女王陛下の特命令嬢 リリス・バレンタイン ~「ハートの女王」と呼ばれる高慢令嬢が婚約破棄しようと王子をたぶらかすヒロインをスカウトしたら、よりによってとびっきりのバカが来た~
山崎 響
第1章 女王陛下の工作員
第01話 お可愛らしい企み
王国有数の大貴族クロイツェル侯爵の愛娘、カテリーナは自室で刺繍の練習中……ふと、針を持つ手を止めて窓の外を眺めた。
「どうされました、お嬢様」
問われた令嬢は視線を庭に向けたまま、ぽつりと一言漏らした。
「……私、もう疲れ果てましたの」
お嬢様がつぶやいた、主語のない独り言。
脇で控えていた侍女のクララベルと女性騎士のナネットは、その不思議な言葉に顔を見合わせ……。
「刺繍の先生より明日までと言われております課題は、まだ半分も終わっていませんが」
「そのことではありませんわ」
「ベッドの用意を急がせます」
「お昼寝したいわけでもなくて」
二人の推測は両方とも違ったようだ。
カテリーナが何を言い出したのか、もう思いつかないという顔の二人が囁きあう。
(ナネット、他に何か心当たりはある?)
(私に聞かないでよ!? 頭脳派のクララベルに分からないのに、武官の私が分かるわけないじゃない!)
お仕えするお嬢様をチラッと見れば、明らかに反応が返ってくるのを期待した顔でこっちを見ている。
でも使用人の二人には、もうあとは心当たりがない。
「……」
「……」
カテリーナと二人の家臣は無言で見つめ合う。
「……」
「……」
三十秒ほど三人はそのまま睨みあい……
「ちょっと、クララベル!? ナネット!?」
カッとなった侯爵令嬢は、はしたなくもテーブルをバンバン叩く。
「なんで二人とも後が続きませんの!? ねえ、ナネット!」
「いやー、えーと……」
「ほら、他にもあるでしょう!? クララベル、さあ!」
「さあ! と言われましても……」
「だよねえ」
気分屋の主がいきなり何を思いついたのかなんて、催促されてもそう簡単には出てこない。催促されてそんなすぐに思いつくものなら、二人とも当然もう口に出している。
とはいえ家臣として、お嬢様に「出せ!」と言われたら是非もない。
クララベルは眉間に皺を寄せて額に指を当て、必死に答えを絞り出した。
「週に一度のピーマンとの戦いですか? 確かに最近負けが込んでいますが」
「好き嫌いの話でもなく!」
ナネットも呻き声が漏れそうな顔で天を仰いだ。
「さすがに玄関までは歩いていただきませんと」
「廊下も歩きたくないほど怠惰なわけではありませんわ!」
(違うらしいわね)
(あと何があるかなあ)
「聞こえよがしにヒソヒソ相談しない!」
察しの悪い従者たちに、とうとう爆発したカテリーナが怒鳴った。
「ミシェル様にまとわりつく女どものことですわ!」
「………………ああ」
明かされた正解を聞いて、クララベルは死んだ目で。
「あ~……」
ナネットはうっとおしそうな顔つきで。
一瞬虚を突かれたような様子だった二人は、それぞれの声色で興味無さそうに納得の声を上げた。
我が王国の王太子、ミシェル殿下はとても人気がある。
なにしろ文武両道で顔も良く、気性は穏やかで物腰も丁寧。
誰に対しても偉ぶらず常に冷静沈着、太子の身である今でも将来の名君と誉れ高い。
なので、許嫁がいるのに女子人気が凄く高い。
ものすごく高い。
めっちゃ高い。
許嫁も有力侯爵家の令嬢とかなりの身分なのに、それを無視してワンチャン狙った令嬢たちが群がるほどに高すぎる。
「だから私はもう、心が持ちませんの……」
そのぎらついた令嬢たちから存在を無視されている許嫁であるところのカテリーナは、精魂尽き果てた顔でうつむいた。怒鳴った時のテンションが急落して、令嬢は今では死にそうな顔で萎れている。
……彼女に日夜振り回されている側仕えの二人としては、正直(いつもこんな大人しければ、扱いやすいのになぁ)と思わないでもない。
「お嬢様……」
主の告白を聞いた
「そんなの、今さらではないですか」
「そうなのですけど」
王子様を巡る陰湿な女の争いにカテリーナが槍玉にあがるのなんて、昨日今日始まった話ではない。何事かと身構えて聞いていれば、いつもの愚痴だった。
クララベルとナネットは、白けた顔で肩を竦めた。
「なんだ、いつもの愚痴じゃないですか」
「“いつもの”で済ませないで!」
「まったく、何事かと身構えて聞いていれば……」
「何を安堵しているんですの! 私には深刻な悩みなんですのよ!?」
付き合いが長い使用人は遠慮が無かった。
「それにしてもお嬢様の性格が悪いと評判になってから、露骨に王子を狙う令嬢が増えましたわね」
クララベルのため息に、ナネットも同意する。
「まあ、ちょっと偉ぶり過ぎていると評判だからねえ」
「あなたたち、私の前でよくもそんな話を堂々と……」
お嬢様、涙目。
聖人君子と評判の王子様に対し、その許嫁の侯爵令嬢カテリーナはすこぶる評判が悪い。
いろいろ言われているけれど、とにかく「家柄を鼻にかけて横柄だ」というのが最大のポイントになる。下の者への当たりが高圧的だということで、童話の悪役になぞられて「ハートの女王様」なんてあだ名を付けられたほどだ。
「でも実際に当り散らされている私たちから見れば、お嬢様だけ特にひどいってわけでもないわよね」
「良くも無いけどねえ……でも聞く限り大身貴族の御令嬢なんて、どこの家でもこんな感じだよねえ」
「だからあなたたち、本人の面前でよくも口に出せますわね……!」
ちやほやされて育った諸侯の令嬢で、高慢だの居丈高だのなんて人柄は別段珍しくもない。その程度の欠点を持つ者はいくらでもいるし、むしろ性格が良い令嬢のほうが希少なぐらい。
そう。
これぐらいの悪名は貴族令嬢の評判としてはごく普通。
……なのだけど。
カテリーナの場合は、それで済ませるには婚約者が悪かった。
「ミシェル王子が人格者だと評判が高すぎるので、自然とその妻がお嬢様で良いのか? と言われちゃうのですよね」
「意図的に流されているのもあるよね……
カテリーナの評判が悪いのは、単なる悪口というよりは印象操作の類だろう。当然画策している者は、尻尾を掴まれるようなドジは踏まない。
誰かの陰謀に嵌められているけど、無視するしかない。
そんな痛し痒しの現状に、
「私が何をしたというのです! あることないこと陰口ばかり……許せませんわ! なんでそんな話になっているの!」
悪評に(自分では)心当たりのないカテリーナは歯噛みして悔しがる。ちょうど持っていたハンカチを噛み千切りそうだ。せっかく可愛い猫ちゃんを縫い付けているのに、課題の提出が危ぶまれる。
侯爵令嬢は側近二人をキッと睨みつけた。
「クララベル! ナネット! 私にそんないわれを受けるところがございまして!?」
「そうですねえ……」
問われた侍女は頬に手を当て、首を傾げた。
「下位の方々に応対する時に、いかにも上から目線な言い方をするのがマズいかと」
「そういうものですの?」
「気に食わないことを言われた時に、カッとなってマナーを忘れて怒鳴るのもいけません。安く見られる原因になっているかも知れないですね」
「……まあ、それはちょっと自分でも思わないでもないですわ」
「何かをしてもらった時に『ありがとう』の一言も無いのも、思いやりがなく見えますね」
「うぐっ!? き、気をつけますわ……」
「それと、寝る時間になっても夜更かしして遊んでいることが多いのも駄目ですね。そこから自由時間になる側付きの者に配慮が足りません」
「今のは全部、あなたの個人的な不満じゃないですの!? ねえ!?」
これ以上は突っ込んだらダメだ。藪をつついて蛇が出てきてしまう。
カテリーナはクララベルを追及するのを止めて、
「その辺りもひっくるめて、そんなお嬢様が大好きです!」
「やめて! その言われ方が一番刺さりますわ!?」
お嬢様の悩みが何かは
……で。
ややジト目になりながら、クララベルがカテリーナを見つめる。
「それでお嬢様。私どもに何をしろと?」
こんなことを唐突に言い出したからには、何か指示があるのだろう。
そう考えたリアリストの侍女は、さっさと続きを話せと令嬢を促した。
「それなのですが……」
さっきの勢いはどこへ行ったのか。
その一言をつぶやいた後。カテリーナはもじもじ、そわそわ、一向に口を開かない。
その様子を眺めながら、騎士が横の侍女に耳打ちする。
(クララベル、お嬢様の要件分かる?)
(今日ばかりはさっぱり)
その先を話してもらわないことには、家臣としては動きようがない。
侍女と騎士が見つめ続けていると、侯爵令嬢はしばらく黙り……観念して、やっと本題を吐き出した。
「もう、無責任な有象無象どもの陰口を、聞こえないふりをしていることに疲れましたわ……ミシェル様との婚約を破棄しようと思いますの」
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