仔猫だと思って拾ったら猫子だった件——堅物兵士とケモミミ少女の焦れ甘スローライフ——

九日三誌

こんな日に限って……。

「あー……降りそうだな……」


 街をぐるりと囲む堅牢な石壁。

 商業区と貴賓区を分けるその頑強な壁に開いた門。その前で佇む一人の大柄な兵士が、今にも泣き出しそうな機嫌の悪い空を見上げ、ポツリと呟く。

 分厚い黒い雲が立ち込める空は薄暗く、夕暮れともあっていつもよりも更に暗く感じる。時折吹く風は湿気を存分に含み、不快感を増長していた。

 遠くの方では既に光が明滅している。荒れそうだ。


 先程市井を巡回していた兵士たちが戻って来た事もあり、体感的にもそろそろ交代の時間だろうと当たりをつける。

 それはすなわちこの週の仕事の終わりを意味する。明日と明後日は久々の連休なのだ。

 せめて帰路につくまでは降らないで欲しいと願う。



 今日は勤続十五年目を迎える記念すべき日である。

 毎年この日は足繁く通っている馴染みの飲み屋のママが、祝いだからと良い酒を開けてくれる。つまみには最高に美味いママ特製の煮込みを馳走してくれるのだ。

 親の無い孤児だったクロードは、一般志願からの安月給の一般兵だ。宿舎が当てがわれ住む所には困らないが、それでも贅沢などする余地は無い。

 そんな彼が日々黙々と懸命に仕事をこなすのは、この日の為だからと言っても決して過言では無い。明日だってその為の休みだ。

 それ程楽しみにしていた日だった。


「クロード! 交代だ」


 門の横、小さな通用口から見知った顔が声を掛けてくる。

 レオニだ。

 クロードの一つ上で、年齢的にも兵士歴も先輩だったが、育った境遇が似ていた事もあり意気投合。今では共にママの元へ通う飲み仲間だ。

 勿論今日がクロードにとって大切な日だという事も知っている。

 一緒に行く約束をしていたものの、事情があって夜勤になり、今日はクロード一人で行く予定だ。


「今夜はママとデートだろう?」


 ニヤニヤしながらわざとらしく肩を組んでくる。クロードと一緒に門の見張りに立っていた他の兵士たちまで、チラチラとこちらを伺う始末だ。


「やめてくれ。そんなんじゃないよ」


 レオニよりも上背のあるクロードの首に腕を回すと、ぐいぐい引き寄せてくる。内緒話をするように顔を近づけてくるが、その声量から内緒のつもりは無さそうだ。


「良い事教えてやる。……お前の事、満更でもなさそうだぞ」


 レオニの小声とは程遠い内緒話に、一瞬ドキリと胸が跳ねた。

 が、すぐにその思考は霧散した。次の瞬間には、無い無いと脳内で手を振っている自分がいる。


「まさか。その手には乗らん」


 ママはクロードよりもいくつか年上だ。華奢な体で小さな居酒屋を切り盛りしている。

 旦那も子供もいない。

 性格は明るくハキハキしていて、人の話を聞くのが上手い。

『ママ』という愛称がぴったりのセクシー美女だ。乳がデカい。

 何故未だに一人なのかは、仲間内でも疑問視されている。

「実は恋人がいる」「何処かの貴族の愛人なのでは」そういった噂もある。

 真相は定かではないが。

 そんな皆んなに好かれる器量良しの女性が、真面目は取り柄だが何の面白味も無く、無口でデカいだけの自分になど興味を示す筈が無い。

 デートとは言いつつ店に顔を出すだけで、いつも通りの営業に支障をきたすつもりも無いのだ。

 ノリの悪いクロードに対し「つまらんヤツめ」などと、ニヤニヤ悪態を突きながら、レオニが定位置へと立った。


「まぁ、たっぷりサービスして貰えよ! お疲れさん」


 じゃぁなと別れ、詰所で鎧を外すと勤務表へサインをする。

 そうして門から帰路へつく頃には、雨粒が地面を濡らしていた。



 雨の勢いはたちまち強くなった。

 小降りだったものが、ゴロゴロという雷鳴が聞こえると、あっという間にバケツを返したようなどしゃ降りとなったのだ。


「くそ! こんな日に限って……」


 腕で顔を守るようにしながら、バシャバシャと水音を立てながら宿舎へ走った。


「!?」


 閉店後の店が並ぶ商店街を通り過ぎようとした時、不意に微かな音が耳に入った。

 何か分からないまま、弱々しいそれに反射的に止まってしまった。

 雨が叩き付ける音が響く中、キョロキョロと辺りを見回す。


 ミー


 雑音にかき消されそうな程の小さな音が聞こえた。

 近いな。

 そう思いながら辺りを見回す。

 土砂降りのせいで全く人気の無い通りへ視線を走らせる。


 ミー


 消え入りそうな声を頼りに、側にあった植木と植木の間を覗きこむ。

 鉢植えの僅かな隙間に隠れるように、小さな毛むくじゃらが踞っていた。


「猫か?」


 独りごちると、その声に反応するかのように小さな顔がこちらへ向けられた。

 雨の勢いが強いせいで跳ね上がった泥が、仔猫の体を黒く染めている。

 びしょ濡れの小さな体は、一目見てわかる程ぶるぶると震えていた。

 顔の割りに大きな瞳が真っ直ぐクロードを見つめている。


 助けて欲しい


 どういう訳かそう言われているように見えてしまった。


「いや、無理だろう」


 一度顔を上げると辺りを見回す。

 人影なんて一つもない。


「……参ったな……」


 再び視線を戻すと、大きな瞳が誰でもないクロードを見上げている。

 産毛のような毛むくじゃらをずぶ濡れにして小さな体を震わせ、大きな瞳で下から上目使いで見上げてくる。


 なんでこんな日に限って……

 一年で一番楽しみにしていた日だぞ。

 第一拾ったところでどうするんだ。

 生き物の世話の仕方なんて知らない。

 俺じゃなくても、誰か別の奴が……


 ミー


「……そんな目で俺を見るんじゃない。……分かったよ……」


 そっと腹の下へ手を入れる。

 嫌がるかと思ったが、されるがままだった。

 抵抗する気力もない程弱っているということか。

 どうしようか迷った挙句、シャツをめくってその中へ入れた。もうすでにパンツまでびしょ濡れの状態だ。何の意味もない事は分かっていたが、せめてこれ以上濡れないに越した事は無いだろう。

 上着を引き寄せ腹に雨が当たらないよう背中を屈めた。

 こんな時、大きな体は役に立つ。

 家はもうすぐそこだ。


 良い酒が……つまみが……俺の唯一の楽しみが……


「雨……呪うぞ」


 呪詛の言葉を吐きながらも、猫を支える手は優しい。そんな無意識にも気づかぬまま、今度こそ宿舎への帰路を急いだ。

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