第4話―― 俺はいつから親父になったんだ?

 寮の朝食が終わり、昼食の準備が始まる僅かな自由時間にも関わらず、シエロは自分の着なくなったお古を持って来てくれた。


「助かる。時間ないのにすまないな」


 素直な礼をのべると、シエロは首と両手をぶんぶんと振った。


「いいの! 私こそ、くまさんのこと誤解して、酷い態度取っちゃったから。ごめんなさい」


「……いや……」


 シエロは何も悪くない。悪くないのに謝らせてしまった事に、クロードはやはり申し訳ない気持ちになる。

 かくいうクロードも意図した訳ではないのだが……。



 猫子はシエロが持ってきた沢山の服を一枚一枚広げては床に置きを繰り返している。そのうち気に入ったものがあったのか、淡い黄色のふわふわワンピースを見つめたまま動かなくなった。


「それ、着てみる?」


 そんな様子の猫子へシエロが声を掛けると、ふにゃりと顔を崩し、頬をピンクに染め恥ずかしそうに頷いた。

 クロードの部屋だというのに、家主が隅に追いやられ、女達による御召しかえが始まった。


 言葉を発する事の無かった猫子に、話が出来ないものと思っていたクロードだったが、シエロと楽しそうに会話しているのを聞き、言葉が通じる事に安堵した。



「支度が出来たところで、買い出しにでも行ってくるか」


 そう言って上着を羽織るクロードを、シエロと猫子が目を丸くして見上げる。


「このうちには俺の物しかないからな。必要最低限くらいは揃えないと」


 ついでに飯も外で済ませようと言ったら、猫子は嬉しそうにぴょんぴょんと跳び跳ねていた。

 シエロに昼と夜の食事はいらないからと伝えて貰うことにする。

 お古の中に入っていた、小さな赤いポシェットを首から斜めに掛けると、猫子はその辺にいるような可愛らしい少女にしか見えなかった。……猫耳は健在だが。


 端からみたら親子だな……


 そんなことを思いながら、軽く心にダメージを負いながら、嬉しそうにクロードの前をぴょこぴょこ跳ねている猫子の後に続いた。



 ここ、ベスティエ王国はベスティエール・ド・ルノー三世が治める王族第一の完全王政国家である。

 王都であるベスティエールでは、城を中心に街を形成しており、南北に大きなメインストリートが伸び、東西には商人が管理するサブストリートが伸びている。


 城壁の回りに貴族達の住まう地区があり、水路を隔てて商人たちの住まう商業地区、また水路を隔てて市民達の住まう居住地区が形成され、それよりも国境近くなると、スラム街があった。


 水路にはそれぞれの地区を行き来するための橋が掛けられ、主要道にはそれぞれ門があり、通行するためには逐一検査が行われた。

 クロード達一般兵は主に居住地区と商業地区を隔てる門やそれらの地区の見回りを任務としているため、住まいがサブストリートに近い。

 そして、商業地区のサブストリートには道路に沿って様々な店や露店が並んでいる。

 クロードの住む、むさ苦しい野郎ばかりの独身寮は王都の西地区にあるため、今日の探索は西のサブストリートをぶらぶら歩く事にした。


 今時期は『春の季』から『夏の季』に移り変わることもあり、天気は崩れやすいが暖かな気温の日が多かった。

 夏の季には大きな祭りも開かれる為、国内外から商人が集まる。ここと東のサブストリートには、食べ物や道具屋等の露店も多く並び、賑やかさが増すのである。


 ちらほらと増え初めた露店に、瞳をキラっキラに輝かせた猫子があっちへフラフラこっちへフラフラ覗いては移動してを繰り返している。

 人混みもそれなりで、ぶつからないか、迷子にならないかとひやひやした。

 この考えがすでに親父のそれであることに、クロード自身は気が付いていない。



 雑貨屋で猫子が使えそうな食器やタオルを買い、薬草屋で花の蜜から作られた石鹸やオイルを買い、アクセサリー屋で髪をとかす櫛と毛をとかすブラシを買った。


 と、急に猫子の動きが止まった。

 なんだと思って覗けば、長い串に大きめの一口大にカットされ、焼かれた肉が刺してある『串にく屋』の屋号が見える。

 客を目の前に、店主自ら焼いて見せるところが心憎い。辺りに香ばしい匂いを充満させながら道行く客を集めている。

 じゅわじゅわ小気味良い音を立てながら色付いていくそれに、猫子は涎を垂らさんばかりに凝視している。


「親父、二本くれ」


 タレがたっぷり絡んだ串を受け取り、近くのベンチへ座った。


「熱いから気を付け…――」

「にゃ゛っっ!!」


 言っている側からかぶり付き、あまりの熱さに驚き、涙目で此方を見上げてくる。


「バカ! お前猫舌だろうが。誰も取らないから、ゆっくり冷まして食え」


「…舌がヒリヒリする……」


 端からみたら親父にしか見えないんだろうな……


 地味に心へダメージを負い、猫子と一緒に串にくを堪能した。



 その後も果物が飴で覆われた『ルンゴ飴』や、他国で流行っているという『タプオカミルク』なる飲み物を片手に歩いた。


 カップに刺さったストローが珍しかったのか、猫子はじろじろと眺めている。

 飲み方が分からなかったようで、教えてやると、一気に吸い上げてしまい盛大にむせ返っている。そうなるとタプオカは小さいながらも凶器と化す。

 苦しそうに咳き込む猫子の背中をさすってやりながら、クロードは涙目を見た。


「…誰も取らんから、ゆっくり飲め」


 こんな大きななりをして、猫子に触れる手はいつも優しい。

 叩いたり殴ったりしない大きな手が、暖かくて優しくて、猫子は安心出来た。


 その後は小さな粒々に怯えながらゆっくりゆっくり味わった。



「クロさん、これがとっても気になるにゃぁ」


 猫子はクロードを『クロさん』と呼ぶ。クロードと言う名前と、愛称の『くまさん』が混ざったのだろう。

 クロードは『ミー子』と呼んでいる。元々名前が無かったのと、預かっている身で名付ける訳にはいかないからだ。ミーと鳴くから自然とミー子と呼ぶようになった。


 小道具屋で見かけたのは『猫じゃらす』だ。細い棒にふさふさの毛虫のような玩具と小さな鈴がついている。


 そりゃそうだよな…


 店主が面白そうに左右に振ってみせるそれに合わせて、猫子が右へ左へ頭と視線を走らせている。ワンピースの下では、尻尾も世話しなくくねくねしていることだろう。

『爪とぎ』と共に購入した。



 陽が傾き、反対側の空が藍色に染まりつつあるのをみとめ帰路につく。

 クロードはつまみと酒を、猫子には夜ご飯に『ぷた丼』を買った。焼いた肉に甘辛いタレが掛かった丼飯どんぶりめしだ。

 それらを手に歩いていると、今度はサブストリートから住宅地の方に少し離れた一所に、こじんまりとした露店を見つけた。

 何か気になる物でもあったのか、猫子が見たいと言い、クロードが後に続いた。

 主にアクセサリーを扱っているようで、店主はフードを目深に被った若そうな男だ。エメラルドのような美しい瞳が印象的だった。

 猫子はキラキラ輝く宝石のような魔石のついたアクセサリー類には目もくれず、ひたすら複雑に編み込まれた細い紐を見ている。


「それは『ミサンガ』と言ってね、願いを込めてから体につけると、紐が切れた時にその願いが叶うと言われているんだよ」


「願いが、叶うの……?」


「そう。ただし、一度つけたら切れるまで外してはいけないんだ。お風呂の時も、寝るときもね」


「そうなんだ……」


 再びその紐を見つめる。幾つかの紅い紐で複雑に編み込まれた美しい組紐だ。技法やその難易度等ちっともわからない猫子だったが、何故かそれに目が引き付けられて止まないのだ。不思議な気分だった。


「欲しいのか?」


 声のした方を見ると、並んでしゃがんでいるにも関わらず、頭ひとつ分大きなクロードが此方を見下ろしていた。

 その瞳は酷く優しい光を宿している。

 猫子が小さく頷くと、クロードはひとつしかなかったその紐を買ってくれた。体に身に付ける物だと教わったので、早速クロードにつけて貰う事にした。


「本来は腕か脚が一般的なんだけど……」


 店主に苦笑いされながら、猫子はクロードに首へつけるよう頼んだのだった。外れないようしっかりと結んで貰う。

 帰路につきながらクロードに何を願ったのかと問われたが、人に話してしまうと叶わないと教わったので言わなかった。ただその表情からは満足そうな事だけは伺える。クロードも深く追及する事なく、楽しそうに嬉しそうに前を歩く猫子の後ろを穏やかに歩いた。





「……どういうことだ?」


 街ぶらから帰宅し、晩御飯を済ませ、クロードがシャワーから戻ると、猫子がいなかった。

 何処行ったかと探し回り、脱ぎ捨てられた黄色のワンピースを持ち上げようとするとずっしり重い。

 何だ? と除くと、そこにはお腹をパンパンに膨らませて満足そうに丸まった毛むくじゃらの姿があった。


 首には先程若い店主に苦笑いされながら取り付けたミサンガがくくりつけられていた。 

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