最終話 幕が下りた、その後に
二人で巡回していた衛兵の片方が、振り返りながら相棒の袖をつついた。
「な、なあ」
「なんだ?」
若者はしきりに後ろを気にしている。
「いますれ違ったメイドの子さあ、すごい可愛くなかったか?」
「え?」
言われた方は虚を突かれた顔で、慌てて後ろを振り返った。
言われてみれば今、確かにメイドとすれ違った気がするが……。
そう、たった今。
静々と歩むメイドとすれ違った。それは確かに覚えている。
ところが同僚に言われるまで……誰彼構わず警戒すべき衛兵の自分が、通行人が通り過ぎるのを全く気にしていなかった。
それどころか。
「おい、そのメイド……どんな顔してた?」
はっきりした顔立ちどころか、印象さえ覚えていない。
「おいおい、今見たばっかじゃないかよ。可愛いっつうか、綺麗って言うか、とにかく顔が良くて……あれ?」
せっかくの美人を見落としたらしい仲間に得意げに説明しかけて……最初に与太話を始めたほうも口ごもった。
質問されてよく考えたら、自分もなんだか細部を覚えていない気がしてきた。
「……美人だって思ったんだけど……おかしいな。ハッキリ思い出せない?」
◆
女王が窓から午後の日差しに照らされた庭園を楽しんでいると、視界の端にわずかに映る位置へスッとメイドが現れた。ティーセットを載せたワゴンを押している。
「陛下。午後のお茶の支度が出来ておりますが」
「ええ、いただきますわ」
席に戻った女王の前へ、遅滞なくカップがサーブされる。続けて焼き菓子を小皿に取り分けながら、上品に微笑むメイドは女王にだけ聞こえる声で囁いた。
「
そう報告するのは薄い金髪に水色の瞳、ついでに存在感もやけに薄い、楚々としたメイドだった。彼女の洗練された物腰に、昨日までの歩く騒音のような様子は微塵もない。
「お帰りなさい、ホリィ。結果は聞いているわ」
久し振りに顔を出した部下を迎えて、女王も泰然と微笑んだ。
女王の勅命のみで動く特務組織、彼女たち「黒猫」は女王の御前で個人の名を持たない。賞賛も叱責も「黒猫」として受けるからだ。
女王はそんな工作員に敢えて名で呼びかけ、特別なねぎらいを示した。
「無事に元鞘に納めてくれたようね」
「準備に時間が取れなかったので手荒いやり方になってしまいましたが、なんとか」
信頼する配下が普段なら「いささか手荒い」と表現するところで、一言抜いた。
それだけしんどいミッションだったと言外に不満を訴えるのを、女王はニヤニヤ笑って受け流す。
「それは仕方ないわね。あのかわいい『ハートの女王様』は、マジメなわりに時々突飛なことをやらかしてくれるのよ」
「それは身近で見ていて思いました」
クロイツェル侯爵令嬢が思いついた婚約破棄の企み。陰謀というにはあまりに幼稚すぎて、プロの
「あの子の配下が無茶な条件で候補者を探し回ってくれたおかげで、かろうじて察知できたから良かったけれど」
「間に合いはしましたが時間の余裕がなく、
涼やかに微笑んだままの美貌に一瞬忌々しそうな表情が浮かぶのを、女王は面白そうに眺めた。
「相変わらず完璧主義ね。今回の件は別にそれでも良かったわ。動いていることを感づかせた方が警告になるもの」
「それは向こうも理解したかと思われます」
それにより女王が見込んだ王太子の許嫁が、ノイローゼで脱落するのを防ぎ。
ついでに王太子の周辺で小細工を謀る身の程知らずどもをこの機会にそぎ落とす。
女王自ら策を練った(というか達成目標だけ設定した)謀略は、一挙両得を狙った
しかも仕込みに使える時間の余裕は、三日もないというおまけ付き。
そのアイデアを聞かされた時ばかりは、歴戦の
さすがに面と向かって苦情は言えなかったが。
「我々が動いていると示唆を与えてありますので、陛下がお見通しだということは侍女には伝えられたと思います」
「掌の上で踊っていたという事実をよくよく嚙みしめて欲しいわね。そして、ちゃんと私が見守っているという事も」
予定通りの着地点に下ろせたと満足そうな女王へ、これははっきりと不満そうな表情を浮かべた黒猫が問うた。
「ところで陛下」
「なあに?」
「そういうご指示でしたので努力は致しましたが……私が潜入するのに、あのようなキテレツな
やらされた側から言えば、アレはない。
しかし女王は、当たり前という顔で小さく肩を竦めただけだった。
「飛び抜けておかしい性格にしておくと、逆に小さい事には目が行かなくなるものよ。急作りの設定に諸々穴があったから、冷静に分析されていたら途中でぼろが出ていたわ」
「それはそうでございますが」
「加えて言えば、一月もあの子たちと一緒にいたのよ? 貴方の素に近い性格に設定していたら、地の顔を覚えられていた可能性もあるわ。そうしたら後々、私の近くに侍るあなたに気がつくやも」
「……確かに」
「でしょ? ……それにしても」
女王はふとメイドから顔を背けると、背中を震わせ始めた。
「不意を撃たれても眉一つ動かさないホリィが、あれだけネジが飛んでる演技を必死にやっている姿……いや、なかなかお目にかかれるものじゃないわね! 報告を読むたびに笑いが止まらなかったわ!」
「陛下。もう一度お聞きしますが、本当に作戦上必要でした?」
「それにしても」
カテリーナたちの前ではリリスと名乗っていた黒猫は、この一月ほどの騒ぎを思い返した。
「宮中でお見掛けしておりました時は、
「あの子も『お嬢様』としか育てられていないもの。本当は
朗らかだった女王はこの話題になった途端に、何か苦い物を飲んだような顔になった。
「公平に評価する事と待遇に差をつける事は別問題。人間も群れで生きる動物なのだから、序列が無ければ混乱するわ。ミシェルは為政者として、そこができていない」
「殿下はこの度の件で理解されましたでしょうか」
部下の何気ない問いに、女王はイイ笑顔で応えた。
「させるわ」
その顔を見た元リリスは、この件はこれ以上触らないことに決めた。
代わりに、その伴侶の事を聞いてみる。
「……クロイツェル様の方はどうでしょう? 意外にもろいようですが……王妃が務まりましょうか?」
「きっと大丈夫よ。誰だって初めはあんなもの。
どことなく懐かしそうにつぶやいた女王はそこで一旦言葉を区切り、キリッとした顔で胸に手を当てた。
「そう、私のようにね!」
「陛下は生まれつきでございます」
女王は自らポットを手に取ってお茶のお代わりを入れると、かしこまる少女に向かって意味ありげに笑みを浮かべた。
「ところでホリィ」
「何でございましょうか?」
「せっかくカテリーナさんが放棄すると言ったんだもの。自分がこのまま王太子妃に、とか思わなかったの?」
「そうですねえ……全く夢想しなかった、と言うと嘘になりますが」
意地の悪い質問を投げかけられた工作員メイドは、特に思うところもなさそうに相槌を打った。
「殿下との結婚は確かに魅力的ですが、陛下が義母になるのかと思うと食指が動きませんでした」
「ミシェルを狙う娘たちも、これぐらい損得勘定が出来ればねえ」
◆
女王の御前を辞したメイド姿の少女は帰る途中、回廊の先からお供を連れた令嬢が歩いて来るのに気がついた。
貴人が来るのに、使用人同士みたいにすれ違うわけにはいかない。彼女はさりげなく脇に寄り、向こうが通り過ぎるまで頭を下げた。
主の後ろに付いていたクララベルは、ふと気になって後ろを振り返った。
「どうしたの、クララベル」
「いや、今いたメイド……なんとなく見覚えがある気がして」
ナネットとカテリーナも振り返ったが、既にメイドの姿はなかった。
「あら? 今見たばかりと思ったのだけど……」
特に興味がなさそうなナネットがすぐに前を向き直した。
「王宮には何度も来ているんだもの。女王陛下のところのメイドに見覚えがあっても、別におかしくないんじゃない?」
「……そ、うね……それでかしら?」
侍女はイマイチ釈然としない顔で誰もいない廊下を一瞥すると、先に歩き出した主について行こうとして……。
「……あ」
その瞬間に、クララベルは違和感の出どころに気がついた。
「笑っていた?」
通路の脇に控えるメイドを何気なく見た時、彼女の口元が微笑んでいた気がする。
躾の良い使用人は、声を掛けられない限り無表情に待機している。ロイヤルファミリーのプライベートエリアの者ならば当然、マナーは行き届いているだろう。
それで今のメイドが微笑を浮かべているのに、おかしな感じがしたのだ。
「……見間違いかもしれないしね」
よく考えてみたら、今のメイドが微笑んでいたかどうか記憶に自信がない。それに、失礼がない程度に笑顔だったからと言ってなんだというのだ。
クララベルは頭を振ってどうでも良い疑問を打ち消すと、主人を急ぎ足で追いかけた。
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これにて「女王陛下の特命令嬢 リリス・バレンタイン」完結となります。
細かいアレコレはまた夜に近況報告にでも上げたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
女王陛下の特命令嬢 リリス・バレンタイン ~「ハートの女王」と呼ばれる高慢令嬢が婚約破棄しようと王子をたぶらかすヒロインをスカウトしたら、よりによってとびっきりのバカが来た~ 山崎 響 @B-Univ95
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