第1話――そんなつぶらな瞳で俺を見るんじゃない。

 連れ帰って来てはみたものの……


「…どうすりゃ良いんだよ……」


 とにかく震えた体をどうにかしないことには益々弱ってしまう。

 そう思い濡れた上着をとっぱらうと、鍋型の魔道具で直ぐ様湯を沸かした。

 水で調整しながら人肌よりも熱い位の湯を用意し、今はもう観賞用となった大鍋へ移すと仔猫用の風呂を張った。

 そこへ静かに入れると手早く泥を落としてやる。

 猫は水が嫌いだと聞いたことがあったが、この毛むくじゃらは暴れることも抵抗することも無かった。

 汚れた湯を替えて、もう一度すすぐように洗う。

 乾いたタオルで包み、強く擦らないよう細心の注意を払いながら丁寧に体を拭いた。

 体が大きく、力もそれなりに強い方だ。

 気を付けなければこの小さな体を握り潰してしまいそうで怖かった。


 泥が落ちると模様がはっきり分かる。

 顔の下半分からお腹、脚にかけて白い毛が、顔の上と背中側、尻尾にかけて黄色に近い茶で覆われ、濃い茶の縞模様が入っていた。

 おでこに白い毛で模様が付いているが、それがどことなく星に見える。ような気がする。

 首には首輪が付いていた。が、普段目にするような首輪とは様子が違っている。

 バンド部分が鎖になっていて、四角く加工された石が一つだけ付いている。クロードの手の爪程の大きさがあり、仔猫にとっては重そうだ。

 何の石なのか。宝石にしては色が悪いから違うと思う。黒いのか紺色なのかいまいち不明で、なんとも言えず輝きもない石だ。

 外してやろうかと思ったが、やり方が分からず諦めた。ある筈の留め具がなかったのだ。


 いくつかタオルを替えてようやく体が乾いてくると、今度はこちらが濡れたままなのを思い出した。とりあえず、着替えだけ済ませる。


 風呂に入ろうにもこいつがいるしな……


 タオルに包まれたままの毛むくじゃらはもう鳴き声すらあげていない。

 何か食べさせないと弱っていく一方に思えた。


「こいつの食えそうな物なんてあったか……」


 ぶつぶつ良いながら台所回りを見回すが、普段自炊など滅多にしないクロード家には酒以外の食料がなかった。


「……参ったな……」


 さっきから同じ事しか言っていない自分に溜め息を吐き出しながら、クロードは仔猫を連れて部屋を出た。



 クロードが住んでいるのは、一般兵用の独身寮だ。

 二階立ての集合住居で、間取りは台所が付いた居間と寝室にしている二部屋だ。

 シャワー室と便所は共同で、それぞれ各階に用意されている。

 建物には管理人が常駐しており、洗濯は頼めばやってくれるし、一階には食堂もあり、お金を払えば利用することが出来た。

 かれこれ十五年住んでいるクロードは顔見知りも多かった。

 この時間なら、夕食の準備前だろうと踏んでこそこそと食堂の厨房入り口へ向かった。



 夕食前とあって、利用者の姿はない。

 が、厨房からは調理器具を扱う音が聞こえている。

 こっそり中を覗くとすぐ側でこちらへ背を向けて作業をしているシエロの姿があった。この食堂で腕を奮っている皆の母ちゃん、ベリエの娘だ。

 十七歳と若いが、ベリエと二人、この独身寮の食べ盛り達の胃袋をいつも満足させてくれている。

 迷った挙げ句、意を決して声を掛けた。


「シエロ。頼みがある」


 入り口から自分を呼ぶ声に反応し、彼女がこちらへ振り返った。

 ひとつに纏められた茶色く長い髪が揺れる。


「くまさん! どうしたの?」


 少し日に焼けた健康的な肌色に、少々吊り気味な大きい瞳が可愛らしい。

 いつも明るく元気な娘の笑顔が向けられる。

 体が大きいせいか、クロードは回りから『くま』の愛称で呼ばれる事が多い。

 彼女も例外ではなかった。


「それが、とんだ拾い物しちまって……」


 タオルに包まれた毛むくじゃらを見せた。


「猫? やだ! 可愛い!! ちっちゃいね。女の子? どうしたの?」


「帰ってくる途中で見つけた。弱ってるみたいで。こいつの食えそうなもん、何かないか?」


 うーんと腕を組みながら首を捻る。


「そうだなぁ。仔猫だし、弱ってるならミルクとかの方がいいのかな」


 ちょっと待っててと言いながら、奥の方へ姿が消えた。

 すぐにベリエを連れて戻ってくる。


「くま。猫拾ったんだって?」


「お陰でママの所へ行きそびれちまったよ」


 やさぐれて言うと、ベリエは豪快に笑った。


「毎年楽しみにしてたものね! まぁでもそのお陰で小さな命が救われたんだ。良しとしようじゃないか」


 ベリエはさっとミルクを温めると、その中に朝食で食べるようなシリアルを入れた。少し煮込んでどろどろの状態にしている。ミルク粥のようだと思った。

 それを保温のきく魔道具の深皿へ移し、クロードへ持たせてくれる。


「これを少しずつ食べさせておやり。ただのミルクよりはいくらかマシだろう」


「すまない」


「晩飯いるかい? 後で届けてあげるよ」


 今夜はママの所で済ますつもりでいたクロードは、いつも頼んでいる夕飯をキャンセルしていた。

 それを作ってくれる上に、部屋まで届けてくれると言うのだ。

 ……有り難い。


「恩にきるよ」


 二人に礼を言って別れ、クロードは再び部屋へと戻った。



 戻ると早速仔猫の体を包んでいたタオルを開き、側にミルク粥を置いてみる。

 タオルの上に踞ったままの毛むくじゃらは動こうともしない。

 小さな体は相も変わらず小刻みに震えている。

 まだ寒いのか…

 それとも怖いのか。

 いきなり大男に連れて来られて湯を引っ掛けられたり、タオルでわしゃわしゃやられたらそれは恐ろしくて震えもするか。

 目を閉じて踞る仔猫の背を優しく撫でてみる。


「お前が元気にならないと、ママとの約束すっぽかしちまった理由に出来ないだろうが」


 皿から保温のきいたミルクを指で掬うと仔猫の鼻先へと差し出した。

 閉じていた目を開き、ちらりとこちらを見ると、くんくんと鼻を動かしミルクの匂いを嗅いでいる。

 再びこちらを伺う、大きな黒い瞳と視線が交わる。

 顔の割に大きな瞳、ひくひくと動く小さな鼻、大きな耳に長い髭、その完璧な造形美は仔猫特有の愛らしさだ。

 普段あまり表情が動くことのないクロードですら、つい口元が緩んでしまう。

 誰が見てる訳でもないのに、にやけていることに気が付き、意味の無い咳払いをして「ほら」と再度ミルクまみれの指を差し出す。

 すると、仔猫がペロリとそれを舐めた。

『猫舌』のざらざらとした感触が指先を刺激した。

 今度はさっきよりも多目に粥を取り、もう一度鼻先へ近付ける。

 直ぐにペロペロと舐め取っていく。

 食べても平気なものだと認識してくれたようだ。

 皿を斜めに傾け、踞ったままでも食べやすいように近付けてやると、今度はそちらへ口をつけた。

 半分程食べて止めてしまったが、とにかく腹が膨れたようで安心した。


 猫は警戒心が強いと聞いた。

 初めてあった人間の手から、食べ物を食べたりは普通は無い。

 余程弱っていたのか、それともこの個体が普通の猫とは少し違っているのか。

 それに単独行動する動物だ。

 あまり接触するのもどうかと思う。

 そもそもどう接すればいいかもわからないのだ。

 今日のところはこのまま付かず離れずの距離感で見守ることにしようか。

 いきなり吐いて床を汚されても嫌だし、体調が急変しても困る。

 その場にごろりと転がると天井を見上げた。

 外は相変わらず雨が強い。雨粒が窓を叩き、遂には雷まで鳴り出している。

 せっかく明日は休みなのに、この状況ならどこへも出て行けない。


 本来なら今頃ママの店で、いつもは飲めないような良い酒を飲んでる筈だった。

 酒のつまみにぴったりな味の染みた煮込みを馳走になりながらこの一年を労ってもらう筈だった。

 もしかしてもしかしたら、レオニが言っていたように、「今夜……泊まってく……?」なんて状況が待っていたかもしれない。

 ……ほぼ願望だが。

 ママの豊かな乳と張りのある尻を思い出しながら遠い目をしていると、視線を感じた。

 そちらへ目を向けると、毛むくじゃらのつぶらな瞳がじっとこちらを見つめている。

 観察されているようだ。

 幼い無邪気な曇りの無い眼差しが、汚れた心にグサグサと突き刺さってくるようでいたたまれない気持ちになってくる。


「……そんな目で俺を見るんじゃない」


 そっと視線を外すと、ベリエが夕食を届けてくれるのを待った。



 届けてくれたのはシエロだった。

 どうやら猫の様子が気になっていたようだ。

 タオルの上で踞る姿を見つけると、十代の少女らしく目をキラキラと輝かせていた。

 遠慮がちに背中を撫で、早く元気になってと声を掛けて出ていった。

 良い子だ。

 再び視線を感じてそちらを向くと、やっぱり毛むくじゃらのつぶらな瞳がじっとこちらを見つめている。


「…何だよ。良い子だって思うくらい許されるだろ?」


 何を言われた訳ではないのに、そんな台詞を口走っている自分に自嘲する。

 調子狂うな……

 再びそっと視線を外すと、ベリエの美味しい夕食にありついた。



 夕食を食べている間も、シャワーに少々部屋を空けた間も、仔猫はタオルの上に踞ったままだった。

 動かずにじっとしている。

 体が上下に動いているから、ちゃんと呼吸はしているようだ。

 それが早く感じるのは、仔猫だからなのか体の調子が良くないからなのか、クロードには判断出来なかった。

 やっぱりまだ震えているようにも見える。

 あれだけの雨に当たったのだ。

 ここしばらく風邪とは無縁のクロードとは違い、この小さな体には負担が大きかったに違いない。

 丸まって更に小さくなっている背中をそっと撫でる。


「お前、朝起きたら死んでたとか止めてくれよ…頼むから……」


 腹の下へ手を入れると、仔猫の体を持ち上げる。いまいち抱き方もわからない。

 クロードは大きな体を横たえると、自分の腹の上へ仔猫を乗せた。


「タオルより寝心地は悪いかもしれないが、こっちの方が暖はとれるだろ。嫌なら自分で動いて戻れよ」


 そう言うと足に毛布を掛けさっさと目を閉じた。


 毛むくじゃらはクロードの腹の上でもぞもぞと動いていたが、丁度良い体勢が定まったのか、やがて大人しくなった。

 逃げ出す様子は無かった。

 やはり寒くて震えていたようだ。

 明日には雨も止んで、仔猫も元気になってくれればいいなと願いながら、今度こそクロードは眠りへついた。

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