも嘘だった。
敵国へ向かったと見せかけて、城の近くに潜んでいたと言うのだ。
「クーデターを起こして元王族を拘束し、隣国へ引き渡す為の嘘だったんだ」
クロード達雑兵が進軍した後、機を見て騎士団が城を奇襲。
国王と皇太子、彼らに組する一族と貴族を拘束し、一般人に被害を出すことなく政権を奪取した。
隣国とはすでに和平が結ばれ、次の国王が立つまでは、騎士団の団長が国王の責を負うらしい。
「俺達を奇襲してきたあの部隊は?」
「全くの別もんだったらしい」
ヤマさんとリントを襲い、クロードやレオニ達に大怪我を負わせた獣人達は、違法に彼等を囲っていた商人の商品だった。
数が増えすぎたのか、呪術で制御仕切れなくなって逃走した彼等が、たまたま撤退していたクロード達と鉢合わせてしまった。
必死で逃げた先に武装した兵士の軍隊。
問答無用で襲い掛かって来た彼等の心情はいかほどだったのか。
怒りとやるせなさに拳を握る。
「…その人たちは、どうなったんですか…?」
怯えを含む黄金色を見て、クロードは彼女の手をそっと握った。
すかさず握り返され、小さく震えているのを感じとる。
「全員保護されたらしい。悪徳商人は捕まって死罪が確定した。うちの部隊とやり合って怪我人はいるが、彼等は無事だよ」
ほっと息を吐き出すアトリアだったが、心の内は複雑だった。
「良かったな」
はっと顔を向けると、クロードの穏やかで優しい笑顔が向けられている。
アトリアの大好きな、安心出来るいつものクロードの笑顔だ。
胸がいっぱいになってしまい、言葉を発する事の出来ないままポロポロと涙を零すアトリアを、クロードはそっと抱き寄せた。
「クロさんの体が良くなったら、一緒にお役所行こうね」
「あぁ。……え?」
驚いた顔で此方を見たクロードに、アトリアは涙をいっぱいに溜めた瞳を返す。
「奥さんにしてくれるんでしょう?」
「本当に? …本当、か……?」
頬を薄くピンクに染めて頷くアトリア。
その意味を理解したクロードは、再び彼女をさっきよりもずっときつく抱き寄せた。
教会で寝泊まりする事、約半月。
ようやくクロードが体を動かせるまでに回復した。
歩行を補助する為の器具を使い、歩く練習が始まったのだ。
最初こそ時間を要したが、慣れてしまえば早かった。
治癒師から『義足』の提案を受け、それこそ二人がリングを作る為に訪れた工房の親父さんへ依頼を出した。
親父さんは快く引き受けてくれ、何度か打ち合わせを兼ねた見舞いに足を運んでくれた。
試作品を持って来てくれた親父さんと三人であれこれ話していた時だった。
「クロード」
呼び掛けられて顔を上げた先に、レオニが立っている。
眼帯は健在だが、左手は簡易ギプスへ変わっており、着実に回復へ向かっているようだ。
彼に手を上げて応えた所で、後ろに女性を連れているのに気が付いた。
「え…、あれ…?」
三人の側までくると、レオニの隣でその女性がペコリと頭を下げてくる。
レオニを振った筈のステラだった。
「……どういう事だ?」
確か別れたと聞いた筈だ。
出兵の前に他国へ渡ったと聞かされていたのに…。
「色々あって、こうなった」
恥ずかしそうに彼女の肩を抱くレオニをマヌケな顔で見てしまった。
「いや、全くわからん。一から話せよ」
「俺達、結婚するわ」
「はぁ?」
「わぁ!」
クロードの呆れ声とアトリアの感激の声が重なった所で、親父さんの笑い声がさらに追加された。
「こりゃぁいい! ついにクソガキ共に春が来たって事だ」
「共って、そこに俺も入っているのかよ……」
こいつと一緒にするなと言うクロードの心の声に、ひとしきり皆で笑っていると、再び誰かが入ってくる。
「もっと絶望に打ち拉がれているかと思ったのに、随分と楽しそうだね」
「「!?」」
此方に向けられているのは宝石のような綺麗なエメラルドグリーン。
その人にアトリアも覚えがあった。
「あなたは、ミサンガの店主さん」
にっこり微笑むと、引き摺るようなローブを纏い、自らの背よりも少しばかり高い杖を手に此方へと近付いてくる。
誰だコイツといった顔のレオニの横で、ステラと親父さんが驚愕の表情を浮かべて固まっている。
「どうした? ステラ。目ん玉が飛び出そうだぞ?」
「どうって……レオニさん、此方の方を知らないの!?」
「……全然」
「何てこと」と倒れそうになるステラを支えた所で、親父さんが口を開いた。
「あんた、国王付きの国家魔術士だろ? なんでクロードと知り合いなんだ」
「「え?」」
「国王、付き……?」
今度はクロードとレオニが固まる。
アトリアの呟きと共に。
「この国一の魔術士様よ。嘘でしょう? 信じられないわ」
目の前のやり取りに、クスクスと楽しそうに笑うと、エメラルドが寄り添う二人へ再び向けられる。
「ちょっとした縁で…ね?」
「あの時は、ありがとうございました」
頭を下げようとするクロードを制し、魔術士は穏やかな笑みを纏う。
「選択肢をあげたに過ぎない。選んだのは君たちだよ」
エメラルドが今度はアトリアへと向けられた。
「驚いた。もしかしたらと思ったが、呪いが完全に消えたね。体が本来の調子を取り戻している。獣化は出来るのかな?」
「じゅう、か?」
「自在に仔猫に戻れる?」
やった事のないアトリアは首を振った。
「きっと出来るよ。後で試してごらん。『願う』だけだから」
「はい…」
穏やかなエメラルドを再びクロードへと向ける。
「今日は『国王陛下代理』の代理で来たんだよ」
魔術士は懐から一通の手紙を取り出すと、それをクロードへ渡した。
国王陛下代理からの手紙だった。
大まかに、謝罪と感謝と今後の生活面や仕事の保証をする旨が記されていた。
怪我を負った全ての兵士に手当てが成される、そう言っていたのだ。
今までの例からは信じられない程の待遇にクロードもレオニも驚きを隠せなかった。
「この国は変わっていく。いや。変えていってみせる。それが、犠牲者を生んでしまった我らの覚悟だと、それを伝えに来たんだ」
「これを」と渡されたのは、手の平サイズの箱だった。
開けて見ると、中にはネックレスの加工がされた親指程の大きさの水晶のような結晶が入っている。
透明だが、光の当たり具合で色が変化する美しい結晶だ。
「物に魔法を付与する事の出来る特殊な魔石だよ。付与出来る魔法は些細なものだけど、今の君達にぴったりだと思って。…例えば…」
クロードの右足の義足を指す。
「これに風魔法を付与してみよう」
アトリアの首へ魔石のネックレスを掛けると、手をかざすよう指示した。
アトリアが呪文を唱えると、一瞬白く光り、すぐに収まる。
クロードが義足をはめてみると、嘘のように軽く、違和感なく取り付ける事が出来た。まるではめている感覚が無く、接続部の痛みは勿論、『義足』という違和感が無くなっている。
「あくまで補助の魔法だから完璧では無いけど、生活していく上で助けにはなってくれる筈だ。上手く使うといい」
「何故ここまで」
「陛下のご意向。…後は、僕の興味とお礼……かな」
それだけ言うと背を向ける。
入り口で一度振り返ると、「またね」とウインクして出ていった。
興奮気味に話している三人の横で、アトリアがクロードを見上げる。
「良かったね! クロさん」
此方を嬉しそうに見上げる愛しい頬へ手を添える。
擦り寄るように触れてくるのは、もう条件反射のようなものだろうか。
「アトリアのお陰だ。ありがとう」
頬をピンクに染めてはにかむアトリアへ顔を寄せる。
鼻先が触れそうになって思い留まった。
三つの熱い視線を感じたからだ。
前髪をそっとよけて、むき出しになった白い肌へキスをした。
一刻も早く退院しよう。
そう心に決めてアトリアと笑い合う。
心に巣食っていた不安という靄は、いつの間にか晴れていた。
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