「……婚姻、ですか……?」


 クロードとアトリアの正面に机を挟んで座る担当者が、驚きの表情を浮かべたまま交互に二人へ視線を送っている。

 ここは役所の応接室。

 アトリアに呪いの術が掛けられていることを教え、二人の新居の手続きをしてくれた、例の中年の担当者だ。



 昨夜、クロードから突然出兵の報告と共に求婚されたアトリアは、混乱しながらもそれを受け入れた。元より断る理由など無かったのだが。

 タイミングがタイミングだっただけに、散々泣き散らし毛むくじゃらとなって一晩越え、翌朝泣き腫らした瞼で返事をする羽目になってしまった。



『今すぐ奥さんにして欲しい』

 そう言ったのはアトリアだった。

 クロードは全部終わって落ち着いたらゆっくりでも良いと考えていたのだが、それでは嫌だと珍しくアトリアが言い張った。

 クロードが約束を違える等とは思っていない。生きて帰ると言った事も、ずっと一緒にいたいと言った事も、もちろん信じている。

 それでも不安な気持ちは無くならないのだ。戦場へ行ってしまう前に確かな証が欲しかった。

 アトリアの不安に思う気持ちがよく分かるだけに、クロードも駄目だとは言わない。自分としては早くても後からでも不都合など何もない。

 それならアトリアの希望を叶えてやりたいと、休みに早速役所へ訪れる事にしたのだ。



 それらの事情を聞き、担当者は改めてアトリアへ視線を向けた。

 最後に会ったのはいつだったか。豊穣祭がまだ準備の段階だった頃の筈だ。

 夏の初めの頃で、これから暑くなるから毛皮をもつ獣人には厳しい季節になるだろうと思ったものだ。

 それがどうだろうか。

 少し見ない間に随分大きく成長し、生命力の溢れる魅力的な女性へと変貌を遂げている。

 同居の手続きをした時はてっきり親子の関係なのかと思っていたのだが、今の二人は並んで恋人同士だと言われても違和感は無い。



「出来ますか?」


 二人の話を聞いて黙り込んでしまった担当者に、クロードが声を掛ける。

 担当者は「失礼しました」と、二人に改めて向き直った。


「分かりました。以前していた同居の手続きを取り消し、婚姻の手続きへ変更致します」


 担当者の返事に、アトリアが嬉しそうに表情を崩した。


「ただ……」

「ただ?」

「お気を悪くなさらないでください。……獣人との婚姻が認められるのか、分かりかねます。私の知る限り前例が無いもので」

「え……」

「そうなんですか?」

「……はい」


 そう言う事なのだろう。

 獣人は奴隷として使役する対象であって、婚姻の対象には成り得ない。

 つくづく腐っていると、クロードは舌打ちしそうになるのを辛うじて堪えた。


「申し訳ないのですが、時間を頂けますか? 調べてみます」

「でも」

「アトリア」


 何か言いたげなアトリアを制したクロードが彼女の肩をそっと抱いた。俯いてしまったアトリアを諭すように頭を撫でると、クロードが担当者へ視線を戻す。


「お願い出来ますか」

「はい。なるべく早くお伝え出来るよう、努力します」

「よろしくお願いします」


 担当者に向けて頭を下げると、二人で揃って席を立つ。

 部屋を出る直前、担当者に呼び止められた。


「クロードさん、アトリアさん。ご婚約、おめでとうございます。個人的にはなりますが、心からお祝い申し上げます」


 そう言って微笑みを浮かべた彼に、二人は深々と頭を下げた。





 帰り道、寄りたい所があると言ったクロードと商業地区にある工房街を歩く。いつも訪れる商店街とは違う街並みに、アトリアは興味深く辺りを見回している。

 体に身に付ける鎧や盾が並ぶ店には、革製の胸当てから煌びやかな甲冑まで様々並んでいる。剣や弓大きな斧が並ぶ店には、見慣れた剣から大剣まで、弓も狩りに使うようなものから殺傷能力の高そうなクロスボウまで、斧に至っては「一体誰が持てるんだ?」と思う程、重そうで巨大なものまである。様々な色の液体が入った瓶が並ぶ店は不気味すぎて近寄り難かったし、葉や花や謎の植物が量り売りされているらしき店にはローブを纏った怪しげな人間が出入りしている。

普段目にする事のないものばかりが並んでいる通りを、アトリアはクロードにピッタリくっついたまま、興味深々に観察しながら歩いている。

 クロードは知っている場所だからなのか特に興味を示すでもなく、どちらかと言えば珍しそうにキョロキョロと忙しなく視線を行き来させるアトリアを見て楽しんでいた。



「ここだ」


 辿り着いたのは一軒の小さな工房だった。看板は出ていない。

 木製の扉を開けると中は薄暗く、クロードが一緒でなければ入るのを躊躇ってしまいそうだった。繋がれた手に力を込め、更に腕にしがみつくように体を寄せると、中へ足を踏み入れた。

 扉が閉まると益々店内の暗さが際立つ。外からの光が遮断されると、徐々に店内に変化が起こった。


「わぁ……綺麗……」


 壁一面が棚になっているそこかしこが淡く光っているのだ。赤や黄色、ピンクにオレンジ、青に緑と、大小様々に光っている。

 色鮮やかな星空のようだと思った。


「これ何?」

「魔石だ。ここは魔鉱石を加工している工房なんだ」

「へぇ……」


「親父さん!! ……留守か?」


 クロードが奥へ呼び掛けると、ややあってカウンターの奥から一人の男が姿を見せた。クロードよりも年配でずっと小柄だが、良い体格をしているいかにも職人といった様相の男だ。

 ゴーグルのようなものを掛けているが、そのレンズが飛び出しているように見えた事から、アトリアは何となく虫や爬虫類を連想した。

特殊な防具か何かなのだろう。片方のレンズ部分をパカリと開くと、男はクロードとアトリアを交互に眺める。


「なんだクロード。久しぶりに来たと思ったら、随分色っぽいねーちゃん連れてるじゃねぇか」

「俺の嫁さんだ」

「なにぃ? 何時貰ったんだ!?」

「これから貰うんだ。今日は頼みがあって来た」

「……お前さんが身を固めるたぁ、驚きだぁ」


 そう言って今度はまじまじとアトリアを見つめてくる。


「お前さん、猫子か?」

「は、はい!」

「良い男見つけたなぁ」

「…はい」


 迷いなく頷いたアトリアに嬉しそうに笑うと、「ちょっと待ってろ」と奥へと入っていく。

 直ぐに戻ってくると、クロードの手の平程の薄いケースをカウンターへ置いた。パカりと蓋を開けると、小さな多面体に美しくカットされた魔石が等間隔に並べられている。様々な色の魔石は、まるで宝石のように僅かなランプの灯りでキラキラと煌めいている。


「これは?」


 アトリアの問いに親父さんが応えてくれる。


「装飾用の魔石さ。色を出すために魔力が込められているが、効力は無い。が、輝きは一生もんだ。好きなの選びな」

「え……好きなのって……?」


 困惑にクロードを見れば、此方を見て頷いている。


「リングを作って貰うから、アトリアの好きな石を選ぶと良い」

「リングって?」

「結婚する相手に贈る物だ。時間が無いから直ぐ作ってくれる親父さんに頼みに来た」

「わたし、に…?」


 クロードがコクリと頷く。

 いつもの優しい眼差しが向けられ、アトリアの胸が小さく跳ねる。


「俺の変わりだと思って持っていて欲しい」

「……クロさん……」

「帰って来たら、揃いでまた作って貰おう」

「…嬉しい…」

「さぁさぁ選びな」


 アトリアは再び魔石へ視線を落とした。どれも綺麗でキラキラと輝いていて迷ってしまう。好きな色は黄色だが、淡く水色に輝く石を選んだ。

 クロードの瞳の色だ。

 幾つかサンプル用のリングをはめてサイズを確認すると、選んだ石を持って親父さんが奥へと姿を消した。

 少しして工具を使う音なのか、色んな音が聞こえてくる。


 クロードと店内に陳列された魔石や魔道具を眺めて待つ。

 あれは何に使うとかこっちはどうだなんて話していると、いくらも待たずに親父さんが戻って来た。

 こじんまりとした台座に、アトリアの選んだ石が埋め込まれたシルバーのリングが置かれている。

 それをクロードが手に取ると、アトリアの左手をすくいとる。薬指にぴったりと収まると、青い石がキラキラと輝いて見えた。


「…キレイ」

「加工費はいらん。俺からの祝いだ」

「しかし…」

「その代わりちゃんと帰って来い。揃いの作る時もうちへ来い」


 戦争の噂は親父の耳にも入っていたのだろう。真っ直ぐに向けられた眼差しは、確かにクロードを案じるものだった。


「ああ。必ず」


 そう約束し二人で礼を告げ店を後にした。




 その後数日は何事もなく、いつも通り過ごした。

 ベリエとシエロが二人のお祝いにと、ささやかだがパーティーを開いてくれた。独身寮のむさ苦しい男達にレオニも加わり、二人の婚約を祝ってくれたのだ。


 寝室の衝立は取り除いた。

 前のようにベッドを並べて置いたが、アトリアが自分のベッドで目覚める事はほぼ無かった。起きた時にはクロードの腕の中にいるのが当たり前になりつつあった。

 幸せな時間を過ごしながらも、アトリアが一番待ち望んだ役所からの連絡は未だ来ないまま。

 期待も虚しく、遂に騎士団が出兵したという噂が流れたのだ。

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