第09話 つかみはオッケー!

 「ハートの女王」が本気と見て取って、二人の令嬢を囲む人々に動揺が広がった。

 男爵令嬢の恥を知らない命乞いも眉をひそめるものだけど、それを本当にやれというのも人の心がない。

(さすがにそれは……)

(カテリーナ様も何もそこまで)

(いびるにしても、女王が実際に手を出すのは珍しいんじゃないか?)

(クソッ、クソッ! 小娘め、僕を差し置いてご褒美をいただけるなんて!?)

 ハートの女王らしい、人の尊厳を踏みにじるようないじめ。いかにもと言えばいかにもだけど、それにしても露骨なやり口に誰もが思わず顔をしかめた。


 もっとも、そう思われているカテリーナの方は腰巾着どもなど眼中にない。問題なのは一人だけだ。

 その肝心の「一人」から声がかかった。

「カテリーナ、その辺りで勘弁してやれ。物のたとえだ、本気でやれというのも大人げないぞ」

(よし!)

 カテリーナもナネットも、心の中でホッと一息つく。


 期待通り、リリスの一番の被害者王太子殿下が取りなしに入ってくれた。




 王太子の「許す」の一言は何より重い。この言葉を引き出せたならリリスの拷問・処刑はない。特に今回は王子様自身が被害者本人だから、彼がそう言えば他の者は不満の出しようもない。

 後はカテリーナが不承々々引き下がり、つい同情してしまった側近たちが急いでリリスをつまみ出す。それでこの不審者騒ぎは終わり……のはずだったんだけど。

「おありがとうございます~!」

 場の空気が緩んだのを感じたのか、カエルのように這いつくばっていたリリスが感激で目をキラキラさせて王太子にすり寄った。

「さすが王太子様、お心が広い! 未来の名君と評判なのもよく分かるっす! お若いのに貫禄もあって、いやもうなんて素敵なお方なんでしょ、ミシェル殿下は! これはもう社交界の美姫がこぞってお慕い申し上げるってのも分かるっすね!」

 九死に一生を得たからか、王太子を活路と見たリリスのヨイショが止まらない。


 とにかく褒める!


 持ち上げる!


 ゴマをする!


 くど過ぎて聞いている方が逆に不快になりそうなほど、心のこもってないお世辞を連発!

 だけど考える暇も与えずにまくしたてるので、王子も側近もすっかり勢いに飲まれて目を白黒させている。

「ほんとほんと、いやマジで! 都に住んでる娘っ子でミシェル様ラブじゃないヤツなんかいませんって! アタシ? もちろんっすよぉ!」


「……今朝まで顔も覚えていなかったくせに、よくもまあ……」

 ひっそりと合流したクララベル侍女がうわぁ……と言いたげな顔になっている。

「あいつ、飲み屋で働いていたっけな。太鼓持ちおだて係もやってたのか?」

 そういうのとは正反対の規範で生きている騎士ナネットなんかは、白々しいまでのゴマスリぶりに苦笑しか出てこない。


 が。

 苦笑いで済ませられない人が、横に一人……。

「……あの子……殿下がお優しいからと、許されたわけでもないのに馴れ馴れしく……!」

「お、お嬢様!?」

 クララベルとナネットが、地の底から這い出るような声に驚いて振り返ったら。


 お嬢様カテリーナ、激おこ。


 さっきの怒りなんか余震に過ぎなかった。今度こそ大噴火。

 自分の男ミシェル様にたかるリリスに、カテリーナの嫉妬が沸点を超えた。

(お、お嬢様!? 元々うまく接触させて気を引かせる計画ではないですか!?)

(それにしてもあんな、あんな……人前で慎みがなさ過ぎます!)

 オロオロしているお付きが止める暇もなく。

 もう作戦目的も頭にないカテリーナは、王太子とリリスのあいだに割って入っていった。




「カテリーナ、どうし……」

 様子のおかしい許嫁に声をかけようとした王子を押しのけ、カテリーナがリリスの正面に立つ。

「殿下のお許しはともかく。私は言ったからにはきちんと実行していただかないと信用できませんわ」

 せっかくの大団円をぶち壊す侯爵令嬢の言葉に、誰もが凍り付いた。

「ほっ、本当にやらせる気ですか……!」

「い、いやいや、冗談ですよね……ハハハ……」

「あひぃぃぃ……マジ女王様、素敵ぃ!」

 王太子が仲裁しても撤回する気がない侯爵令嬢に、男性陣はドン引きだ。

 かといって、このおバカな娘の為に「女王様」に目をつけられる真似はしたくない。

 王太子がカテリーナに何と言ってなだめようか悩み、取り巻きたちは意見もできず……そんな中で、きょとんとしていた本人リリスが動いた。

「もちろんす! このリリス・バレンタイン、女に二言はないっす!」 

「えっ?」

 へそを曲げた侯爵令嬢さえ「まさか!?」という顔をしている中で、男爵令嬢はなぜか腕まくりをした。

「ではすぐに、準備するっす!」

 彼女がバタバタ走ってどこかに行くのを、囲んでいた人々は呆気に取られて見送った。

「……靴を舐める準備って、何……?」


 リリスはすぐにバケツを下げて帰ってきた。

「バケツ?」

 余計に分からない。

「ちょっと、リリスさ……」

 そんな中で、なんだか嫌な予感がしたクララベルが思わず声をかけようとしたら。


 バッシャーン!


 リリスがカテリーナに、思いっきりバケツの水をぶっかけた。




 誰も何も言わない。

 人垣の真ん中には濡れねずみの令嬢が一人と、掃除道具を持った娘が一人。

 王子さえ青くなり静まり返った芝庭に、妙に静かなカテリーナの声が響いた。

「……これは、なんですの?」

「はいっ、準備であります!」

 今やらかした事を全然なんとも思っていなさそうなリリスは、スポンジと台所洗剤を持っている。

「舐める前によく洗わないとと思いまして」

「そう」

 カテリーナは短く答えると、セットしたのが崩れて顔にかかっていた髪を手で払って横に流した。

「言いたいことはいろいろございますが、とりあえず一つ」

「なんすか?」

 スポンジを手に持ったまま見上げてくる男爵令嬢を、とうとうキレたカテリーナが腹の底から響く声で怒鳴りつけた。

「革製品を水洗いするバカがどこにいますか!」



   ◆



「いやあ、ギリッギリで何とかなりましたねえ」

 撤収して帰ってきた侯爵邸で、いつの間にか紛れ込んでいたリリスがやれやれと胸をなでおろした。

「(むりやり)お礼にお昼を持って行く約束も取り付けたと言うだけ言ってきたし、うまく収まって良かった良かった」

「収まってないよ! 思いっきりデッドライン超えてたよ!」

「はぐぅ!?」

 やり切ったドヤ顔のリリスの顔面に、ナネットが一発拳を入れた。

 身分的には男爵家令嬢の方が上だけど、こればかりは仕方ない。むしろ一発で殴るのを止めたナネットの忍耐を褒めて欲しい。

「いきなり何するんすかぁ!?」

「今日だけでおまえ、何回やらかしているんだ!」

「あー、あれ……」

 リリスがめんぼくないと頭を下げた。

「助け起こしてもらうはずが、計画が狂っちゃいましたね。ごめーん」

「それどころの話じゃないだろう!? 王子に二回、お嬢様に一回、騎士団長のところのダントン様にも一発入れていたよな!? あれだけ貴人に危害を加えておいて、なんで大丈夫だとか思えるのだ!? あの場に女王様がいてみろ!? 四回は死刑になっていてもおかしくなかったぞ!」

「え?」

 リリスがカテリーナの寝室の方を振り返った。令嬢はドタバタの心労と身体を冷やして風邪気味でダウンし、既に寝床に入っている。

「その場にいたじゃないすか、ハートの女王様」

お嬢様そっちじゃない! 殿下のお母様のほうだ!」

 本物の女王陛下どころか、大臣に見られていてもヤバかった。男爵家の令嬢なんて、貴族と言えどもそんなものだ。

「アッハッハ、そんなバカな。ちょっとぶつかっただけじゃないっすか。母ちゃん女王陛下に目撃されたところで、そんなことで死刑になんかならないっすよ」

「あれをちょっとって、おま……本当に、なんて残念な頭をしているんだ……」

 話しているだけで精神をやられそうなナネットが嘆いていると、リリスが何かを思い出した。

「そういえばナヌットさん」

「ナネット」

「まあ細かいことはどうでも良いじゃないっすか」

「おまえ、人の名前を軽々しく……!?」

 細剣を抜きそうな騎士に、何にも危険を感じて無さそうな男爵令嬢が尋ねた。

「なんかお嬢様、アタシが『王子がモテモテ』とか言ったら露骨に機嫌悪くなりませんでした?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る