第08話 迫真の茶番劇

 王太子の許嫁の登場に、取り巻きたちが騒めいた。

(『ハートの女王様』だ)

(クロイツェル様、今日は顔見せの日だったか)

「ハートの女王様ってなんすか?」

(殿下の許嫁、あちらのカテリーナ・クロイツェル嬢の二つ名さ。もちろん表立っては言えないけどな)

「はにゃ~? 結婚したって将来なれるのは王妃様っしょ? なんで『女王様』?」

(彼女は気さくな殿下と違って、気位が高くて身分にうるさくてね。たとえ諸侯の伯爵家1ランク下でも見下して地下人下っ端呼ばわりしてくるんだ。それで童話の悪役になぞらえて、『ハートの女王』と呼ばれているんだよ)

「はー、陰でそんなあだ名が付いてるんだ」

「そうそう。とても怖くて本人の耳には入れられないよ」

「今目の前で言っちゃってるけど、大丈夫っすか?」

「えっ?」

 いつの間にか普通にしゃべっちゃっていた伯爵令息が周りを見回すと、取り巻き仲間が全員固まってぎょっとした顔でこちらを見ている。

「……もしかして、聞こえてた?」

「周りがみんな静かにしてたっすからねえ。多分本人にまで、もうばっちり」

 顔色を無くした伯爵令息が恐る恐る恐怖の対象カテリーナをうかがえば、彼女も氷点下の蔑んだ目つきで彼を見ている。

「良かったっすね。女王様にのは確実っすよ」

「っひぃぃぃ!?」

「そんな怯えなくっても」

 どうやらカテリーナは、王太子の側近からでさえ怖がられているらしい。

 ツッコミどころしかないリリスの可愛いけどバカさが滲み出ている容姿と違って、一分の隙も無い大人びた美貌のカテリーナに白い目で見られると……確かにかなり怖いのは分かるが。

(お嬢様もプライベートだとポンコツなのになあ。そういう可愛い素顔を見せて行ったらどうなんだろ?)

 「できる女」リリスは、イメージと中身のズレを残念に思い、そっと呟いた。




 これ以上なく威圧感を振りまいているカテリーナは、しばし伯爵令息を無表情に見ていたが……ついと視線をそらした。侯爵令嬢は彼の失態を(今は)見逃した。

 彼女が今対処すべきなのはそちらではなく、怪しげな男爵令嬢のほうだからだ(と周りからは見えた)。


「おお、カテリーナ。来ていたのか」

 王子が自分の婚約者が不意に現れたのを見て、親し気に声をかけた。

「はい、殿下。参内したところで、いきなりこのような場面に出くわしまして」

 一方のカテリーナは確かに身分にうるさいらしく、自分自身もずいぶん王子婚約者へりくだった他人行儀な態度を取っている。

 フランクに声をかけた王太子と、それにあくまでマナーよくお辞儀をする侯爵令嬢。隔意がありそうな二人の姿にリリスは首を傾げた。

「カップルなのにずいぶん空気が硬いっすね……痴話喧嘩中?」

 空気が固まったのは、むしろリリス失言娘の周り。


(おま……とんでもない事を言いやがるな!?)

(なんなんだ、コイツは!?)

 逃げ腰の側近たちが後ずさりしていく中、背筋が凍えるような冷笑を浮かべたカテリーナがリリスの元に歩み寄ってきた。

「ずいぶん面白いことをおっしゃるわね。あなた、お名前は?」

「え? やだなあ、おじょ」

「貴様! こちらは王太子殿下の婚約者、クロイツェル侯爵家のカテリーナ様であらせられるぞ! 何者だか知らぬが、宮中儀礼にのっとった礼をせぬか!」

 予想通りのうっかり発言をしかけたリリスをナネットが怒鳴りつけ、周りがおかしいと思う前に脳天気な発言を強引に打ち切らせた。

 襟首を掴んで他人に聞こえないように囁く。

(初対面のお嬢様に叱り飛ばされるって筋書きだっただろうが! 何を親し気に返しているんだ、おまえは!?)

(ごっめーん、ついうっかり)

(勘弁してくれ!? バレたらお嬢様でも牢屋行き、おまえや私は斬首でもおかしくないぞ!)

(え、一人だけ処罰が軽くない? お嬢様ずるーい)

(そんな事を言ってる場合か!? おまえのせいで既にアドリブになってるんだぞ!? とにかく自分の首が飛ばないで済むように、しっかりやれ!)

(すまんにゃー、あとはちゃんとやるっす)

(本当かよ……)


 襟首を離してもらったリリスは、言われたとおりに宮廷式に挨拶を……。

「あれ? 宮中の挨拶ってどうやるんだっけ? 付け焼き刃過ぎて忘れたわ」

 リリスの後ろで開いた口が塞がらないナネットは、遠くの柱の陰で同僚クララベルが髪を掻きむしってのけ反っているのを目撃した。

(クララベル、あれだけ必死に教え込んだのになあ……)

 侯爵邸に帰ったらねぎらってやろう。

 女騎士はそう思った。




「まあ、挨拶は置いといて」

「置いとくな! マナーの基本だぞ!?」

「ほら、あれよ。『虚礼廃止』ってヤツ」

「おまえのは忘れただけだろう!? コイツの家はどうなってるんだ!?」

「みんな杓子定規でうるさいにゃー」

 リリスが何か言うたびに(王子の)取り巻きたちからツッコミが上がるのを、カテリーナが軽く羽根扇子を振って止めさせた。

「今そんな基礎的なことに付き合っているお時間は、私にはございませんの。その辺りのことは後にしていただきたいわ」

「奇遇っすね。自分もそう思います」

 カテリーナの秀麗な白い額に、ピキッと青筋が浮いた。

「あ、なた、ねぇ……!」

 いつもは常に表情の硬いカテリーナが、人前でしちゃいけない顔になっている。

 さっきまでリリスに怒鳴っていた王子の側近やナネットがそれを見て、今度は噴火寸前のカテリーナをなだめに回った。

「まあまあまあまあ! クロイツェル様、どうかお気を静めて!」

「お嬢様! 後の予定がつかえていますので、今は用件だけ! なにとぞ!」

 みんな必死。ヤバいところに火が付くのを見ちゃったら、自分のボヤはどうでも良くなっちゃうヤツだ。

 それを呑気に野次馬気分で見ていたリリスが、納得したようにうなずいた。

「身近に気分屋がいると大変っすね」

「誰のせいだと思ってるんだ! おまえにだけは言われたくないわ!?」


 カテリーナをなだめる方に回っていたナネットが、他の者の様子を見ながらそっと主に囁いた。

(お嬢様、チャンスかもしれません)

(何のですか)

 視線で王子の取り巻きと言い合うリリスを指す。

(処刑しろという機運が、アレがお嬢様を怒らせたことで吹き飛びました。当初の予定通り、アレに無茶を言いつけて殿下の不興をかいましょう)

(あっ! ……そうですわね)

 

 カテリーナがまた扇子を振り、落ち着いたことを周囲に知らせた。

 その合図を見て、潮が引くようにざわめきが収まっていく。カテリーナがリリスに何を言うのか、注目が集まった。

 その中でカテリーナがいかにも冷酷そうにうす笑いを浮かべながらリリスを見下ろす。

「あなた、さきほど『肩を揉むのでも靴を舐めるのでも、何でもするから許してくれ』……そう言ってらしたわね。これだけの人間の中でおっしゃったんですから、二言はございませんよね?」

「はあ……」

 侯爵令嬢が何を言いたいのかと首をひねるリリスに、カテリーナはスッと己の爪先を突き出した。

「王国貴族が体面を捨ててそこまで言うのですもの。それだけ反省していると受け取って、殿下に取りなして差し上げますわ……本当に、やれるものでしたなら?」

 侮蔑を多分に含んだその言葉は、挑発するように語尾がキュッと上がった。

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