第03話 噂の少女
「リリスに用っすか?」
「ええ。お会いしたいのですが」
「そうっすか」
なるほどとリリスは頷いた。
「中でテーブル拭いてると思うっす。カウンターに亭主がいるんで、そっちに声をかけて下さい」
「そうですか。ありがとうございます」
軽く会釈して二人が店に入っていく。ヘコヘコしながらそれを見送ったリリスは、扉が閉まるなり脱兎のごとく逃げ出した。
ぼろい内装をケバい飾りで隠しているのが見え見えの店内には、まだ客の姿はなかった。準備中らしく、洗ったジョッキをカウンターに積み上げている中年男が一人だけいる。
「もし、こちらの御亭主ですか?」
クララベルが声をかけたら、二人に気がついた男がなぜか大喜びで近づいてきた。
「ワーオ! よく来てくれた!」
「はあ」
コイツが亭主なのは間違いなさそうだ。だけど用向きも伝えてないのに、なぜこんなに歓迎するふうなのか。
馴れ馴れしくクララベルの手を握った亭主が、もう片方の手で嬉しそうに何度も肩を叩いた。
「なんでえ、マリオもやるときゃやるじゃねえか! アイツの売春宿にこんな上玉が二人もいるだなんて……」
床を転げまわっている亭主から目を離し、クララベルは三発目を蹴り込もうとしているナネットを止めた。
「用件だけ先に済ませましょう。口をきけなくなったら面倒です」
「……お、おめえら、いったい……」
「我々はあなたが斡旋を依頼した娼婦ではありません。我々は」
「くそう、ジャンセンファミリーのチンピラか!? ショバ代は払わねグフォッ!?」
ナネットの三発目を喰らって、亭主がやっと静かになった。
「そちらの商売に関する話は、我々が帰った後に取引先と存分になさって下さい」
「ひゃい……」
男がようやく聞く気になったようなので、クララベルは訪問目的を切り出した。
「こちらで働いている、リリスさんにお会いしたいのですが」
「え?」
「……え? とは?」
「いや、だって」
亭主が痛みに震える指で、今入ってきたばかりの入口を指した。
「リリスなら、表で看板拭いてなかったか?」
◆
「はー、危なかった」
リリスはドブ川のほとりに腰を下ろし、息を整えた。
「いやー、参ったわ。借金取りがもう店を嗅ぎつけるなんてねー……ほんの半年返済が滞っているだけなのに、気が短い奴らだわ」
今日取り立てに来た事務員の女が、リリスの顔を知らなかったのは助かった。
「次に来るのは怖い兄ちゃんたちだろうなー。やだなー。そもそも金が無いから借りるのに、なんで返すアテがあるなんて思うんだろ。金貸しってバカじゃないかしら」
ブツブツ言いながら懐を探ったリリスは思わず渋い顔になった。
「しまった……店に置いてきた
借金取り(らしい)連中から逃げるのに職場放棄してきちゃったから、店もクビだろう。ちょっと忘れ物を取りに行きづらい。
「でも財布は回収しないと、喉が渇いているのに水も買えないしなー。もうちょっと我慢して、店が開いた頃に裏の窓からこっそり入ろうかしら」
「ほう、喉が渇いているなら何か奢ろうか? 水と言わずジュースでも茶でも」
「えっ、ホント!?」
後ろの人からの親切な申し出に、喜んだリリスが振り向いたら。
「ええ、もちろんです。お好きなものをお出ししますので……飲みながらゆっくり、お話をいたしましょう」
すぐ後ろに迫っていた、貸金業者の事務員(と思われる女)がにっこり微笑んだ。
リリスのこめかみを冷汗が一筋流れた。
ヤバい。
「えーと、ハハ、あんまり知らない人にたかるのも悪いかなー……」
じりじりと後ろに下がりかけたリリスの肩を、最初に声をかけた女武芸者ががっしり掴む。
「遠慮はするな。こちらもちょうど、貴公に頼みたいことがあってな」
この女、気安い感じに言うけれど……目が笑っていない。
リリスはごくりと喉を鳴らした。
「いやーははは、よく考えたら休憩時間がそろそろ終わりかなあ?」
「『金の卵亭』の亭主はあなたを銀貨二枚で、快く譲り渡してくれました。以後、出勤に及ばずとのことです」
「安っ!? そしてクビ!?」
事務員もヤバい目つきで口元だけ笑いながら、道をふさぐように現れた馬車を指し示した。
「ではこちらへどうぞ、リリスさん。ゆっくりできる場所で、じっくりお話致しましょうか」
◆
「すいませんすいませんすいませんすいませんすいませんすいません」
窓にカーテンが引かれて外が見えない馬車の中で、カチコチに硬直しているリリスは延々謝罪を口にしていた。
そんなリリスの様子に、取りあえず事務員ではないらしいインテリ女が気休めを口にした。
「落ち着いて下さい、リリスさん。我々も今すぐ、あなたをどうこうしようというわけではありませんので」
つまり、長期的な保証はない。
「ごめんなさい、逃げたのは出来心なんです! 借りたお金はちゃんと返します!」
リリスも耳を揃えて、とは言わない。
「もしお金が足りなかったら、うちの愚父を売ってでも作りますので!」
「あんまり値段がつかなさそうだな」
「ナネット!」
「あ、やっぱり? でも、一周回ってマニア受けしないっすかね?」
「リリスさんも、ちょっと黙ってもらえますか?」
クララベルは対面に座らせた少女を観察した。
背丈も体格も、まあ普通。
貧乏生活をしていると噂に聞いてきたが、そんなに栄養状態が悪いようには見えない。さっきの借金を踏み倒そうという気概を見ても、なかなかワイルドでがめつい性格のようだ。
顔はよくよく見れば可愛いと言ってもいい。ガサツな性格で美点も帳消しになっているが。ただ髪形はいまいちだ。
服装もひどいが、
見た目は、他に選択肢が無いのを考慮してなんとか合格。
そしていかにも貧乏で後先を考えないところを見ると、こちらの話に乗ってくる可能性も五分五分。
なかなか厳しい条件に、他に候補者もいない。
クララベルはこの女をスカウトすることに決めた。
侍女はリリスの隣でさりげなく逃亡に備えている
「リリスさん。我々は借金取りではありません」
「ふえ? そうなの?」
「逆にあなたに一仕事お願いしたいのです」
「アタシに? でも、アタシにできる仕事って……」
「あなたの立場が必要なのです。男爵家令嬢という立場が」
「……知ってたんすか」
さすがに酒場で下働きをやっている自分の身分を知られて恥ずかしいのか、リリスが赤面してうめいた。
そう。このバカ(っぽい)娘は。
どう見ても庶民の中の庶民だけど、貴族令嬢の身分を持つ身なのだ。
きまり悪そうな少女に、クララベルは畳みかけた。
「もちろん極秘ですので秘密を守っていただく必要はあります。ですが」
「ですが?」
「それなりに高額な報酬をお約束します」
侍女の話が終わるなり、リリスが深く頭を下げた。
「犬とお呼び下さいっす!」
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