第35話 女王陛下の工作員
「おぅわぁっ!?」
クララベルの振るった仕込み剣は慌てて避けたリリスにぎりぎり届かず、空を切った。
「な、なにするんすかぁ!?」
リリスは涙目でドレスの背中が切れていないか、触って確かめている。その姿を油断なく睨みながら、クララベルも踏み込みで前に傾き過ぎた姿勢を立て直した。
「あなたは当家の内情を見過ぎました。ここで死んでもらいます」
「いやいやいや、クララさん何言うの!? ちょっと話が違うんじゃないっすか!? お嬢様の婚約破棄を手伝ったらご褒美がもらえるって!」
「婚約破棄は成功していませんが」
「そこは良しにして下さいっすよ!? 本当はお嬢様だってやりたくなかったんじゃないっすかぁ!」
「ええ。事このような成り行きになったら、婚約破棄などにはこだわりません」
クララベルは剣を構え直す。微妙な間合いの遠さに苛立ち、口角がわずかに歪む。さすがに相手もプロだ。
「しかしながら……小なりと言えどもお嬢様の計画は王太子殿下を謀る陰謀です。それを外部の間者に全部知られているのはマズいのです」
封建制度というのは言うなれば、国王を頂点として半独立国を束ねた連邦国家だ。
巧いこと潜り込んだスパイに証拠を押さえて王家へ告げ口されれば、いくら王国有数の大貴族といえど侯爵家など簡単に取り潰される。こちらの手の届くうちに、証人には“行方不明”になってもらわなければいけない。
この計画を進めているあいだ、クララベルにはずっとむず痒さが付きまとっていた。何の関係もなさそうなものまですべて書き出してみたら、それらが全て一点に収束するのが分かった。
「リリスさん。あなたがどこから来たのかもだいたい分かっています」
「何が!? 『金の卵』亭へ訪ねてきたのはクララさんのほうじゃないっすか! アタシはフツーにお店で働いてただけっすよ!?」
「怪しさに気がついた後、調べ直したんですよ」
クララベルは一見関係なさそうな話を始めた。
「バレンタイン男爵家も、『金の卵』亭も、知っている人がいませんでした」
「そりゃ知名度なんて無いに等しいっすからね!? 特にうちは!」
「いいえ、そういう意味じゃありません」
リリスの反論を、クララベルはさらに打ち消した。
「私とナネットが訪ねて行った時に街で道案内を頼んだ人たちが、改めて会いに行ったら全員いなくなっていたんです」
男爵邸も働き先も、場所を聞いていたから行けるような所でなかった。なので「ここを知りませんか?」と道々人に聞きながら訪ねて行った。
「その時に有効な情報を与えてくれた街の住民が、今探してみたら一人も見つからないんです……まるで、道案内の為にその時だけいたみたいにね」
「……」
「『金の卵』亭も元従業員どころか、利用客さえ見つからない。あんな店だから素直に客だったとは言いがたいかも知れませんが、毎日仕入れが必要なはずの飲食店で、納入業者も一人も見つからないんです」
そして、決定的だったのが……。
「一番おかしいのがバレンタイン男爵家です。そういう家があるのは紋章院にちゃんと記録されていました。書類が昨日今日の偽造ではないのも確かでした。但し」
クララベルははっきりと苦々しい表情を浮かべた。
「お父様どころか歴代が一人も、どんな下職にもついていないのですよ。論功行賞にも縁がない。でも家は残っていて、当主の代替わりだけは記録されています……まるで実態が無い書類だけの家が、何かの時に使えるように肩書だけ残されている感じでした」
引っかかったことを並べてみたクララベルは、自分の迂闊さに思わず舌打ちした。
なぜリリスが王宮でたびたび派手に問題を起こしたのに、出入り禁止にならなかったのか。その答えがうっすら浮かんできたからだ。
ジロウの屋台がなぜ持ち込めた?
ダントンの練習試合を妨害して、なんで苦情が来ない?
初対面で王太子に暴行を加えた時は多数が見ていた。なぜ政庁が見逃した?
取り巻きたちが失脚した時も、そこにリリスもいたと調べがついている筈なのだ。
答えは一つ。
彼女が起こすトラブルを王国上層部、もしくはそのさらに上が黙認していたからだ。
長々しゃべっているあいだにじりじり動いていたクララベルは、気取られないように足腰をわずかに沈めた。
「『金の卵』亭の抜き打ちの摘発も。都合よく警吏まで使い立てできるとなると、やはり……」
「そこから先は推測でも口にしちゃいけないにゃー」
仲間? にいきなり切りつけられて慌てふためいていたはずのリリスは、いつの間にかいつもの軽くドジった時みたいに頭を掻いていた。
「いやー、クララさん。思ってたほどバカじゃなかったんすねえ」
刃物を向けられているのに落ち着き払っているリリスは、いつも通りフニャンとした感じで苦笑いしている。
「気づくんならあの
「意外とでもないわね」
「確かににゃあ。あれでヨシュア君はお父さんの後を継げるのかな? まあ、私が心配する話でもないか」
「そうね。今あなたが心配すべきは自分の命ね」
「あっはっは」
リリスは事も無げに言い放った。
「それは心配ないかなあ? その刃渡り二フィートの仕込み剣じゃ、あと二歩踏み込まないと届かないよ?」
「チッ!」
思わずクララベルは舌打ちを漏らした。さりげなく間合いを寄せていたのはバレている。
今度はリリスの方が尋ねてきた。
「カテリーナ様の本当の護衛はクララベルさんだね? あの
「それはその通りね。表の護衛だけじゃ、社交界は対応できないわ」
「そりゃそうだ」
平然と受け答えをしていても、クララベルは息苦しさを感じていた。リリスから何のプレッシャーも感じられないのが、逆に怖い。
そんな彼女に、リリスが今まで見せたことがない種類の薄笑いを見せた。
「にしてもクララベルさんも闇の者にしては甘いなあ……感づいていたと告白されたら、こっちも消さなくちゃならないじゃない」
「ひっ!?」
言葉と共に初めて放たれたリリスの殺気に、クララベルは思わず頭をかばって目を閉じた。
クララベルはすでに抜いて構えている。
お互い手練れで、援護は無し。
この条件で、有利なはずのクララベルの方が押し負けた。
リリスが放つ死の気配は、闇で働く者として力量に格段の差があることを示していた。
襲い来るはずの衝撃に身構え焦りつつも、恐怖で動けない。
そんなクララベルの後ろで、不意に笑い声が上がった。
「あっは! 爆発物を警戒するのは分かるけど、
ハッとして振り返ると、窓枠の上にしゃがみ込んでいる黒髪のメイドの姿が……。
「……アイシャ!?」
侯爵家のメイドの姿がそこにあった。
(あの子がリリスだった!? ……いや。ずっと昔からいるし、リリスがいるところへお茶を運んできたこともあった筈……!?)
リリスとまるで見た目の違う娘が、同じ笑みを浮かべてみせた。
「敵を前に考えこんじゃいけないですわよ? ご心配なく。ご本人は今頃、厨房で次の料理ができるのを待っていると思いますわ」
姿だけを一瞬で似せてみせたと。
そしてよく考えれば、声と口調はカテリーナのものだ。
「……つくづく、ふざけてくれる!」
クララベルは歯噛みするが動けない。勝てる目算が……斬り込む勇気が持てない。
そんな内心を見透かしているのか、ニヤニヤ笑っているメイドはワザとらしく眉を上げて肩を竦めてみせた。
「あなたが利口だったのは、仕事が終わった後に明かしたことですわね。もし途中で騒がれたら、不幸な偶然の出来事が起こっていたところでした」
「……大した自信ですわね」
「あなたの推察通り、組織力が違いますから。個人の技量ごときで気後れしているようでは、クロイツェル侯爵家の手の者はまだまだですわね」
そこまで言うと、“元”リリスは窓枠から手を離した。
「なんにせよお互い良いところに落ち着けられて、良うございました。カテリーナ様にはあなたから、適当にごまかしておいてくださいね? 始末するつもりだったんだから、それぐらい考えてあるでしょう?」
「……ええ」
苦虫をかみつぶしたような顔のクララベルに、リリスは微笑んでウインクした。
「それでは最期に伝言です。『いつでも見ている』と」
次の瞬間、四角く切り取られた星空から少女の姿が消えた。
クララベルが窓に駆け寄ると、暗い庭に黒っぽい姿が着地するのが見えた。すぐに動き始めるが、夜空の明るさではあの姿を追いきれない。
「その為の
一瞬、くせ者! と叫ぼうとクララベルは思ったけど……止めておいた。今さら警備に命令しても、捜索を始める頃には屋敷を出ているだろう。せっかく
完敗だった。
「『いつでも見ている』か……」
もう見えない「リリス」の姿を目で探しつつも追撃を諦めたクララベルは、窓枠に手をつくと街灯りの向こうに見える王宮を睨んだ。
「“女王の工作員”ね……『ハートの』どころか、本物のじゃない……」
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最終話は今日の夕方18:10に更新です!
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