急にそんな風に言われても、な……。

「アトリア、うちの食堂の手伝いしないかい?」


 ある日の夕食時。何気なくアトリアが「料理の練習をしたいんだ」と言った所、ベリエからそう提案された。


「え、いいの?」


 アトリアのケモミミがピクピクと反応している。このピクピクは嬉しい時のピクピクだなと、クロードは無言で眺めている。


「くまが仕事の間は退屈だろう? 体も大きくなった事だし、手伝ってくれたら助かるよ。お給金も出すし昼は賄い付き、どうだい?」

「やりたい!!」


 椅子を押し倒す勢いで立ち上がり、今度はばっとクロードを振り返る。


 いいでしょう? ねぇ、いいでしょう?


 ケモミミと尻尾がそう言っている。なんならキラキラと効果音が付きそうなその眼差しも。

 クロードは眉間のしわを深くしながら座ったままベリエを見上げた。


「こいつの家事力、壊滅的だから俺としては不安しかないんだが」

「小さかったし、やり方が分からなかったからだろう?」


 慣れてしまえばなんて事ないさと、彼女は豪快に笑った。


「しかし……」

「くまだってアトリアが家の事を出来るならそれに越したことないだろう? あんまり過保護が過ぎると、アトリアが嫁に行けないよ」

「…よ、め…?」


 匙を運ぶ手が完全に止まったクロードを見て、ベリエが意地の悪い笑みを浮かべる。あらあら冗談だったのに、等と言いながら奥へ戻っていく。

 アトリアもアトリアで、嫁の意味を理解しているのか、頬をピンクに染めて静かに席へ座り直した。

 二人無言で匙を動かす。


「アトリア、うちの手伝いしてくれるんだって?」


 シエロが別卓の食事を運び終えて、こちらへとやって来る。べリエからもうその話を聞いたようだ。しかももう既にここで働く事が決まったかのような物言いだ。


「いやっ、でも、二人の邪魔になるかもしれないぞ?」


 クロードが不安を口にすれば、シエロはベリエと同じように笑った。


「最初からうまくなんて誰も出来ないよ! 少しずつ練習すれば大丈夫よね?」

「うん!! 料理覚えて、クロさんに美味しいの食べて貰えるように頑張るから!」


 再び視線が向けられる。

 今度は眉尻が下がり、不安そうに懇願するような眼差しだ。ケモミミも心なしか元気が無いように見える。


「……ダメ?」

「…………」


 やめてくれ。そんな目で見るんじゃない。


「……わかった。くれぐれも迷惑にならないようにな」


 途端に笑顔の花が咲く。


「うん!! ありがとうクロさん!」

「期待しないで待ってるよ」

「大丈夫だもん」


 ピンクの頬が膨れてる。萎れるように伏せられていたケモミミがピンと立ち上がっている。このピクピクは嬉しい時のピクピクだ、分かりやすい。

 そしてコロコロと変わる豊かな表情は見ていて飽きない。



 そんな二人のやり取りを、少し離れた所からシエロが複雑そうな表情で見守っていた。

 少し前までは親子のようだった二人の微妙な変化に違和感を覚えたのだ。

 クロードなんて、アトリアのお父さんにしか見えなかった。もしかしたら、彼は今でもそうなのかもしれない。


 ……でも、アトリアは……?


 時折見せる仕草が、表情が、クロードに対する態度が、ただの親子に見えないような気がするのは、自分の勘違いだろうか。

 何となく以前とは違う違和感に、シエロの胸がチクリと疼く。それは焦燥感にも似た何とも複雑な疼きだった。



 もうひとつ、今までと違う事が増えた。

 アトリアが本を片手にソフアを占拠する事が増えたのだ。

 家にある本は、字の勉強中のアトリアには難しい物ばかりだ。そこでクロードが初めて読むならと、子供向けの読みやすい短編が複数纏められた一冊の本を買ってやったのだ。文字よりも絵の割合が多いページもあるが、アトリアは大変気に入った様子で、暇さえあればページを捲っている。


 簡単な単語や自分の名前も書けるように練習した。その最中はいくらくっつこうが、甘えようが、クロードは何も言わない。むしろ好きなようにさせてくれるのだ。

 元々アトリアを邪険に扱う事は無かったが、猫子の姿の時にそれをやると困った顔をする事があった。一緒に住むことを決めたからなのか、最近はそういった事も無い。むしろ軽く触れ合う事が多くなり、以前よりもぐっと距離感が近くなった。

 その事がくすぐったいが、クロードの見えない壁が無くなったような感じがして、アトリアには嬉しい事だった。




 夏の季も半ばになると、祭りの準備がいよいよ本格化し、サブストリート沿いは益々賑やかさを増してくる。

 人手が増え、出店が増え、人や物の出入りが増えると、必然的にクロード達兵士の仕事も増える。毎年の事だが、この時期は普段と比べると格段に忙しくなるのだ。

 そんな話をシエロから聞きながら、一段落ついた昼過ぎの食堂で、アトリアは彼女と共に遅めの昼食を取っていた。

 少し前からここの食堂で手伝いをするようになったアトリアは、猫の獣人の特徴を活かし、客と客の間の狭い隙間でもするりと通り、高いバランス能力を存分に発揮した配膳力を身に付けつつある。


「お祭りが始まったら、絶対見て回ったらいいよ! 賑やかさが今と全然違うから」

「そうなの?」

「あちこちで出し物やってるし、参加出来るものもあるから一日中居れるよ」


 見て楽しむ催しが沢山あると聞いて、アトリアの興味が大いにそそられた。


「シエロ姉ちゃんとも行きたい!!」

「行こう行こう! 折角だから浴衣着てまわろ! 最後の日に上がる花火も素敵なんだけど、アトリアは平気かなぁ?」

「花火?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「真っ暗な夜の空にね、大きな光の花が咲くのよ! 音も大きいからビックリしちゃうかも」

「へぇー、見てみたいけど……音がおっきいのは怖いなぁ……」


 光の花がどんなものなのか、その音がどれくらいのものなのか、全く想像が出来ない。出来ないから余計にどんなものなのかが気になった。

 夜の空に咲くのなら、きっとその時間は毛むくじゃらタイムだろう。クロードなら一緒に見に行ってくれるだろうか。「仕方のない奴め」なんて言いながら、腕に抱いていてくれるだろうか。

 そんな事を考えながら、ベリエに魚の焼き方を教わるため、アトリアは食べ終えた食器を持って厨房へと入って行った。




 いよいよ夏の季も第五週半ばとなり、翌週の太陽の日から『豊穣祭』が始まる。

 去年の実りに感謝し、今年の豊作を祈るこの祭りでは、食物を扱う屋台が多いのも特徴だが、色鮮やかな衣装に身を包んだ踊子を連れた、一座の『寄席』と呼ばれる出し物も人気のある催しのひとつだった。

 地域によって特色の現れる寄席では、衣装にしても舞いにしてもひとつとして同じものは無く、一様に足を止める人々の目を奪う。元々は豊穣の祈りを込めた儀式だったらしく、その名残が色濃く残るものも多い。


『兎に角、綺麗で迫力があって絶対面白いから見ておいで』

 そんな風にシエロから教わりずっと楽しみにしていたアトリアは、ベリエが最後に帯を締めてくれるのを今か今かと待っていた。

 遂に『豊穣祭』一日目。今日から待ちに待ったお祭りの本番である。

 クロードが娘のいる同僚から「もう着ないから」と譲り受けた浴衣を、ベリエがアトリアに着せてくれているところだ。

 運良く初日に休みが貰えたクロードがアトリアを誘えば、ここ一週程ずっと喜びとウキウキを隠しきれない様子で浮かれていた。

 かく言うクロードもそれなりに浮かれていたのだが。



「待たせたね」


 ベリエの後に続いて食堂へやってきたアトリアを見て、クロードは一瞬息をするのを忘れてしまった。

 白地にピンクや紫の大きなラッパ形の花柄があしらわれた浴衣は、アトリアの体には少しばかり小さいように感じられる。それでも照れくさそうに俯くその姿に、少女の面影はもはや無い。

 軽く紅を乗せた艶やかな唇や、布地から覗く白い肌、ふっくらと丸みを帯びた胸や腰のラインからは若いながらも女性の色気が滲み出ていた。

 首にちらつく赤いミサンガがやけに背徳感を煽ってくるのは気のせいだろうか。

 側まで来ると恥ずかしそうにクロードを見上げてくる。

 何も言わずに固まったままのクロードに、彼を見上げるアトリアの瞳に不安の色が混ざる。


「へん?」


 揺れる瞳で問われて、クロードはハッと我に返った。


「いや……良く似合ってる」

「良かった」


 嬉しそうに、やっぱり少し恥ずかしそうにはにかむ笑顔に、クロードは胸のずっと奥の方がざわざわするのを感じていた。


「楽しんでおいで」


 ベリエに見送られて二人で並んで食堂を出た。

 さすがに祭りの初日ともなると人出が多い。歩くのも一苦労で、はぐれてしまえば二度と会えなくなりそうだ。そう思ってアトリアの右手を握った。


「迷子になりそうだから」


 言い訳がましく口にすれば、膨れっ面が返ってくるかと思ったのに、頬を染めてはにかむアトリア。……少々調子が狂う。

 人の多さから食べ歩きは断念し、持ち帰って家でゆっくりということにした。

 何が驚いたかと言えば、行く先々でアトリアを恋人だと勘違いされた事だ。猫子と同居している事を知っている知人ですらそんな事を言い出す。

 しまいには、行きつけの串にく屋の親父まで「べっぴんさん連れてるじゃないか」だと。


 急にそんな風に言われても、違和感しかないんだが。


 嫌な思いをしていないかと隣を見れば、ケモミミまでピンクに染めたアトリアが終始照れ笑いしている。

 年頃の女の子だ。綺麗になったと言われれば嬉しいものか。

 こんなオヤジの恋人なんて言われて少し可哀想な気もするが、繋いだ手を離そうとはしなかったからそのまま歩いた。はぐれてしまっても嫌だしな、と。クロード自身に離れるという選択肢が浮かばなかった事に気づきもしない。


 寄席を見たり、露店を覗いたり、食べたい物を買ったり。

 時折こちらを見上げるアトリアはずっと笑顔だ。楽しんでくれているようで何よりだった。


 途中でばったり会ったレオニは見たことのない女性連れだった。

 レオニの隣にいる女は会うたびに毎回変わっている。クロードが出会った歴代の彼女で二度会った女性はまだいない。

 よくもまぁ出会いがあるものだと驚き、懲りないものだと呆れもするが、お互いいい大人なので口は出さない。

 レオニはレオニで一緒にいるのがあのミー子だと教えると、二度見する勢いで驚きを露わにしていた。気持ちは分かる。


「可愛らしい彼女さんですね」


 レオニの恋人にそんな風に言われて、もう何十回言われたか分からなかったクロードは、適当に返事を返していた。

 アトリアは二人が腕を組んで歩いていたのが気になったらしい。「恋人はああやって歩くのか」としきりに聞かれて、人によると応えた。


 そろそろ帰ろうかと話していたとき、今度は友達と一緒に来たというシエロに会った。彼女も浴衣を着ていて、元々大人っぽい子だけあって良く似合っている。元々美人な子だからと、クロードはあえて口にすることも無い。

 そのまま少し会話を交わし、シエロと別れた。


 クロードとアトリアが手を繋いでいた。

 親子ならおかしい事では無いのだが、シエロの表情が僅かに曇る。親子と言ってしまうには、あまりにも違和感があった。

 アトリアを見つめるクロードの優しい眼差しが、瞼に焼きついて離れない。


「私にはあんな顔した事なかったのになぁ」


 シエロの小さな小さな呟きは、誰の耳にも届かなかった。




「クロさん帰ろう」

「あぁ、そうだな」


 ゆっくり祭りを見て回れたし、夕飯用に沢山屋台飯の調達も出来た。慣れない靴で歩いたアトリアは、人の多さもあって疲れてしまった。

 陽も大分傾いてきて、家に帰ってゆっくり過ごすには良い頃合いだろうと思う。

 人混みはまだまだ切れそうにないなと呟いたクロードは、アトリアと繋がれた手を少しだけ強める。

 そうして二人は並んで帰路へついたのだった。

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