第24話――抱きしめて

「…え…?」


「明後日。立つ事になった」


 クロさんがベリエ母さんの食堂まで迎えに来てくれて帰路につく。

 夕飯は包んで貰った。

 家に着いて直ぐ二人でテーブルを囲む。

 いつも通りの美味しい夕飯を食べながら、珍しくクロさんが口を開いたと思ったらそんな話だった。


 分かっていた筈だったのに、いざ聞かされると途端に頭が重くなる。

 心臓が嫌な音を立てて鳴り出し、体がじわじわと変な汗をかき出した。


「アトリア? …大丈夫か?」


 黙り込んでしまった私に、クロさんが声を掛けてくれる。

 顔を上げると心配そうな瞳がこちらへ向けられていた。


 私がこんな顔させちゃ駄目だ。

 戦いに行くクロさんはもっと不安な筈だから。

 そういい聞かせて引き攣る頬を無理矢理動かす。


「ごめんなさい。分かってはいたけど、いざ聞くとどうしても……」


「俺が留守の間は、母さんに頼んでおくから、ちゃんと頼れ」



 私の心配をしてくれるんだね。

 クロさんの方がずっとずっと怖くて不安だろうに。


「大丈夫だよ。相変わらず心配性なんだから!」


 笑って話すと、クロさんは真面目な表情浮かべていて驚く。


「当たり前だろう。アトリアが一番大切なんだから」


「…!!」


「…心配くらいさせてくれ」


 どうしてそんな事言うの?

 自分の心配して欲しいのに。

 私のことなんかよりずっと……

 そんなに優しくされたら…泣いてしまう。

 行かないでって…すがりついてしまう…


「…先に、お風呂入っちゃうね…」



 食事が途中だったけど、かまわずシャワーへ向かった。

 でなければ泣き出してしまいそうで。

 声を上げて泣いてしまって、クロさんを困らせてしまいそうで。

 いつもより強めにお湯を出して押し殺した声をかき消した。



 お風呂を出ると、クロさんは部屋の端の方で荷造りをしていた。

 小さな麻袋にほんの少しの荷物を入れている。

 此方に気が付くと、魔風具を手にして手招きされた。


「おいで」


 クロさんがソフアに腰掛け、その足元に座る。

 クロさんに背を向ける形で膝を抱えるように座った。

 魔風具の音は聞き慣れないせいか落ち着かない。

 大きな音が苦手な私は普段から自然乾燥派なのだ。

 でも、今日はクロさんがやってくれると言うので、言われるがまま側へ寄った。

 髪に触れるクロさんの手はとても優しい。撫でるように鋤くようにたまにくしゃくしゃっと、私の細い猫っ毛を乾かしてくれる。

 たまにケモミミへ風で舞った髪がまとわりつくと、こそばゆくてピクピクと払ってしまう。


 やがて風が止むと、終わった合図なのかクロさんの大きな手が頭を撫でてくれる。

 子供扱いなのかと思っていたが、これはクロさんの愛情表現のひとつなのだと理解した。

 私の頭を撫でる時、頬へ触れる時、クロさんはとても穏やかな優しい眼をしている。

 見上げると、やっぱりいつもの優しい顔だった。


 大切に想ってくれている。


 それが行動から、仕草から、表情から、ちゃんと伝わってくる。

 それだけで安心出来た。心地好い。

 胸がドキドキして、暖かい気持ちになれるのだ。


 クロさんはひとしきり頭を撫でると、「風呂行ってくる」とその場を立った。

 その背中を見送る。



 胸のドキドキがいつもと違う。

 暖かい気持ちになっているのは勿論ある。

 ただそれ以外に、焦燥感のような物があった。やっぱり不安の方が大きい気がする。胸騒ぎのような不快なもやもやが、胸の奥で燻っているのだ。

 ソフアへ寝転び、肘置きへ頭を乗せると目を閉じる。


 側にいて欲しい。

 何処にも行かないで欲しい。

 その腕に抱いていて欲しい。

 頬に触れて、いつもの優しい眼差しを向けて欲しい。

 あの低い声で何度も名前を呼んで欲しい。

 その願いが叶わなくなってしまう。

 そう思うと、閉じた瞳から涙が伝って零れた。




「…ここで寝たら風邪引くぞ」


 近くで声がして目を開ける。

 髪の毛が濡れたままのクロさんが此方を見下ろしていた。

 指先が目元を拭ってくれる。

 いちいち優しい仕草がやっぱり胸をぎゅうぎゅうに締め付けた。

 心配させたくなくて泣かないようにしてたのに、やっぱり無理みたいだ。

 黄金色の瞳からポロポロと涙が零れていく。


「クロさ……おね、がい」

「…ん?」


「いか、いでっ、て……言わない、から……抱きしめて…」

「アトリア…」


「クロさん…が、いない間、寂し、ないよに…たくさ、抱き、しめて」

「…っ…」

「…おねがい」


 一瞬歪められた表情が戻ると、クロさんは私に被さるように体を寄せ、背中に腕を回してくれる。

 首へしがみつくように腕を伸ばすと、クロさんの唇が落ちてきた。

 体がきつく締め付けられたけど、離してなんて欲しくなかった。

 息を奪い合うような激しいキスを交わし、お互いの鼓動を感じるくらいきつく抱き合う。


 全身が熱い。

 頭がくらくらする。

 息だって苦しい。

 心臓が破裂しそうな程ばくばく鳴っている。

 それでも離れたくないし、離して欲しくなかった。


 クロさんに抱き上げられて、ベッドへ下ろされる。

 灯りが落とされたままのそこで全てを委ねた。

 一枚の薄い布でさえ邪魔に思える。

 指を絡め、衣服を脱ぎ捨て、体を重ねて素肌で触れ合う。

 クロさんの重みを感じながら、初めて心の全てが満たされた気がした。



 クロさんが何度も名前を呼んでくれる。

 私だってそうした。


 好きって言って

 たくさん抱き締めて

 たくさんキスして

 手を握って欲しいけど、指が絡む繋ぎ方じゃなきゃ嫌

 たくさん触って

 頬を撫でられるのが好きなの


 たくさんワガママ言ったのに、クロさんは全部叶えてくれた。

 いつもの優しい穏やかな表情を浮かべて。

 夜が更けてやがて睡魔に襲われ、うとうとと微睡む。

 私が完全に眠りにつくまで、クロさんはずっと腕に抱いて頭を撫でてくれていた。


 闇に意識が引き摺られる寸前、私の耳の奥の方で、細い鎖が何本も切れて粉々に砕け散るような音が聞こえた気がした。


 それは最後の呪いが消え去る音だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る