第10話 カテリーナの気持ち
「……よく見ていたな。その通りだ」
一瞬言葉に詰まった騎士が、二十センチくらい抜きかけた剣を戻しながらため息をついた。
「自分の許婚が目の前で他の女に言い寄られていて、おもしろいはずがない」
「でも、嫌で別れたいからアタシを雇ったんでしょ?」
だからリリスが頑張って王子を突き飛ばした? のに。
「予定通りにいってたじゃないっすか。何が面白くないんす?」
リリスのウザったいほど物問いたげな視線に、騎士も重い口を開いた。
「……お嬢様は、嫌で別れたいんじゃないんだ」
ナネットは肩越しにチラっと令嬢の寝室のほうを振り返った。
「お嬢様は殿下を愛しているんだ。だけど誹謗中傷に晒されているうちに、すっかり心が折れてしまってな……陰口を真に受けた殿下にそのうち冷たい目で見られるんじゃないかと、自信を失って気弱な考えに囚われてしまったんだ」
「はあ~」
リリスも寝室のほうを見た。
「取り繕った体面の裏でプディングメンタルのお嬢様は、一途で弱気な純愛を持て余していると」
「そう。幼いころからあこがれていたミシェル様を、誰よりも好いているのにな」
「なるほどねえ」
リリスは顔を戻してナネットに真顔を向けた。
「アホみたいに偉そうなくせに、キャラじゃないっすね」
「言うな」
「ついでに言うと、重くてキモイ」
「だから言うな! こっちは侯爵家の家臣なんだぞ!」
クララベルがお茶を入れてくれたので、リリスは遠慮なくがぶ飲みする。
「ぷはー! 効くう!」
「おいクララベル、酒でも入っているのか?」
「冗談言わないで」
首を傾げる二人の横で、ご満悦なリリスがさらに一杯干した。
「一回しか使ってない茶葉だと、色だけじゃなくて味が付いてるんすね!」
「あなた、普段どんな食生活を……」
三人分の茶菓子を貪り食っていたリリスが、ふと手を止めた。
「でもナネットさん。お嬢様がどんなに見た目だけのハリボテで中身が意気地が無くてクヨクヨしてばっかのダメ人間でもっすね?」
「他人の批判をする前に、まず自分の行状を反省しろ」
チクリと言い返されたのをマルっと無視して、リリスはクッキーをつまんだ指を女騎士に向けた。
「それを支えて尻を叩くのが
単刀直入過ぎるリリスの疑問に、ナネットは苦笑いを浮かべた。
「分かってる……だけどお嬢様も、生半可な覚悟で言っているわけではないのだ」
「侯爵家の家臣なら、ちゃんと結婚してもらう方が優先でしょうに」
「それも確かに。だけど我々だけでも、家の損得ではなくてお嬢様の味方でいたい」
横のクララベルも頷いている。
そんな二人を見て、世間に詳しいリリスはいささか眉をひそめてしまう。
(何も迷子になるまで口を出さないのだけが忠誠でもあるまいに)
「何か言ったか?」
「いいええ、独り言っす」
「でも、ナネットさんはそれでいいんすか? お嬢様が将来王妃になったら、王妃付きの騎士にだってなれるっしょ?」
リリスの意地の悪い質問に、騎士の表情が暗くなる。
「私の出世などどうでも良い。お嬢様の希望を最優先で叶えて差し上げたい……それに」
「それに?」
「こうも思うんだ」
カテリーナの心情をおもんばかって苦しい顔をしていたナネットが、妙にハァハァ興奮した鼻息で振り返った。
「あの
「なるほど。このダメ人間は
リリスは身悶えしている百合騎士から、渋い顔でお茶をすすっている侍女に目を向けた。
「クララさん。アタシの頭よりこの
「お嬢様と
「さて、と。アタシは次の準備に取り掛かりますかね」
「次か」
リリスと違って記憶力が人並みのクララベルとナネットは、カテリーナの計画表を思い浮かべた。もちろんリリスは懐から写しを出している。
「一応約束を取り付けた王太子殿下に昼の弁当を持って行って胃袋を鷲掴み、だったな」
「そう書いてあるっすね」
また書付をしまい込んでいるリリスに、クララベルが心配そうに尋ねた。
「念のために聞いておくけど……あなた、人間が食べられるものを作れるの?」
「なんでわざわざ『人間』てつけるんすか?」
「あなただけ食べられるものを持って行きそうだったから」
凄く心配そうな二人に、リリスが胸を張った。
「ハッハッハ、ソイツは過小評価ってもんですぜ! アタシ、料理は得意中の得意なんすよ。なにしろ『金の卵亭』に勤めて三ヶ月、みっちり皿洗いを仕込まれましたからね!」
「ふーん」
「用意できないなら早く言いなさいよ? 侯爵家の料理人に作らせるから」
「せっかくの鉄板ネタをスルーの上に信じてないとか、この人たちヒトデナシっす……」
「王太子に二度も体当たりして気絶させた人よりはよっぽどマシよ」
◆
王太子ミシェルと学友たちが剣の練習を終えて談笑しながら汗を拭いていると。
「どっぉうもー、ごぶさたしてまーす!」
どこかで聞いた、嫌な記憶を呼び起こす声が……。
「この声はもしや、先日のアホの男爵令嬢か!?」
特にトラウマを植え付けられた騎士団長令息のダントンが、引き攣った顔で辺りを見回す。同じくキョロキョロしている仲間たちに、慌てて指示を飛ばした。
「殿下を囲んで隙間を作るな! ヤツのことだ、どこから突っ込んで来るか分からん!」
などと言っているダントンの耳元に、そっと囁きかける声が……。
「アタシ、リリスちゃん。今、あなたの後ろにいるの……」
「ひぃぃぃっ!?」
腰を抜かしたダントンの影から堂々歩いて現れたリリスは、一人泰然としている王太子に粗雑なカーテシーをして挨拶した。
「ちーす! バレンタイン男爵家のリリスっす!」
クララベルの教育はまだ成果が出ていないようだ。
「その男爵令嬢が何の用だ!? 貴様ごときがそちらからノコノコ殿下に会いに来るなど不敬であるぞ。何度も見逃されると思うなよ!」
先日最初にリリスが身元不明だと気がついた男が、またキツイ言い方で咎め立てしてきた。クララベルに後で聞いたところでは、コイツは宰相の息子らしい。
「やだなあ、お忘れっすか」
「うん?」
何の事を言っているのかさっぱり分からない、という感じの男たち。
そんな無礼な彼らに、
「以前殿下にぶつかったお詫びに、お昼を用意して差し入れるって約束したじゃないっすか」
リリスは以前の(勝手な)約束を思い出させた。
しばしの無言の後、一人がぽつりとつぶやいた。
「……あれ、本気だったのか」
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