俺はいつから親父になったんだ。

 忙しない寮の朝食が終わり、昼食の準備が始まる僅かな自由時間にも関わらず、シエロは自分の着なくなったお古を持って来てくれた。


「助かる。時間無いのにすまないな」


 素直な礼を述べると、シエロは首と両手をぶんぶんと振った。取れてしまわないかと心配になる程の身振り手振りだ。


「いいの! 私こそくまさんのこと誤解して、酷い態度取っちゃったから! 本当にごめんなさい」

「……いや……」


 シエロは何も悪くない。悪くないのに謝らせてしまった事に、クロードはやはり申し訳ない気持ちになる。

 かくいうクロードも意図した訳ではないのだが……。

 猫子はシエロが持ってきた沢山の服を一枚一枚広げては床に置きを繰り返している。そのうち気に入ったものがあったのか、淡い黄色のふわふわワンピースを見つめたまま動かなくなった。


「それ、着てみる?」


 そんな様子の猫子へシエロが声を掛けると、ふにゃりと顔を崩し頬をピンクに染めて恥ずかしそうに頷いた。

 ならば早速とばかりにクロードの部屋だというのに家主が隅に追いやられ、女達によるお召替えが始まった。

 言葉を発する事の無かった猫子に話が出来ないものと思っていたクロードだったが、シエロと楽しそうに会話しているのを聞き、言葉が通じる事に安堵した。


「支度が出来たところで、買い出しにでも行ってくるか」


 そう言って上着を羽織るクロードを、シエロと猫子が目を丸くして見上げる。気に入った服が見つかったようで、着替えはすっかり終わっていた。


「このうちには俺の物しかないからな。必要最低限くらいは揃えないと」


 ついでに飯も外で済ませようと言ったら、猫子は嬉しそうにぴょんぴょんと跳び跳ねていた。

 シエロに昼と夜の食事はいらないからと伝えて貰うことにする。

 お古の中に入っていた小さな赤いポシェットを首から斜めに掛けると、猫子はその辺にいるような可愛らしい少女にしか見えなかった。……猫耳は健在だが。


 端からみたら親子だよな……


 そんなことを思い軽く心にダメージを負いながら、嬉しそうにクロードの前をぴょこぴょこ跳ねている猫子の後に続いて寮を出た。




 ここ、ベスティエ王国はベスティエール・ド・ルノー三世が治める王族第一の完全王政国家である。

 王都であるベスティエールでは、城を中心に街を形成しており、南北に大きなメインストリートが伸び、東西には商人が管理するサブストリートが伸びている。

 城の周りに貴族達の住まう地区、貴賓区があり、水路を隔てて商人たちの住まう商業区、また水路を隔てて市民達の住まう居住区が形成され、それよりも外側にスラム街があった。


 水路にはそれぞれの地区を行き来するための橋が掛けられ、主要道にはそれぞれ門があり、通行するためには逐一検査が行われる。

 クロード達一般兵は主に居住区と商業区を隔てる門やそれらの地区の見回りを任務としているため、住まいがサブストリートに近い。

 そして、商業区のサブストリートには道路に沿って様々な店や露店が並んでいる。

 クロードの住む、むさ苦しい野郎ばかりの独身寮は王都の西地区にあるため、今日の探索は西のサブストリートをぶらぶら歩く事にした。


 今時期は『春の季』から『夏の季』に移り変わることもあり、天気は崩れやすいが暖かな気温の日が多い。

 夏の季には大きな祭りも開かれる為、国内外から多くの商人が集まってくる。ここと東のサブストリートには、食べ物や道具屋等の露店も数多く並び、賑やかさが増すのである。


 ちらほらと増え初めた露店に、瞳をキラっキラに輝かせた猫子があっちへフラフラこっちへフラフラ、覗いては移動してを繰り返している。

 人混みもそれなりで、ぶつからないか迷子にならないかとクロードはひやひやしながらその背を見守る。

 この考えがすでに親父のそれであることに、クロード自身は全く気が付いていない。


 雑貨屋で猫子が使えそうな食器やタオルを買い、薬草屋で花の蜜から作られた石鹸やオイルを買い、装飾品の店で髪をとかす櫛を買った。


 と、急に猫子の動きが止まった。

 なんだと思って覗けば、長い串に大きめの一口大にカットされ焼かれた肉が刺してある『串にく屋』の屋号が見える。

 客を目の前に店主自ら焼いて見せるところがまた心憎い。辺りに香ばしい匂いを充満させながら道行く客を集めている。

 じゅわじゅわ小気味良い音を立てながら色付いていくそれに、猫子は涎を垂らさんばかりに凝視している。


「親父、二本くれ」


 見兼ねたクロードが注文した。タレがたっぷり絡んだ串を受け取り、飛び付きそうな猫子を落ち着かせながら近くのベンチへ座った。


「熱いから気を付け…——」

「に゛ゃっっ!!」


 言っている側からかぶり付き、あまりの熱さに驚くと涙目で此方を見上げてくる。


「あほ! お前猫舌だろうが。誰も取らないから、ゆっくり冷まして食え」

「……舌がヒリヒリするにゃ……」


 端からみたら親父にしか見えないんだろうな……

 子供どころか嫁もいないのにな……


 地味に心へダメージを負い、考えても仕方ないと諦め、猫子と一緒に串にくを堪能した。



 その後も果物が飴で覆われた『ルンゴ飴』や、他国で流行っているという『タプオカミルク』なる飲み物を片手に歩いた。

 カップに刺さったストローが珍しかったのか、猫子はじろじろと眺めている。

 飲み方が分からなかったようなので教えてやると、一気に吸い上げてしまい盛大にむせ返っている。そうなるとタプオカは小さいながらも凶器と化す。

 苦しそうに咳き込む猫子の背中をさすってやりながら、クロードは再び涙目を見た。


「……誰も取らんから、ゆっくり飲め」


 こんな大きななりをして、猫子に触れる手はいつも優しい。最初はビクビクしていたが、今ではすっかり慣れてしまった。

 叩いたり殴ったり、嫌な事を決してしない大きな手が、温かくて優しくて……猫子はとっても安心出来るのだ。

 こんな風に穏やかに過ごせるのは、怯えずに寝られる夜があるのは、いつぶりだろうか。

 そんな事を考えながら、涙の滲む瞳を隣に向けた。あいも変わらず分かりにくい表情を少しだけ緩めて、穏やかな眼差しが向けられる。それが少しばかりくすぐったくて、でも何だか分からないけどにやけてしまって。

 思わず尻尾がピンと立ってしまいそうになるのを我慢しながら、小さな粒々にビクビクしつつゆっくりゆっくり味わった。




「クロさん、これがとっても気になるにゃぁ」


 猫子はクロードを『クロさん』と呼ぶ。クロードと愛称の『くまさん』が混ざったのだろう。

 クロードは『ミー子』と呼んでいる。元々猫子に名前が無いのと、預かっている身で名付ける訳にはいかないから、鳴き声からそう呼ぶことにしたのだ。

 小道具屋で見かけたのは『猫じゃらす』だ。細い棒にふさふさの毛虫のような玩具と小さな鈴がついている。


 そりゃそうだよな……


 店主が面白そうに左右に振ってみせるそれに合わせて、猫子が右へ左へ頭と視線を走らせている。ワンピースの下では、尻尾も世話しなくくねくねしていることだろう。

 今のお前に必要なのか? と疑問を抱きつつ購入した。



 陽が傾き、反対側の空が藍色に染まりつつあるのをみとめ帰路につく。

 クロードはつまみと酒を、猫子にはチョコバナーヌを、夜ご飯には『ぷた丼』を買った。焼いた薄切り肉に甘辛いタレが掛かった丼飯どんぶりめしだ。

 それらを手に歩いていると、サブストリートから少し離れた所に、こじんまりとした露店を見つけた。周りに店は無く、ここだけポツリとやっている。

 何か気になったのか、猫子が見たいと言って駆けて行く。クロードが後に続いた。

 装飾品を扱っているようで、さまざまな色の石が使われたブローチや首飾り、腕輪などが広げられている。ローブを纏っていて顔はよく見えなかったが、声からして店主は若い男のようだ。ちらりと見えたエメラルドのような美しい瞳が妙に印象的だった。

 猫子はキラキラ輝く宝石のような魔石のついた装飾品には目もくれず、ひたすら複雑に編み込まれた細い紐を見ている。


「それは『ミサンガ』と言ってね、願いを込めてから体につけると、紐が切れた時にその願いが叶うと言われているんだよ」

「願いが、叶うの……?」

「そう。ただし、一度つけたら切れるまで外してはいけないんだ。お風呂の時も、寝るときもね」

「そうなんだ……」


 再びその紐を見つめる。編み方の技法や価値などちっともわからない猫子だったが、何故かそれに目が引き付けられて止まないのだ。

 不思議な気分だった。


「欲しいのか?」


 横を見ると、並んでしゃがんでいるにも関わらず、頭ひとつ分大きなクロードが此方を見下ろしていた。

 その瞳は酷く優しい光を宿している。

 猫子は欲しいと言って良いのかと戸惑いながらも小さく頷く。するとクロードはひとつしかなかったその紐を買ってくれた。


「普通は腕か脚につけるんだけど……」


 店主に苦笑いされながら、猫子はクロードに首へつけるよう頼んだのだった。

 何を願ったのかと問われたが、人に話してしまうと叶わないと教わったので言わなかった。

 そうして店主に見送られながら、二人は今度こそ家路についた。





「……どういうことだ?」


 街ぶらから帰宅し、晩御飯を済ませ、クロードがシャワーから戻ると、猫子がいなかった。

 何処行ったかと探し回り、脱ぎ捨てられた黄色のワンピースを持ち上げようとするとずっしり重い。

 何だ? と除くと、そこにはお腹をパンパンに膨らませて満足そうにひっくり返った毛むくじゃらの姿があった。


 首には先程若い店主に苦笑いされながら取り付けた赤いミサンガがくくりつけられていた。

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