第5章 もう一人の侯爵令嬢
第22話 もう一つの侯爵家
王国政界ではクロイツェル侯爵家と肩を並べるフローレンス侯爵家。
その格式ある名門貴族の邸宅でも最も奥まった一角にある、長女レイラの居室で……。
「なんなの!? 一体どういうことなのよ!」
部屋の主が地団駄踏んでいた。
キレ散らかしているお嬢様に、宮廷事情を探ってきた家臣が恐る恐る声をかけた。
嫌なことを報告すると、八つ当たりで何をされるか分からない。
かといって報告を上げないと、職務怠慢だの無能だの言われて左遷されてしまう。
損な役回りだと思いながら、老練な近侍は報告を続けた。
「問題の令嬢ですが……時々宮廷に顔を出すみたいですが、基本的には何もしていません。王太子殿下の視界に入るように近くを動き回るだけで、他の何かに参加している様子はありません」
「そうなると、社交界のグループからはじき出すという手は使えないわね」
リリスちゃん、そもそもボッチ。
「宮廷で親しくしている人間がいないとして……家自体に圧力はかけられないわけ!?」
本物の陰謀系令嬢はすぐに搦め手を思いつくのだ。
小説なんか参考にしているようなカテリーナはまだまだ甘い。
家臣が暗い顔で首を振る。
「バレンタイン男爵家とやらですが……当主が何もやっていないので、仕事や役職から圧迫が出来ません」
「親戚は!?」
「よっぽどらしくて、付き合いのある家が見つかりません」
「逆に何か餌で釣るのは!?」
「伝聞ですが、当主は働く気が無くて娘に生活費を稼ぎに行かせているそうで……」
「じゃあこの小娘が働いている職場に……」
「先日不法店舗の取り締まりで潰れました」
「貴族の令嬢がどこで働いているのよ!?」
イライラと爪を噛みながら、激怒している侯爵令嬢は部屋の中を歩き回る。
「何をどうしたらコイツに思い知らせることができるのかしら……私の
と言っても、打てる手がない。
「何も持たない者がここまで厄介だなどと、思いませんでしたわね」
「しぶとくって厚顔無恥。どうしたらいいのでしょうか」
後二人しか残っていない、無傷の取り巻きが嘆息する。
しばらく闘犬のような顔で黙っていたレイラが振り返った。
「こうなると、直接お仕置きをするしかないわね」
居合わせた取り巻きと家臣は黙って続きを待った。その結論は分かるけど、リリスが宮廷に来れないように脅しに行った連中が(偶然が重なり)返り討ちにあったばかりだ。
侯爵令嬢がどういう手段を取るつもりなのか……。
レイラが控える取り巻き二人に、ビシッと指を指した。
「宮中でそのリリスとか言う娘が引っかかるような罠を仕掛けるわよ」
「はあ……」
そう言い割れてもピンと来ない二人から視線をはずし、お嬢様は家臣を見た。
「何か無い!?」
考えるのは、他人任せ。
「罠、でございますか……」
報告に来ただけなのになあ……と思いつつも、侯爵家の従僕は必死に考えた。ご機嫌を損ねて侯爵領の牧場管理などに回されてはたまらない。
「……問題の男爵令嬢に、人間関係で何かすることが現状できません」
リリスには王太子の周り以外に、宮中で話をする相手もいない(ということになっている)。
「そうなりますと、物でひっかけるのが上策……になるかと思われます」
発言した家臣は、「落し物の拾得物横領疑惑でも押し付ければ」と思って提案したのだけど……。
それを聞いた侯爵令嬢は愁眉を開き、我が意を得たりとばかりに掌を打った。
「それよ! 良いわね!」
「ははっ」
内心胸をなでおろす家臣の思いをよそに、レイラはまるで違うことを叫び始めた。
「料理長を呼びなさい! なるほど、いかにも躾のなっていないあのクズに相応しい罠だわ……毒入りの菓子でも撒いておいて拾い食いさせるのね!」
いい考えに機嫌がよくなった令嬢を、目が点になった取り巻き二人と家臣が呆然と眺めた。
◆
「というわけで、毒入りの菓子を用意しろということだ」
侯爵家の厨房では、料理人たちが困り果てていた。
お嬢様に呼ばれて料理長が出頭したら、宮中で貴族令嬢に拾い食いをさせる為に、見た目豪華な毒入りの菓子を作れと言われた。
「よりによって宮中で、貴族令嬢が拾い食いなんかするものかなあ……」
「ですよねえ……」
常識で考えればそうなる。
「それに、我々が毒殺用の菓子を用意するというのも……」
いくら主に言われても、ちょっと手を貸しにくい。
「うむ。お嬢様のご指示では、『殺すほどでなくても良い。ちょっと腹痛でも起こせば十分』とのお話だったのだが……」
ならば摂り過ぎると胃を痛める薬草でも混ぜましょうか、と料理長が提案したら。
「いいわね! たっぷり入れてやりなさい! もうもだえ苦しんで一か月はのたうち回るようなヤツを!」
それは普通に毒だ。
狂ったように高笑いするお嬢様にとても意見する気にならず、料理長は下がってきたが……正直どうしたものかと頭を悩ませていた。
「本当に死んじゃうような物は作れませんよね」
「だよなあ。かといって、どうしたらいいのか……」
職業倫理より主の命令を優先しなければならない。義理と人情秤にかければ……と言うヤツだ。
ふと調味料棚を見た料理人の一人が、食紅の一つを手に取った。
「どうです? 口に入れる気がしないように、思いっきり毒々しい色を付けるというのは」
「それいいな!」
それを食べるかどうかは
部下の提案に、料理長もホッとした。
「よし、それで行こう! よっぽどのバカでなければ、珍しい菓子でも引っかからないだろう」
方針が決まって動き出した料理人たちは知らなかった。
リリスちゃん、よっぽどなのだ。
◆
レイラに言われて実行犯として参内した二人の取り巻きも、思いは料理人たちと同じだった。
別に問題の男爵令嬢が死んだところでどうでも良いが、それを自分が手を下すのは勘弁してほしいところだ。
「今日、そのリリスとか言うのが参内するのは確実なの?」
できれば来ないで欲しいという気持ちを込めて伯爵令嬢が子爵令嬢に確認する。
「レイラ様のお付きに聞いたところでは、おそらくは……王太子殿下の関連でイベントとなると、今日はまさにお茶会がありますから。例の恥知らずな娘が押し掛けるのは確実ではないかと」
聞かれた方も確実なところは分からない。自信なさそうに同輩に答えた。
そのお茶会にはレイラと、仇敵のカテリーナ・クロイツェル侯爵家令嬢が参加している。定期的に催されるティータイムだけど、主役二人の鞘当てがひどすぎて雰囲気は最悪だ。
正直、あの空間にいなくて済むなら
「来るならば、門からお茶会をする庭に行くには必ずここを通る筈」
「そうですわね。そろそろお茶会も始まる頃ですけれど……」
いっそ来るな。
そうすれば嫌なお茶会をサボれて、後味の悪い任務も果たさずに済む。
そう思って令嬢二人が柱の陰に潜んでいると……。
彼女たちの願いは、残念ながら敵わなかった。
「あ……」
「あれは……」
門のほうから例のおバカ娘がご機嫌でやってくるのが見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます