第6話――人の気も知らないで、幸せそうな顔しやがって…

 夕の刻の鐘が響き渡る。

 大きな通路は行き交う人々で溢れていた。

 これから仕事へ向かう者。逆に仕事が終わり、家へと帰って行く者。夕飯の買い物に出ている者。飲みに繰り出そうとしている者。

 いつもと変わらない日常の風景がそこにはあった。


 役所へ行った後、クロードを心配するシエロにぎこちない笑みを向けると、後で説明するからと猫子を預けた。

 本当は家まで二人を送り届ける予定だったのだが、あの役人の口から発せられた言葉の衝撃に、僅かでも一人で頭を冷やす時間が欲しくなったのだ。



――奴隷として売買されていたのではないかと……


 奴隷。

 その重く陰惨な空気を纏う単語が耳から離れない。


 クロードの住むここ、王都ベスティエールにも奴隷の制度はある。

 実際、貴族と呼ばれる高貴な家柄の人間達がその制度を利用している事も知っている。

 それらがどのように扱われるのかも、噂程度には知っている。

 ただ、クロードのような一般兵にはその制度自体が馴染みのない物であり、役人から猫子の話をされるまでは『知っている』程度でしかなかった。



――仔猫の方が持ち運びがしやすいのですよ


 まるで物のような扱い。

 売ることが前提の商品としての扱い。

 あんなに小さな子供までが。

 術を掛けられ、魔道具で支配されるのか。


 獣人は普通の人間よりも身体能力が高い。男性、女性で扱われ方も変われば、戦争で兵器として使われる事もあると聞く。そしてそれを可能にする為の呪術や魔道具なのだ。

 役人の話が頭の中をぐるぐると堂々巡りしていた。


 土砂降りの雨の中、震えていた小さな毛むくじゃらの姿を思い出す。

 串にくを持ち、熱いのにかぶりつこうとしていた姿が。

 お古のワンピースを着せて貰い、頬をピンクに染めてはにかむ顔が。

 首から外れた魔道具に酷く怯えた顔が浮かんだ。


 自然と拳が握られる。気が付くと、強く握りすぎて白くなり、わなわなと小刻みに震えていた。



「どうした? くま。今日はやけにおっかない顔してるじゃないか」


 共に市中へ見回りに出ていた兵士が声を掛けてくる。


「ヤマさん……」


 クロードよりもずっと年上で、兵士歴も長い。いつも穏やかな表情をしていて、ヤマさんの愛称で慕われている先輩だ。


「それじゃぁ市民が皆逃げていっちまうぞ」


「……すいません」


 振り返るその背に追い付き、並んで一緒に歩き出す。

 大きな通路は相変わらず喧騒に包まれ活気がある。


「なんかあったか?」


「…いえ、ただ、世の中は理不尽で不公平だなって…」


 ヤマさんは小さく笑った。


「どうにもならないことなんていくらでもあるさ。…それでも俺達は生きていかなきゃならん」


「理不尽で不公平でもですか?」


「そうだ。死んだら其処で終わっちまう。いつか記憶は薄れて、そのうち忘れさられる。覚えてるのなんて近しい身内くらいなもんだ」


「…そうですね」


 クロードの回りでも実際に自ら命を絶った仲間がいた。

 随分前のことで、名前は覚えているが彼がどんな声だったのか、どんな会話をして笑っていたか、正直なところ記憶は薄れてしまっている。



「理不尽だ不公平だって思うのなら、生きてそれを言い続けろ。この先も変わらないかもしれないが、生きる事が最大の抵抗で主張なのさ。まっ、俺の小遣いは一生上がらんだろうがな」


 はにかむヤマさんにクロードもつられる。


「それに、俺はこのクソみたいな世の中でも、満更じゃねぇと思ってる」


「え?」


「仕事終わりで飲む一杯が格別な時や、嫁と子供が幸せそうに涎垂らして寝てたりすんのを見たら、もうちょっと頑張ってみるかと思うよ」


「涎って…」


「でもまぁ、俺ら下っ端にはそれくらいで丁度いいのさ。大層なことは大層なお方がやりゃいい」


「……」


「にやけるくらいの小さなもんでいい。あるだけ儲けもんだろ」


 クロードはぐるりと辺りを見回す。

 先程と変わらない喧騒が広がっている。


 店主と笑いながら会話し、商品を受け取る主婦。


 仲間なのか、肩を組んで笑っている若者達。


 この喧騒のひとつひとつがヤマさんの言う小さな幸せの集まりなのだろうか。


 ミー子と一緒に露店を回った時の事を思い出す。

 瞳をキラキラと輝かせてあっちこっちと覗いていた楽しそうな姿があった。


 少しでも幸せだと思っただろうか。

 こんな世界でも生きてて良いことあるかもと思えただろうか。

 俺が拾った意味が、あったのだろうか。


 そんな事を考えながら、再び少し前を歩くヤマさんの背に追い付くよう歩を早めた。



 城門にある兵士の詰所で、宵闇の刻を知らせる魔道具が静かに鳴った。

 交代に訪れた兵士に引き継ぎをすると、詰所で鎧を外し、勤務表へサインをする。

 さすがに夜中なだけあって、人影はなく道路は暗く静まり反っている。

 仔猫を見つけた前を通り過ぎ、寒さに震えたあの姿を思い出すと、いつの間にか帰路につく歩幅が大きくなった。


 寮の部屋に辿り着くと静かに部屋の鍵を開けた。

 流石に玄関の腰掛けには座っては居なかったが、毛むくじゃらは居ると思っていたベッドには居なかった。

 室内は少々荒れている気がする。


 一人にして怒ったか。


 一番荒れている洗濯物を入れている籠へ近付く。

 辺りに巻き散らかされた衣類を一枚ずつ集めていくと、途中何かに引っ掛かる。

 やっぱりか、と小さく溜め息を吐き出し、そっと捲ると小さな毛むくじゃらが丸まっていた。

 気配を感じたのか薄く目を開けるとミーと鳴く。

 ふわふわの毛を感じながら、頭から背中に掛けて優しく撫でてやると、喉からゴロゴロと聞こえてくる。

 瞳を閉じ、線のように細めて呑気な顔をしているではないか。


「人の気も知らないで、とぼけた顔しやがって」


 自然と頬が綻んでいる。

 それに気が付き自分自身に驚いた。

 にやけるくらいの小さなもんでいい、か。

 確かにそうかもしれない。

 ヤマさんの言葉を反芻しながら、クロードはふわふわの体をもう一度撫でてやった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る