第27話――道の向こう

「……ここは……?」


 気が付くと真っ暗な中にいた。

 上も下も、右も左も、どこもかしこも真っ暗だ。


 おそらく他には誰もいないな。

 確信は無かったがそう思った。


 唯一人、クロードだけがそこにいる。


「…俺は…死んだのか……?」


 死んでもおかしくないと思う。

 今思えば、何故武器を奮わなかったのかと考えてしまう。


 アトリアと必ず帰ると約束したのに。




 背後から奇襲を受けた時、一番始めにヤマさんが襲われた。

 問答無用の急襲に、抵抗する間も無かったのだ。

 背中に深い傷を負い、それからヤマさんが動かなくなった。


 その体を保護する余裕も無く、次々と襲い掛かって来たのは、異常な程凶暴化した獣人達だった。

 犬や蛇、ネズミや体の大きな者もいた。


 猫子も。


 リントが複数に襲われ、助けようとしたが、目の前で牙を剥き爪を突き立てるケモミミの少女に、どうしても刃を向ける事が出来なかった。



「アトリア……すまない……」



 そう呟いた時だった。

 足元にうっすらと『道』が見えたのだ。

 視線で辿り、顔を上げる。


 一本道だ。


 前と後ろにだけ伸びている。

 他には無いかと周りを見渡したが、見えるのは自分の足元から続くそれだけだ。


 再び視線を上げると、前方にうっすらと光が見えた。


 出口だろうか。


 後ろを振り返ってみるが、道の向こうは深い闇が広がるばかりだ。


「…どっちへ行けばいい……」


 光の方へ足を向けてしまいたかった。

 明るい世界へ飛び出してしまいたい。

 光の中なら、今胸の内に巣くっているこの不安が晴れるかもしれない。



『どうにもならないことなんていくらでもあるさ。…それでも俺達は生きていかなきゃならん』



 そう言って笑っていたヤマさんの笑顔を思い出す。

 理不尽で不公平でも、そんな世界で生きていくと言って笑っていた。



『にやけるくらいの小さなもんでいい。あるだけ儲けもんだろ』



 後ろに広がる暗闇を見つめる。

 今生きている世界が、まさにそこに広がっているようにも思えた。



「…くそ……どうすりゃいい……」



 ガリガリと頭をかいて前へと向き直った時だった。


「うわ!!」


 いつの間にか人がいる。

 全身をフードで覆った人間が立っていたのだ。


「お困りですね」


「!!」


 声に聞き覚えがあった。

 その人物が頭の被り物を取ると、クロードが思わず声を上げる。


「あんた…あの時の店主か」


 まだ豊穣祭が準備の段階だった頃。

 アトリアがミー子だった頃。

 一緒に立ち寄り、ミサンガを買った、あの露店の店主が、何故か目の前に立っていた。


「…魔法使いだったのか……」


「はい。覚えていてくださって光栄です」


 どこから出したのか、右手には背丈程の杖が握られている。

 印象的な穏やかなエメラルドグリーンがクロードへ向けられる。


「アトリアさんのミサンガ、切れましたよ」


「そうか」


「貴方が戻ってくれなければ、アトリアさんの願いが叶わなくなってしまいます」


「戻れるのか!?」


「はい」


 魔法使いが光の方へ杖を差す。


「此方へ進めば直ぐに楽になれます」


「それはどういう……」


 今度はクロードの後ろ、闇へ杖を向ける。


「あちらは辛く苦しい世界です。目を覆ってしまいたくなるような真実があるでしょう」


「…………」


「今なら選べます。どうしますか?」


 クロードは迷わず魔法使いに背を向けた。

 真っ直ぐかどうか分からなかったが、闇へ向かって歩を進める。


「いいのですか?」


 背中に届いた声に立ち止まる。


「目覚めれば、本当に辛い現実と向き合う事になります。身体中痛いし、辛く苦しい。…そちらで本当にいいのですか?」


 相変わらず穏やかな瞳を見据える。


「アトリアの願いは、俺と生きる事なんだろ?」


「はい」


「なら、この選択しか有り得ない」


「後悔しても?」


「後悔なんかしない。どんなに理不尽で不公平で腐った世界でも、俺はアトリアと生きていく」


 そうして再び歩き出す。


 そんなクロードの背中を、若い魔法使いは嬉しそうに見つめた。


 杖を掲げて振り下ろす。

 杖先が一本道へ触れると、そこから白い光が波紋状に広がっていった。


「そんな素敵なあなた方に私から……――」



 そんな声が聞こえた気がした。






「……っ……」


 重い瞼を開ける。

 ぼんやりと見えていた視界がやがてはっきり縁を成す。


 目の前で不安そうな顔をしていたのは、クロードが会いたいと願ったその人だった。


 ケモミミをふにゃりと垂らし、思った通り瞳からはポロポロと涙が溢れている。


 ジレーザかと思うような重たい腕をようやく持ち上げ、彼女の頬に触れると、指で涙をそっと拭う。



「お帰りなさい」


 クロードの手に自分のそれを重ねて擦り寄る。

 涙に濡れた頬をピンクに染めて微笑んだアトリアが、本当に愛しくて美しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る