第12話 クィンの末裔――ラステル視点③

 捜索隊に斬り込んでいったフランツを残して、暗闇に包まれた森のなかを駆けるターニャとわたし。


 ジュストを失いました。

 フランツも、まだ追いついて来ません。


(フランツ、フランツ、どうか無事に戻って来て……)


 フランツの無事を願いながら、わたし達は夜通し森のなかを、ただひたすら走ります。


 時折、草の弦や樹木の根に足を取られて転びました。

 いばらや木の枝に引っかけ、衣服が所々、破けてしまっています。

 手足のあちらこちらに、小さな引っ掻き傷を負い、血が滲んでいました。


 それでも、わたしは歯を食い縛って駆けました。


 いつの間にか、ただ追っ手から逃れることだけを考えていました。


 視界の隅になにかを捉えても、見向きもせずに駆け抜けました。


 フランツが捜索隊のなかへ斬り込んでいった後、止まらなかった涙はもう乾いています。


「お嬢様、この辺りで少し休みましょう」


 ターニャの視線の先に大きな岩が見えます。


 わたし達は、その陰に隠れるように膝をついて岩にもたれかかりました。


「んぐっ……、はあっ、はぁ、はぁ……」


 足が、もう、ぱんぱんです。

 いま立てば、膝がカクカクと笑ってしまうにちがいありません。


 わたしは、腰に下げていた水を飲みました。

 喉を流れる水が、走り続けて乾いた身体に滲みわたっていくようです。


 ああ。ただの水が、これほど美味しいものだったなんて。


「お嬢様、御髪おぐしに枯れ葉が……」


 わたしの髪に引っかかっていた枯れ葉を、ターニャが取ってくれました。


 転んだときに、ついたのでしょう。

 よく見ると髪だけでなく、衣服も土に汚れ、あちこちに枯れ葉や草の種がついています。

 ……普段なら「淑女失格ですよ」と、お母様やターニャに咎められたことでしょう。


「後で、洗浄魔法をかけておきますね」


 ターニャは、優秀な側仕で洗浄魔法を使うことができます。


 とても便利な魔法ですが、無制限に使えるものではありません。


 洗浄魔法も魔力を使います。

 衣類の量が多ければ、それだけ多くの魔力が必要です。


 だいたい、2人分の衣類を洗浄できれば、有能な側仕とされます。


 ターニャは、最大で5人分の衣類を洗浄できるそうです。


 わたしも洗浄魔法を使うことはできます。しかし、なぜか上手くコントロールできません。


 染料まで落ちてしまい真っ白になるくらいなら、まだマシな方です。

 袖が無くなってしまったり、ズタズタに破れてしまうのです……。


 わたしが自分の酷い身なりに頭を抱えていると、ターニャが荷物から毛布を出して掛けてくれました。


「ありがとう、ターニャ」


「ひとまず、ここで仮眠を取って、テスランへ向かいましょう」


 捜索隊に発見される危険があるので、火を焚くことはできません。


 わたしはターニャにぴたりと身体を寄せて、彼女の体温を感じていました。

 ぼーっと爪先つまさきを見つめていました。

 じわっと、涙が溢れてきます。


「ジュストは、……どうして……。フランツは、フランツは、……無事なのかしら?」


 やはりというか、じっとしていると、どうしても彼らの事を思い出してしまいます。


「……」


 わたしの問いかけにターニャはなにも言わず、悲し気な顔で目を伏せていました。


 暗闇のなか風が吹き抜けて、樹木の枝が揺れているようです。

 ざわざわという音だけが、聞こえてくるのでした。


 翌朝、わたし達は携帯食で簡単な食事を済ませると、テスラン共和国へ向けて出発しました。


 薄暗い森を抜け山を越えて、ヴィラ・ドスト王国からテスラン共和国へ入りました。


「テスラン国境近くの街へ入って、乗り合い馬車を使いましょう」


 ターニャの説明によると、テスラン国境近くの街「エストワル」から乗り合い馬車を乗り継いで、テスラン東部国境の街「オストバウ」まで行くそうです。


 そこからは、テスラン共和国とアルメア王国など数か国にまたがって広がる「蒼の森」という大森林地帯を抜けて、アルメア王国に向かうとのことでした。

 テスラン共和国にはヴィラ・ドスト王国と繋がりの深い貴族が多いため、長く滞在するのは危険なのです。


(……とても長い旅になりそうですね)


 それから、来る日も来る日も、馬車に揺られる日が続きました。


 🐈🐈🐈🐈🐈


 がたたた、ごととと、がたっ、ごとっ、がた、ごと、がた、ごと……。


「ラステルです。今日も今日とて、竜車に揺られています。いま、わたし達を乗せた竜車は、蒼の森を走っています……」


「お嬢様?」


 瞼をぱちぱちと瞬きして、「一体、誰に向かって話しているの?」といった表情のターニャがわたしを見ています。


 馬車・竜車に揺られ過ぎて、腰は痛くなるし、お尻も痛いし、少し気分も悪いです。


 馴れたとはいえ、流石に身も心も疲れました。


 そのせいかターニャとの会話も、日に日に少なくなっていきました。


 ところで、いま、わたし達が乗っているのは乗り合い「馬車」ではありません。


 竜車です。

 馬ではなく、二足歩行の小型竜が牽引しています。


 エルマラクという地竜の一種なのだそうです。お名前は、スクナ。

 お月様のような金色の瞳とモスグリーンのすべすべお肌。話しかければ、クゥと返事もしてくれます。


 ……「地竜」なんて、初めて見ました。


 わたし達が乗るこの竜車は、アルメア王国王都に本店を構える「シャシャ商会」のものです。


 ターニャが、オストバウで見つけてくれました。


 馭者台で手綱をとるのは、シャシャ商会のエンリケさんという方です。

 藍色の短髪と藍色の涼やかな双眸、整った顔立ちの男性です。商人だからでしょうか。細身で身長も私が見てきた男性と比べると少し低いように思います。


 テスラン共和国で商談があり、アルメア王国に帰るところだったそうです。

 荷台でよければ、ということで乗せてもらうことになりました。


 まさに、渡りに船といったところですね。


 荷竜車には白いほろがかけられ、側面に左手を上げた大きな黒い猫の標章ロゴマークが描かれています。


 道中、馭者台ぎょしゃだいでスクナの手綱を取りながら、シャシャ商会のエンリケさんが色々お話してくれました。


 アルメア王国のこと、シャシャ商会のこと、エンリケさんがシャシャ商会で働く事になった経緯等々……。


「ウワサで聞いただけですが、ウチには大会頭の上に総帥がいるんだとか。謎めいた方でね。その方を『黒猫紳士』と呼ぶ者もいます。本店と各支店の会頭を束ねる大会頭以外は、誰にも姿を見せたことがないそうです」


 エンリケさんの話にターニャが目をまるくしています。


「そ、その総帥と呼ばれている方は、普段、一体どこでなにをされているのですか?」


 信じられない、といった顔です。

 彼女は、エンリケさんのいる方に身を乗り出していました。


「さあねぇ。なんせ、お見かけしたことすらないですからねぇ」


「……」


(……大きな商会のようですが、とても変わっていますね。それにしても、標章といい黒猫紳士というふたつ名といい、なんだか可愛らしいです。アルメア王国に入ったら、立ち寄ってみましょう)


 そんな事を考えていると、


「もう少ししたら、竜を休ませます」


 エンリケさんが振り返って、わたし達に言いました。


 馬よりもスピードは落ちますが、エルマラクは流石に竜だけあって持久力があり長旅には重宝するそうです。


 ただ、蒼の森は大森林です。持久力のあるエルマラクでも、時折、休ませなければならないようです。


 しばらくすると、大きな池が見えてきました。


「あの池のほとりで、休みます」


 エンリケさんは、わたし達の方を振り返りながら池を指差して、スクナを池のほとりへと誘導します。


 わたしは、竜車の荷台から飛び降りました。


「わぁ、綺麗な池ですね」


 水面に森の緑と青空が映っています。

 近づいてみると、池の水は青く澄みわたり底の石まで見えています。


 思わず、手で水を掬ってみました。


「ふふ。冷たい」


 馬銜はみを外してもらい解放されたスクナが、隣でこくこくと水を飲んでいます。


「良い水場なんですけどね。あまり長居できないのが難点です」


「どうしてですか?」


「こういう場所は、色々なモノを引き寄せるんですよ。……なんて言っているうちに、ああ、来てしまいましたね」


 エンリケさんの視線の先には、わたしが生まれて初めて遭遇するモノがいました。


(……あれは?)

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