お前、本当に猫か……?

 

 カーテンの隙間からちらちらと差し込む陽で目が覚めた。

 季節は夏の季に差し掛かっている。夜は比較的まだ涼しいが、陽の昇る時間帯はやはり暑い。

 昼間に籠った熱気を逃がすように昨夜開けた窓から心地好い風が舞い込むと、薄地のカーテンはフワリと形を変え、その度に降り注ぐ日光がジリジリと肌を焼いた。


 クロードは裸族ではない。が、暑さには弱い。かといって、寒いのが好きな訳でもないが。

 よって、夏は比較的薄着で寝る。下は短いパンツに、上半身裸等はざらにある。昨夜もそれでベッドへ入った。

 腹には何故か猫子から毛むくじゃらの姿に戻っていたミー子が丸まっていた筈だ。


「毛玉は夏が暑くて辛そうだな」


 なんて言いながらブルブルと大音量で喉を鳴らす丸いふわふわの背中を撫でたのを記憶している。何処で一体何を鳴らしてるんだといつも不思議に思う。



「……何でだよ」


 今、腹の上にいるのはミー子だ。が、毛むくじゃらではない。

 さらさらと流れる髪に三角のケモミミ。それと尻尾。

 猫子の姿だ。

 やっぱり真っ裸だった。

 このサイズだと、腹に乗られるとなかなかにキツい。

 腹の上だけに納まる訳もなく、胸まで圧迫されるので単純に苦しいのだ。

 そしてよりによってクロードも上だけ素肌を晒している。

 ミー子は当然生まれたままの姿。

 何も知らない奴が今この瞬間を見れば、クロードがイケない事をしているようにしか見えない構図が出来上がっている。


「……お前、毛むくじゃらに戻ったんじゃ無かったのか?」


 頭に触れるとケモミミがピクピクとクロードの手を払う。


「…んにゃぁ…」


 身動ぎながら頬を擦り寄せてくる。

 少女の肌は若くて艶やかでもっちりと柔らかい。

 体の真ん中からぞわぞわと何とも言えない感覚がせり上がって来て、クロードはふるふると頭を振った。


 違う。俺は変態じゃない。

 こいつは子供。女じゃない。

 男のさがだ。仕方ない。


「……ベッド……いるな」


 近いうちに制作しようと心に誓った。



 とにかく朝飯が届く前にこの状況を何とかしなければならない。

 また弁当を届けてくれるシエロが固まってしまう。

 無理矢理ミー子を起こすと、貰った古着を漁りシャツを見繕った。

 それを投げて渡し、自身もシャツを着る。

 ミー子は寝惚けているのか、ベッドへちょこんと座ったままシャツを手に持ち呆けている。


「ミー子、シャツを着ろ。シエロが来ちまう」


 今週は夜勤の為、家を出るのは夕の刻の鐘が鳴る頃になる。

 いつもはもっとゆっくり寝てるのだが、今日は仕事の前に役所へ行かなければならない。

 拾った仔猫が猫子だったと報告し直さなければならないからだ。

 だからあまり悠長にしていられないのだ。

 テキパキと支度を済ませたクロードが猫子へと視線を送ると、ミー子は未だベッドの上で呆けているではないか。


「……コラ」


 船を漕ぐその体がぐらりと傾き、ベッドから落ちそうになった所を受け止める。

 クロードの腹にぼすりと顔をぶつけ、その反動で半分目が開いた。

 視点の定まらない金色の瞳を覗く。


「んにゃ…?」

「お前鈍くさいな。本当に猫かよ」


 シャツを奪い無理矢理頭を突っ込んだ。


「ほら、さっさと腕出せ」


 シャツを着終わったタイミングでシエロがやって来た。

 ギリギリだった……。

 小さな食卓を二人で囲む。

 シエロが持って来てくれたミー子と二人分の弁当は、焼き魚弁当だ。

 クロードが買ってベリエに預けた小魚が使われている。

 白身の美味しい魚だが、小骨が煩わしい。

 クロードは気にせずバリバリ食べられるが、ミー子は違う。

 喉に刺さっても困るので、クロードが小骨を取り除いてやる。相変わらず上手に魚が食べられないのだ。猫のくせに。

 その間も眠そうに欠伸をしたり、掬ったご飯を口に運ぶ前に落としたりしていた。


「ミー子、落としてる」

「にゃ…」

「口に入ってない」

「にゃ…」

「それはおかずじゃなくてカップの方。食えんだろうが。中身は今落としたヤツだ」

「んにゃ?」

「いい加減起きろよ……」


 ガキの世話ってこんなに面倒くさいのか?

 それともこいつに手が掛かるだけなのか?


「ったく……ほら、口を開けろ」


 開いた口に魚のほぐし身を放り込む。

 もっきゅもっきゅと咀嚼し飲み込んだミー子は再び口を開く。


「自分で食えよ」


 そう言いながらも放り込んでやる。熱いおかずへのフーフーは欠かさない。


 ホント、親父の気分だな。


 そうして僅かに心へのダメージを蓄積するのだった。




 迎えに来てくれたシエロにミー子の支度を頼んだ。

 自身は既に終わっているため二人を待つばかりだ。

 忙しいシエロには申し訳ないが、仔猫を拾った事を証言して貰うのに一緒に役所へ行ってくれる事になっている。

 あの怪しげな石も一緒に持っていく。

 壊してしまった自覚があるため、本当は早く捨ててしまいたかったが、これが仔猫が猫子だった証明になるかもしれないのだから仕方ない。

 この石を見せた時のミー子の反応も気になった。

 顔を顰めて身を隠す程酷く怯えていたのだ。

 なるべく目に触れないよう、腰に着けたポーチの奥へねじ込んだ。



 そうこうしているうちに二人がやってくる。

 シエロは白のワンピース。ミー子はさっき着せたシャツにショートパンツ、赤いポシェットの出で立ちだ。

 あの赤いポシェットは、昨日露店を見て歩いた時にも下げていた。よほど気に入ったようだ。

 陽射しの痛い中を役所へ向かって歩いた。商業区の中程だ。歩いても然程掛からない。

 ミー子に帽子買ってやらないとな。

 そんな事を思いながら、楽しそうに前を歩く二人の後へ続いた。



 有り難い事に、役所の中は空いている。

 これなら早く終わりそうだと空いた席に座っていたら、クロードだけ別室へ呼ばれた。

 二人に露店を見てていいからと小遣いを渡し、役人と共に応接室へ入る。



「この石ですが、封印の呪術が施してありました」

「……は?」


 封印?

 何を言ってる……?


「仔猫を拾ったとおっしゃいましたが、『買った』訳ではないのですね?」

「買うって……何を……?」


 こいつは、何の話をしてるんだ?


 目の前に座る中年の役人が言っている事の理解が出来ずに、自らの眉間に皺が寄るのがわかった。自分の顔面が他人を震え上がらせる事は知っていたが、この役人はそんな事は意にも介さない様子だ。


「シエロさんの証言もありましたので疑う訳ではありません」


 疑うって、何をだ?


「クロードさんが保護した猫子には、仔猫の姿のままでいるように封印の呪術が掛けられていました。その呪いはまだ有効です」

「は? ミー子に、呪い…? ……なんで」

「恐らくですが、商品として扱われていた可能性があります」

「商品? いや、仔猫だけど獣人だろう?」

「だからですよ。奴隷として売買されていたのではないかと……」


 想像もしていなかった話に、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「封印の呪術は、現在禁止されている術なのです。ただ、他国では秘密裏に横行しているという話もあります。昼間猫子の姿で夜は仔猫、これはこの呪術の副作用による物だと思われます。治す方法はわかりません」


 ミー子が奴隷?

 あんな、小さな子を……?


 固まるクロードに、役人は嫌悪感を隠そうともせずに続けた。


「仔猫の方が持ち運びがしやすいのですよ。小さいからいくらでも隠して運べる。最近は減ってきているとはいえ、まだこんなことをしている不届き者がいるようですね」


 無意識に拳を作っていた。爪が食い込むほど固く握っていた。


「一応届けが出されているか調べてみますが、恐らく引っ掛からないと思います。明らかに違法な管理の仕方をしている。結果はお知らせしますか?」

「え……? あ……はい。お願いします」

「ではこちらの用紙に必要事項を…——」



 最後の方は、何を言われて、何をしてきたかよく覚えていなかった。

 気が付くと役所を出て二人がいる筈の露店の方へ足を向けていた。


 ミー子が、奴隷?

 あんなに小さくて可愛らしい少女が?

 商品……?


 信じられない単語の数々に頭がついていかない。

 ただこれであの石に異常な怯え方をしていた理由がわかった。

 あんな風に怯えるような目にあったと言うことだ。


「あ! クロさーん」


 ミー子の声に顔を上げる。

 笑顔で此方へ大きく手を振る猫子が見えた。

 手には串にくを持っている。

 また食ってるのかと口元が緩むも、心臓は直接手で握られているかのように痛くて苦しい。

 ミー子が側へと走ってくる。


「用事は終わった?」

「あぁ。ちゃんと冷まして食ったか?」


 顔が引き攣っているのが自分でもわかった。

 わかったが、どうすることも出来ない。


「にゃはは、火傷しちゃったにゃ…」

「……あほ。誰も取らないから冷まして食えと言ったろう」


 頭を撫でると、ピクピクと動くケモミミが手を払う。

 ふにゃりと崩れる笑顔が可愛らしくて、愛らしくて、苦しかった。

 無意識のうちに小さな体を引き寄せる。

 ミー子の後ろから走って来たシエロは、クロードの異変に気付いた筈だ。


「…クロさ……苦しい……」


 胸の中でもがくミー子を、今はただ抱き締める事しか出来なかった。

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