こんなに成長するもんか……?

「これで全部だな」


 ミー子の隠れ家になっていたものと同じ仕様の紙製の箱が、壁に沿って積まれている。単身者用の宿舎から運ぶ為の荷物の詰まった箱だ。

 積まれているといってもクロードの荷物は元々然程多くなく、大体がアトリアのものだ。いつの間にこんなに増えたのかと、クロードが一番驚いている。

 それにしても前の部屋より広くなった居間を見れば、背の高い遊具を置き仔猫用に板を階段状に取り付けて遊び場を設けても、殺風景には代わりない。

 備え付けの台所は以前に比べると設備が充実し、食事の支度も問題なく出来そうだ。

 やるかどうかは別として。

 共同だった風呂とトイレが備え付き、居間とは別に寝室があり、台所も充実している。

 流石家族向けの宿舎、二人で暮らすには十分だろう。


 この台所にしては魔冷具が小さいなと思う。前の部屋に置いていた時はこんなに小さくは見えなかったのだが、部屋が変わり置く場所も変わると見え方が随分変わってくる。

 二人に増えた事だし、年数も随分経っているし、買い換えもありだなとクロードは考える。

 取り敢えず必要最低限の荷ほどきだけ済ませ、休憩だとばかりに新調した『ソフア』なるふかふか椅子へ腰掛けた。


「座り心地いいね!」


 アトリアは気に入ったようで、クロードの隣で座りながらボインボインと器用に跳ねて遊んでいる。


「壊すなよ?」


 背もたれに背中を預けて足を伸ばせば、クロードの大きな体でもいい具合に寛げそうだ。



 何の気なしにアトリアを見つめる。

 ソファーの触り心地を堪能していたアトリアが、クロードの視線に気が付きこちらを向いた。


「なぁに?」

「いや……急にでかくなったよな」

「え、そう?」

「猫子ってこんなに急成長するもんなのか?」


 首を傾げるアトリアをクロードがまじまじと見つめる。


「少し前までこんなだったのに」


 言いつつサイズ感を手で表現してやれば、「そんな小さく無かったでしょう?」とアトリアが可笑しそうに笑った。

 その表情についこの間までの子供っぽさが見えない。

 デカくなったのは本当だ。ここ一、二週程で仔猫のサイズも猫子のサイズも上がった。急にだ。

 猫子の姿のままなら、シエロと並んでも大差ないように思える。

 獣人の生態に詳しい訳では無いから何とも言えないが、これはいくら何でもおかしいのではなかろうか。一方で獣人は人間とは異なり、若くて力の強い期間が長く続くと言われる種族の為、おかしな事ではない気もする。


 これは所謂いわゆる思春期になるのだろうか。

『ふーふー』とか『あーん』とか、もうしない方が良いのか。

 親父からそんな事をされたら『気色悪い』などと思うのだろうか……。

 いい加減、寝室も分けなきゃ駄目だろう。見た目だけはしっかり成熟しているアトリアに敷布団にされている姿を誰かに見られでもしたら、それこそレオニに一生言われそうだ。

 こんな時、世の中の年頃の娘を持った親父はどう対処しているのだろうか。今度娘のいる同僚に聞いてみようか。

 無意識のうちに頤に手を添えると、ぐるぐると真剣に考えを巡らせる。


 眉間にシワを寄せて何やら考え込んでしまったクロードに首を傾げたアトリアは、遊んでいたソフアから立ち上がると広くなった台所に立ってみた。

 前の部屋に備え付けられていたものよりも立派になっている『魔コンロ』には、魚焼き器なるものが付いている。クロードがここで魚が焼けるのだと教えてくれた。自分で焼いた事が無い筈なのに、よく知っているなと不思議に思ったものだ。

 ついついベリエ母さんが焼いてくれる焼き魚を思い出す。こんがり焼けたそれは、身がふっくらフワフワで塩気も程好くとても美味しい。クロードがいつも中骨を外して身をほぐし、丁寧に小骨まで取り、口にいっぱい頬張れるように匙へ乗せて差し出してくれる。

 思い出し垂涎寸前で留まった。目の前の魔コンロを見つめる。焼き魚が食べたくなった。お腹も減ってきた。

 これがあれば、私にも焼けちゃうのでは? 何故かは分からないが、そんな気がしてきた。



 魔コンロの前でじっとそれを見つめて動かないアトリアの側へクロードが近寄ってくる。


「どうした?」

「クロさん、私、お魚焼いてみたい」

「え?」

「料理作れるようになりたい」

「……料理か……」


 掃除や洗濯なら多少は出来るが、料理はからっきしだ。過去に数回やってみた事はあったが、大失敗した。思い出すもの憚られる大失敗だ。

 よって才能が無いと早々に諦め、食事は専らベリエの食堂で済ませていた。

 鍋はその名残りで一応とってはあったがもう何年も使っておらず、一番大きなものはすでに毛むくじゃらの風呂になっている。


「折角あるしな」


 魚を焼くくらいならどうにかなるか。なんせ焼くのは自分では無い。魚焼き器だ。


「やってみるか」

「…!! うん!!」




 昼前に屋台の並ぶサブストリートではなく、中通りの商店街へ向かった。

 アトリアがやる気になっているのをいい事に、調理に必要な最低限の器具を揃える事にしたのだ。

 ナイフなど久方ぶりに手に取った。手の中でくるくると回して見せると、アトリアは目を輝かせてそれを見ている。自分もやりたいと言い出しそうで、使用方法を間違って覚えられても困るので、一応おもちゃにしてはいけない旨は伝えておく。他にはまな板や浅型鍋なんかも購入した。

 器具の次はこちらも最低限の調味料を揃えようと、雑貨屋へ入る。調味料こそ何をどれだけ揃えればいいのかが分からない。店の主人に聞いて本当に必要最低限だけにした。

 最後に魚屋へ向かおうと並んで歩く。

 その途中で、屋外に品物を並べた露店が目に入り、案の定アトリアが足を止めた。

 女性店主の両脇に構えられた物干しの竿には、ズラリと女性用の衣服が掛けられ、道行く者の目を引いている。

 そのうちの一着、『エプラン』なる物にアトリアの目が釘付けになっている。


 好きそうだな


 淡い黄色の布地にこれでもかとフリルがあしらわれている。

 調理をするときに着ているものが汚れないよう身に付ける物だが、こちらを汚す方が悪く思えてしまうような、そんな代物だった。

 以前、シエロから古着をもらった時に、一番最初に身に付けたワンピースも黄色でフリフリだった。

 フリルがあしらわれた可愛らしい作りの服が好みのようだ。好きな色は黄色。年頃の女の子らしい。

 店主に勧められ、アトリアが体に当てて此方を向いてくる。


 …良い。


「お帰りなさい」

 そう言いながら、フリフリのアトリアが奥から走ってやって来るのを想像する。


 ……良い。


 取り敢えず脇目も振らずに直帰するだろう。


 俺は変態ではない。妄想は仕方ない。

 アトリアが可愛いのが悪いのだ。


 心の中でブツブツと言い訳を唱えながら、店主に無言で銅貨四枚を支払った。



 魚屋で少し大きめの物を一匹購入し、直ぐ焼けるように頭と内臓を取り除いてもらい、二枚におろしてもらった。

 簡単に焼き方を教わり、帰宅すると早速魚焼き器を起動する。

 アトリアはエプランを身に付けご機嫌な様子だ。やる気はひしひしと伝わってくる。

 おろしてもらった魚に塩をすると、早速魚焼き器へ投入する。

 焼ける間に、浅型の鍋に溶いた卵を流し入れる。

 オムレッツを作ろうと思ったのに、どういう訳か炒り卵になった。

 そうこうしているうちになんか焦げ臭い。はっとして魔コンロを見れば、魚の尻尾が炭と化していた。焼くのは魚焼き器だが、火加減は自分なのだと今になって気がつく。


「魚も焼けない……」


 アトリアはケモミミをふにゃりと垂らし、見るからに落ち込んでいる。

 中から取り出した魚は端という端が黒くなっていたが、中の方は食べられそうだ。


「表面を除けば食べられそうだ。昼飯にしよう」


 食べる気がある事を伝えると、下がっていたケモミミが復活した。分かりやすい。



 小さなテーブルに二人で並んで座る。食事用にテーブルと椅子がセットになった家具を置くのもいいかもしれないな、と考えながら目の前の魚に手を伸ばした。焦げと骨を取り除き、いつもの癖で身をほぐすと匙をアトリアの口元へと差し出した。

 アトリアの動きが一瞬止まる。あっと思ったが、そのままパクりと口にしたので、何も言わなかった。

 もっもっと咀嚼するその眉間には僅かにシワが寄っている。

 クロードも食べてみると、少しパサついていて苦味があった。が、食べられない程ではない。塩味はバッチリだ。


「うん。食える。改善の余地はあるけど、初めてにしては上出来だろ」


 ケモミミがピクピクと反応している。

 ……分かりやすい。


 炒り卵は卵だった。味付けをしていないのだから無理もない。


「ベリエ母さんに料理教えてもらおうかな!」


 意外な事にアトリアはヤル気満々のようだ。


「エプラン買ったしな」


 食事中も着けたままだが、もう本当に良い。


「レシピの本でも買ってみるか」

「私、字読めない」

「じゃぁ読み書きの練習もしないとだな」


 クロードも得意な訳ではないが、難しい専門書でなければ読むことは出来るし、必要最低限は書くことも出来る。


「私、頑張る!」

「焦る事無い。ゆっくりでいい。アトリアのご飯、楽しみにしてるから」


 クロードは残りを平らげに掛かる。手が止まったアトリアを見れば、頬を真っ赤に染めて俯いている。

「なした?」なんて言いながら再び口元へ匙を差し出すクロードに大いに戸惑いつつ、ちゃっかり口を開けるアトリアなのであった。

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