第21話――それじゃ嫌

 夏の季、二週に渡って開催された『豊穣祭』。


 毎年最終日には盛大な花火が上がる。

 この『祭り』自体がベスティエ王国全土から、様々な人間を集める一大イベントだが、今夜は別格だ。

 最後にして最大のイベントである花火大会は、それこそ王国中から集まったのでは? と思える程の人だかりとなる。

 それだけ毎年注目の大人気の催しなのだ。



 ベリエに浴衣を着付けて貰っているアトリアと落ち合うため、夕の刻の鐘が鳴る少し前にクロードは家を出た。

 珍しく魔風具を使って髪を乾かした。

 上着にと羽織ったのは、アトリアからプレゼントされた物だ。

 夏の季後半ともなると、日が沈めば肌寒い。長袖のそれは良い塩梅だった。



 食堂が見えてくると、入り口に浴衣姿のアトリアといつもの割烹着姿のベリエが立っているのが見えた。

 此方に気が付くと、アトリアが手を振ってくる。

 袖から覗く白い腕がやけに艶やかに見えた。


「待たせたか?」


 気持ち少し早く出たつもりだったが、アトリアの支度は既に終わっていた。


「ううん。私が待ちきれなくて」


 そう言って頬を染める姿をまじまじと眺める。

 頬に軽く色を付け、唇にはあかい紅が差してある。

 淡い黄色地に大小様々な花が散りばめられた浴衣は、以前着ていたお下がりよりもぐっと大人っぽく、アトリアの白い肌を引き立たせていた。

 伸びた背も、布から覗く肌も、膨らみを増した胸も、首に巻かれた紅も、アトリアを創っている全てが『少女』を否定している。

 否が応でも『女』を意識させられる出で立ちに、クロードは目を奪われてしまった。

 此方を見つめたまま固まってしまったクロードに、アトリアは不安な表情を浮かべた。


「…へん?」


 その表情と声色に、我に返ったクロードが頬を緩める。


「いや。…よく似合ってる。……その、綺麗で、少し戸惑ってる」


 正直すぎた感想に、アトリアは紅よりも紅く頬を染めると恥ずかしさのあまり俯いてしまった。

 そんな姿すら可愛いくて、クロードは押し寄せる様々な誘惑に抗うのに苦労した。

「やれやれ」そう呟いたベリエの声で、二人はそこに自分達以外に人がいたのを思い出す。

 人前で二人の世界へ入ってしまった恥ずかしさも加わり、いたたまれない気持ちになってしまう。


「楽しんでおいで」

 そう言って送り出してくれたベリエに礼を告げ、二人並んで歩き出す。

 照れから少し離れていた距離は、歩き慣れた道を通り、二人が初めて会った場所を過ぎる頃には肩が触れ合う所まで寄っていた。



 サブストリートに近付くにつれ、人がどんどん増えて行く。

 屋台の賑やかさと人混みの喧騒が大きくなると、いくつになっても心が浮き立つ。

 クロードがはぐれそうだなとアトリアへ視線を向けると、彼女の手が腕へと絡んできた。


「はぐれそうだから」


 照れ臭そうに微笑み腕を組むアトリアに、胸の奥からざわざわと言い様のない感情が沸き起こる。


 あぁ…可愛い…


 どうにかしてしまいたい衝動を押さえて平然を装い、二人は賑わいの中へ足を踏み入れた。



 風の魔石をセットしたおもちゃの銃を使用する『射的』、容器自体が大きな魔道具で水が絶えず循環している水槽で行う『珍魚すくい』、一等の景品が『絶対に食材を焦がさないフライ魔ン』だという『くじ当て』等の屋台を覗きながら、目的の店を目指した。

 くじは当たらなかったが、参加賞の飴玉をアトリアがたいそう喜んだ為に、親父さんがもう一つ恵んでくれた。



「親父、五本くれ」


 二人のお気に入りの屋台、串にく屋。

 もうすっかり顔馴染みになってしまった親父に今年最後の注文をする。

 混雑している為に食べ歩きは断念し、家に帰ってからという事にした。

 祭りが終わると、大半の屋台は解体されてしまう為、回りたい店は全て回ろうと、花火には少し早めに出て来たのだ。

 人気の店だけあり、二人の後ろには既に列が出来ている。


「俺からの祝いだ」


 そう言って、更に二本サービスしてくれた。

「何の」とは言わなかった。いつもよりも着飾った猫子と腕を組んで歩いていればそりゃぁまぁそうなのだろう。

 二人は有り難く受け取り、礼を告げて屋台を後にした。

「また来年だな」

 そう言うと、アトリアは本当に嬉しそうに頷いた。



 ルンゴ飴とクレエプを買い、エールとクリイムソーダも買ったところで日が落ちた。

 クレエプを頬張るアトリアの口元のクリイムをさらいながら、場所取りをしようと水路へ向かって歩き出す。

「俺はこっちがいい」と、空いた方の手を取る。いつものではなく、指と指を絡めるように繋いだ。

 やっぱり頬を染めるアトリアに、年甲斐もなくドキドキしてしまった。

 恥じらう姿も本当に可愛らしい。




 商業地区と貴族街を分ける水路へ向かう。

 ここは土手になっているため、腰を降ろせば座って花火が見られるとあって、既に人が集まっていた。


 水路近くは建物が無く目の前が開けており、奥の方にライトアップされた巨大な城が、暗闇に浮かび上がるように見えている。

 その荘厳な建物をぐるりと取り囲むように城壁が施されていた。



 袋を敷物代わりに使い、その場へ並んで座った。


「どこから上がるの?」


「城門の方だな。少し遠いが、近いと音が大きいし、見上げる事になるから首が疲れる」


「へぇ、楽しみ」



 城門からは少し離れているお陰で酷い混雑はなかった。が、場所が悪かったのか、回りはカップルだらけだ。

 日が落ちた事もあり、まぁいちゃついている。

 …目のやり処に困る。


 参ったな……


 いたたまれない気持ちになり、場所を移そうかとアトリアを見れば、同じように感じていたのか、恥ずかしそうに見上げてくる。

 上目遣いの黄金色の瞳に意識を持っていかれそうになりながら腰を浮かせると、アトリアの白い手がクロードの袖を引いた。


「アトリア…?」


 遠慮がちに握られたそれは離れていかない。

 移動したい訳ではないと理解し、その場へ座り直すと、屋台の赤やオレンジの灯りに淡く照らされる美しい彼女を見た。

 アトリアもまたクロードを見つめたまま動かない。

 揺れる黄金色から目を反らせないまま、オデコへ落ち掛かった前髪をそっとよける。

 その手が頬へ触れると、アトリアは自ら掌へすり寄った。


「っ…!」


 愛しさに胸が震える。

 体の奥から生き物のように沸き上がってくる何かに全身が支配されていくのを感じた。

 辛うじて理性を保ったまま、アトリアのうなじへ手を回して引き寄せると、前髪の間から覗く白い肌へ唇を押し付けた。



 ゆっくり離れると、伏せられた瞳が再びクロードへ向けられる。


「…それじゃイヤ」

「え」


「…して欲しいのは、そこじゃない…」

「…………」


 明らかな不満。

 さっきよりも色付いた頬。

 瞳が「まだ子供扱いなの」と言っていた。

 クロードの口元が緩んでいく。


「…そうだな。子供に見えなくて困ってるんだった」


 ぐっと肩を抱き寄せる。


「…!…」

「もう子供扱いしない」


 柔らかくて暖かい体を胸に閉じ込め、顔を寄せた。

 鼻先が触れ合い、微かに唇が触れたかと言うとき、頭上が照らされ、続いて大きな爆発音が響き渡る。


 驚いて上を見上げると、夜空に大きな光の花が咲いている。

 花火が始まったようだ。


 アトリアの方を見ると、姿が無い。

 脱け殻のように浴衣が地面へ横たわっている。


 そういやそうだった…


 捲ると案の定、毛むくじゃらがぶるぶる震えて踞っていた。

 突然の大きな音に驚いてしまったようだ。

 浴衣のお陰で、驚いた拍子に走っていってしまい行方不明、なんて事にならなくて良かった。

「大丈夫だ」と声を掛けて抱き上げる。

 肌寒さを感じて、上着の中へ入れると、恐る恐る顔を覗かしている。


 続けざまに幾つか花が咲き、大きな音が遅れてやってくる。

 赤や黄色、青に緑にと、様々な色で咲いては消えていく光の花に、アトリアは目を奪われた。

 真っ暗な空に堂々と翼を拡げるように力強く咲き誇り、地上を照らす光の花。

 ただそれは一瞬で、次の瞬間には残像を残して儚く消えていく。

 あまりにも対称的な現象に興奮と悲しさが入り交じってしまい、花火から目が離せなくなってしまった。


「怖くないか?」


 耳元に聞こえた優しい声にミーと返す。

 クロードが抱いてくれていて、尚且つ音がくると分かってしまえば、それ程恐ろしいとは思わなかった。


 クロさんと見られて良かった。

 自分に見せてやりたいと、そう言ってくれた事が嬉しい。

 来年も、出来る事ならこの先ずっとクロさんの隣で……


 そう願ってそっと背伸びをした。

 クロードは夜空を見上げたまま。

 肩に前肢を乗せるとひくひく動く鼻先をクロードの頬へ近付ける。

 ちょっぴり湿った鼻先を、大好きな彼の頬へそっと押し付けた。

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