第10話――帰るか……?
「親父、二本くれ」
以前、猫子と一緒に訪れた屋台、『串にく屋』。
大きめの一口サイズにカットされ、串へ通された肉が、香ばしい匂いとじゅわじゅわと焼ける音を辺りへ振り撒きながら、道行く者の足を止めさせる。
何故かエールを片手に持ちたくなる魔法を掛けてくるその店で、クロードはミー子への土産を買っていた。
単なる仕事帰りだったのだが、やはりと言っていいのか、今朝のミー子は機嫌が思わしくなかった。
理由は、昨晩の急な留守番の上、クロードがレオニと共に飲み屋へ遊びに行った事が原因と思われる。
置いて出掛けてしまった事が余程面白くなかったようで、今朝はろくに口を聞いて貰えなかったのだ。
「これで機嫌が直るといいが……」
無意識に独り言を呟くと、短く息を吐き出す。
熱々の串を袋に入れてもらい、宿舎の方へと足を向けた時だった。
「おーい! くまさーん!!」
詰所の方から一人の兵士が走って来るのが見えた。
本日の持ち場が城門だった同僚だ。
彼も今日の勤務は夕の刻までだった筈だ。詰所で勤務表へサインした際に言葉を交わしていた。
何かあったのだろうかと、クロードもそちらへ歩み寄る。
「会えて良かった! たった今、役所からくまさん宛に連絡があったんだ。帰りに寄って欲しいって」
来たか……
猫子の件で問い合わせていた事の結果が出たのだろう。
ようやくかと思いながら、安堵している自分と、猫子との暮らしも終わりかと複雑な感情を抱いている自分がいる。
もっと単純に『解放される』と喜べるかと思っていたのに。
『じゃあな』と言ってしまうには増えすぎた荷物が、腹の上の毛むくじゃらの温もりが日常になりすぎている。
知らせてくれた同僚に礼を告げ、その足で役所へ向かった。
その足取りはどこか重く感じられた。
以前と同じ部屋へ通される。
同じ席に座り、目の前に座るのもまたあの時と同じ担当者だった。
いくらかの書類がテーブルへ置かれた。
「結果から申し上げます」
クロードは真っ直ぐに彼の目を見た。
「遺失物届け、ならびに捜索願いは出されておりませんでした」
「…え?」
「猫子の状況から考えても、違法な囲い方がなされていたものと思われます」
胸がズキズキと軋む。
「恐らく何らかの事情で逃げ出して来たのでしょう。居なくなった事に気付かないといった事は無いでしょうが、一匹くらいと思ったか、もしくは探せない事情が出来たか……」
「…事情?」
「ええ。……憶測の域を出ませんが、魔道具が壊れた事から見ても、後者だと予想します」
「どういう事ですか?」
「あくまで推測です。呪いのような強い強制力を持つ道具は、取り付けた本人が処置をしない限り、大抵外れる事はありません。それがクロードさんに外せてしまった。という事は元の持ち主が所有権を放棄したか、もしくはそれに準ずる境遇に陥ったと言うことです」
ミー子を捨てたか、その外道が死んだか……そんなところか。
「どちらにしても、魔道具の拘束力は消えます。クロードさんが保護した猫子が、元の所有者によって危害を加えられる事は無くなりました。が、呪いが消える訳では無いそうです」
呪いは残るが、晴れて自由の身と言うことだ。
「どうしたらその呪いは消えますか?」
「申し訳ありませんが、それは掛けた本人しかわかりません。術者が死亡した場合解ける事もあるようですが、術によるようです」
「…そうですか…」
首輪が外れてからもミー子の姿は夜になれば毛むくじゃらに戻っている。
と言うことは、やはり呪いは解けていないということだ。
…消してやる方法は無いのだろうか。
クロードが俯いて考え込んでいると、更に担当者から声が掛けられる。
「所有権を得られますが、どうしますか?」
「…え?」
呆けた顔で目の前の男を見つめてしまった。
「猫子を保護し、届けを提出したクロードさんに所有権が移ります。取得するか、放棄するかは自由です。放棄する場合は、私の方から保護施設への手続きを行います。どうされますか?」
最終的な決断を出来ないまま、クロードは役所を出た。
返事を保留にしてもらい、決まったら手続きをと言うことにしてもらった。
どうすべきか、わからなかったのだ。
自分には親が無い。
物心付いた頃には、街の保護施設で暮らしていた。
そこの暮らしは悪くはなかった。
ただ、自分の母は、父はどんな人だっただろうかと考えなかった訳ではなかった。
ミー子には家族があるのだろうか。
帰りたい場所があるのだろうか。
あるのなら、帰りたいのなら、そうしてやりたいとは思う。
このまま一緒に……それを俺は望むのだろうか。
それがわからなかったのだ。
うちに着く頃には太陽は姿を隠し、西の空は茜く色付いていた。
「ただいま」
玄関を開けると、寝室の出入口の陰から猫子が覗いている。
「土産」
袋を差し出すと、そこからはみ出すように見えていた串を見るなり、ミー子のケモミミがピクリと動いた。
瞳も開かれ目視は出来なかったが、鼻もヒクヒクしている事だろう。
「一緒に食べよう」
再度声を掛けると、ミー子が側へ掛けてくる。
気を引く作戦は成功だったようだ。
あの親父の串にくは効果絶大だ。
袋を渡し、こちらを見上げる猫子の頭をポンポンすると、いつものようにケモミミが手を払ってくる。
その表情はいつものミー子そのものだ。
二人でテーブルを囲み、晩ご飯の弁当と串にくを広げた。
いつものように焼き魚をほぐしながら、クロードが食事中には珍しく口を開いた。
「今日役所から呼び出しがあって、帰りに寄って来たんだ」
「にゃ?」
ミー子は串にくを頬張りながら顔を上げる。
クロードはあの担当者から聞いた話をそのまま伝えた。
ミー子の表情が曇っていく。
好んで聞きたい話ではない筈だ。無理もない。
「…クロさんは――」
「ミー子、家族は?」
驚きに目を見開くミー子を見つめる。
「ちゃんと家族があるなら…帰る場所があるなら…帰ってもいいんだ」
「………」
「……帰るか?」
「………」
「場所がわからないなら探す。それまでここに居てもいい。もう自由の身だから、お前の好きに生きられる」
「……っ……」
「帰りたいなら…帰してやる…」
自分で言った台詞なのに、胸の奥がズキッと傷む。
なんで、と思っていたら、ミー子が酷く怯えた顔をしていることに気が付き、戸惑った。
なんで、そんな……
「ミー子…」
立ち上がろうと膝を立てると、それよりも先にミー子が立ち上がる。
途端に薄く発光し、みるみる内に体が縮んでいく。
毛むくじゃらの時間になったらしい。
外を見ると、すっかり暗くなっていた。
今まで着ていた服が床に無造作に広がり、そこから這い出した仔猫が走って行ってしまった。
そのまま家具の隙間へ入っていく。
「ミー子!」
ほぐした魚も手をつけないまま、隙間に入って出てこない。
結局その日は何度呼んでもそれから姿を見せることはなかった。
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