仔猫だと思って拾ったら猫子だった~堅物兵士とケモミミ少女の焦れ甘スローライフ~

九日三誌

プロローグ

「あー、降りそうだな……」


 堅牢な城門前に佇む一人の大柄な兵士が、今にも泣き出しそうな機嫌の悪い空を見上げて呟いた。

 分厚い黒い雲が空全体を覆い尽くしており、遠くの方では所々光が点滅している。

 時計を見ればもうすぐ交代の時間だ。

 そうすれば、今週の仕事は終わり。明日と明後日は休みなのだ。

 せめて帰るまでは降らないで欲しいと願う。


 今日は勤続十五年目を迎える記念すべき日である。

 毎年この日は、脚繁く通っている飲み屋のママが祝いにと良い酒を開けてくれる。

 つまみには最高の美味しい煮込みをご馳走してくれるのだ。

 親の無い貧しい一般市民からの志願で勤めてきた安月給の一般兵にとっては、この日の為に一年頑張ってきたと言っても過言ではない。

 それほど唯一の楽しみだった。


「クロード! 交代だ」


 城門下の小さな通用口から、見知った声が掛かった。


 レオニだ。


 年上で先輩だが、育った境遇が似ていたこともあり、意気投合。今では共にママの元へ通う飲み仲間だ。

 もちろん今日がクロードにとって大切な日だと知っている。

 時間が合えば一緒に行ったところを、残念ながら彼は今日夜勤だった。


「ママとデートだろう?」


 ニヤニヤしながら肩を組んでくる。


「やめてくれ。そんなんじゃないよ」


 レオニよりも上背のあるクロードをぐいぐい引き寄せて、する気のない内緒話をするように顔を近付けてくる。


「いいこと教えてやるよ。……お前の事、満更でもなさそうだぞ」


 レオニの小声とは程遠い内緒話に、一瞬ドキリと胸が跳ねる。


「……まさか。その手には乗らん」


 次の瞬間には脳内でないないと言わんばかりに手を振っていた。


 ママはクロードよりもいくつか年上だ。

 たった一人で小さな居酒屋を切り盛りしている。

 旦那も子供もいない。

 性格は明るくハキハキしていて、人の話を聞くのが上手い。

『ママ』と言う愛称がぴったりのセクシーな美人だ。

 とにかく乳がデカい。

 何故未だに一人なのかは仲間内で謎とされる一つだ。

 実は心に決めた奴がいるのでは? や、何処かの貴族の愛人なのでは? などと言った噂も聞いた事がある。

 真相は定かではないが。

 そんな皆に好かれる器量良しの女性が、真面目は取り柄だが何の面白味もなく、無口でデカいだけな自分になど興味を示す筈がない。


 ノリの悪いクロードに対し、「つまらん奴め」なんてニヤニヤ悪態を付きながら、レオニが定位置へと立った。


「まぁ、たっぷりサービスして貰えよ。お疲れさん」


 じゃぁなと別れ、詰所で鎧を外し、勤務表へサインをする。

 そうして城門から帰路へつく頃には大粒の雨が降りだしていた。



 雨の勢いはたちまち強くなった。

 小降りだったものが、ゴロゴロという雷鳴が聞こえると、あっという間にバケツを返したようなどしゃ降りとなったのだ。


「こんな日に限って……」


 バシャバシャと水音を立てながら宿舎へ走った。


 ミー


 微かな音が耳に入る。

 弱々しいそれに、反射的に止まってしまった。

 雨が叩き付ける音が響く中、耳を凝らす。


 ミー


 今度ははっきり聞こえた。

 近いな。

 そう思いながら辺りを見回す。

 雨のせいで人気の無い通りへ視線を走らせる。


 ミー


 消え入りそうな声を頼りに、側にあった植木と植木の間を覗きこむ。

 鉢植えの僅かな隙間に隠れるように、小さな毛むくじゃらが踞っていた。


「猫か?」


 独りごちると、その声に反応するかのように、小さな顔がこちらへ向けられた。

 雨の勢いが強いせいで跳ね上がった泥が、仔猫の体を黒く染めている。

 びしょ濡れの小さな体は、一目見てわかる程ぶるぶると震えていた。

 顔の割りに大きな瞳が真っ直ぐクロードを見つめている。


 助けて欲しい


 どういう訳かそう言われているように見えてしまった。

 一度顔を上げると辺りを見回す。

 人影なんて一つもない。


「……参ったな……」


 再び視線を戻すと、大きな瞳が誰でもないクロードを見上げている。

 産毛のような毛むくじゃらをずぶ濡れにして小さな体を震わせ、大きな瞳で下から上目使いで見上げてくる。


 なんでこんな日に限って……

 一年で一番楽しみにしていた日だぞ。

 第一拾ったところでどうするんだ。

 生き物の世話の仕方なんて知らない。

 俺じゃなくても、誰か別の奴が……


 ミー


「……そんな目で俺を見るんじゃない。……分かったよ……」


 そっと腹の下へ手を入れる。

 嫌がるかと思ったが、されるがままだった。

 抵抗する気力もない程弱っているということか。

 急いで上着を脱いで仔猫の体を包んだ。

 クロードですらもうすでにパンツまでびしょ濡れの状態だ。

 何の意味もない事は分かっていたが、せめてこれ以上濡れないに越した事は無いだろう。

 上着ごと胸に抱くと、雨が当たらないよう背中を屈めた。

 こんな時、大きな体は役に立つ。

 家はもうすぐそこだ。


 良い酒が…俺の唯一の楽しみが……


 小さな体に負担が掛からないよう極力優しく抱きながら、今度こそ宿舎への帰路を急いだ。

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