第30話 しぶとい令嬢
近隣住民の見守る中、見事にペシャンコになってしまったバレンタイン男爵邸。
さすがにショックらしく、倒壊した屋敷を見たリリスは呆然として呟いた。
「……とりあえずおトイレ、どうしよう?」
一方、刺客を送り込んで成功を確信したばかりだった二人も動揺を隠せない。
(どうする!? よりによって標的だけ生きてるぞ!?)
(門番小屋で暮らしてるって……そんなのありか!?)
なるほど、落ちぶれた貴族が広い屋敷を維持しきれずに持て余し……というのは分からないでもない。
でもそれにしたって、他人へのメンツがあるんだからせめて本邸の一角ぐらいは……有力貴族の家に勤める二人には、この男爵家の判断が理解できない。
まあ今、それはどうでも良い。問題は男爵令嬢のほうだ。
(このまま帰るわけにはいかないぞ。どうやって始末する?)
(と言われても……我々が仕留めるんですか!?)
侯爵家の家臣として裏の手配もお手のもの……と言えば聞こえはいいが、二人がやっているのはそこまでだ。汚れ仕事をできる者を用意しているだけで、直接手を下した事はない。
(そこまで行ったら、闇の者の担当だろ!?)
(しかし今から代わるわけにもいきませんし、新しいクズを搔き集める時間も……)
大身貴族の侯爵家にはもちろん、非合法な工作を専門にする者もいる。しかし今から呼びに行き、ノータッチだった彼らに説明している時間がない。
それに闇の者は当主直轄で、レイラが指示を出せるわけじゃない。なにより本職の彼らは、こういう中途半端に素人につまみ食いされた仕事を嫌う。
状況を悪化させたうえで今からこの仕事を投げれば、たとえやってくれたとしても
当主の許可なくレイラが勝手なことをしているのを、侯爵に知られるのはマズい。レイラ本人はお小言で済むだろうが、説教された腹立ちをレイラがどこへぶつけるかというと……。
(なんとしてでも俺たちで片づけるんだ! このままじゃ帰れないぞ!)
(わ、分かりました)
手を汚すことより侯爵令嬢の怒りを恐れた二人は、ずぶの素人ながら自分たちで「後始末」をすることに決めた。
(どうせこんな所に住んでいるような娘だ。治安が悪いところを一人で歩いていてもおかしくない)
(辻強盗に遭ったって事にして、襲いますか)
(そうだな。この後アイツがどうするか分からないが、人目のないところに行ったら、一息に行くぞ!)
執事と従僕はそう決意し、男爵令嬢の隙をうかがう……どころではなかった。
「こ、これはどうすれば……」
自分の家が無くなっていることに気がついたリリスはアタフタしていたが、取り急ぎ一つの決断を下した。
「そんなことはとりあえず置いとくっす! それよりとにかく!」
トイレを借りねば!
「急ぐっす! 我が内から湧き上がる紅蓮のマグマが、新たな未来への扉を開く前に!」
それだけは避けたい。
「まさかこの年で近所のガキどもから『あのおねーちゃん、みんなの見ているところでおもらししたんだよ』なんてありもしない事で陰口を叩かれるわけにはいかないっす! うおお、鎮まれ降魔の衝動よ! 我が人間である為に、
そんなことを大声で叫びながら、崩れた我が家を放置して走り去る男爵令嬢。
呆気に取られて見送った侯爵家の執事は、隣の同僚に尋ねた。
「なあ、アレじゃ実際に漏らしたのを見られるのと変わらないんじゃ……」
「呑気に見送ってる場合じゃないですよ!? 追いかけないと!」
「そうだった!」
家の外に出ている住民を見かけると急停止。
「ヘイ! そこのユー! ちょっとミーにトイレ貸してくれない!?」
「おととい来やがれ!」
「くそぅ、なんて防犯意識の高い系住民ばかりの素敵な住宅地なの! テメエらまとめて地獄へ落ちろ!」
貸してくれないので次の家を求め、リリスはまた走り出す。その繰り返し。
不用意に見知らぬ人間を家に入れれば、何を盗まれるか分からない。そんな貧民街の常識からすると、リリスのチャレンジは無謀なたぐいになってしまう。
「かと言って諦めるわけにいくかぁ! レディのメンツがかかっているのよ!」
大声でわめきながら走っていれば、そもそもメンツも何もない。
迫るリミットから逃げ続ける男爵令嬢は驚異的な粘りを見せ、ついに一件の建物に飛び込んだ。
「騒ぐな! 無駄な抵抗はせずに手を上げろ!」
「なんだ!?」
「どうした!」
「余計な口を叩くんじゃない! おまえら壁の前に一列に並んで、おとなしくアタシにトイレを貸すっす!」
「そこの扉だよ! ふざけてないでさっさと行け!」
「お借りしまーす!」
令嬢は無事にトイレにありつき、体面を保つことに成功した。
リリスが騒ぐ声は、バッチリ外まで聞こえていた。
ゼエゼエ言いながら、全身汗だくの執事はしゃがれた声をなんとか絞り出す。
「なんなんだ、あのバカな娘は……」
「一人でも人前であんなテンションって、あれ本当に貴婦人の教育を受けているんですかね?」
従僕のほうも、今にも地面にへたり込みそうだ。
貴族令嬢の出せるとは思えない移動速度に、かろうじてついてきた二人はもう疲労困憊だった。向こうはあちこちで止まってトイレを借りようと声を掛けていたのに、それでも全力疾走で尾行? するのがやっとだった。
「何て足の速さだ……しかもどれだけ走るんだよ。隣の町内まで来ちまったじゃないか!」
「あの令嬢を仕留めるには、油断しているところを後ろから殴り倒すしかないですね。二人じゃ囲むこともできません」
「だな。おい、そこらで棒でも手に入れろ。トイレを済ませて気が緩んでいる帰り道を狙うぞ」
「わかりました」
だが、二人がプランを実行に移すことはできなかった。
リリスがトイレにこもっているうちに準備を……と動こうとした二人を、男たちが取り囲む。
手に手に棍棒を持って包囲する男たちに、ひるみながらも執事は虚勢を張った。
「な、なんだ貴様らは!」
一団を率いているらしい年かさの男は、面白くもなさそうな顔で執事の後ろを棍棒で指した。
執事が振り返って、リリスが入った建物の壁をよく見ると。
“自警団詰め所”
「『なんだ貴様らは』と聞きてえのはこっちのほうだ、バカどもが。どう見ても今トイレを借りに来た姉ちゃんを狙っているとしか思えねえのが二人、自警団の前で襲撃のご相談とは……検挙の手間を省いてくれてありがてえなあ、おい」
「あ、いや……」
「捕まえて牢屋に放り込め、抵抗するなら何発か殴ってかまわん! おいテレンス、役所まで走って警吏の旦那にご足労願え!」
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