第10話 クィンの末裔――ラステル視点①
「はっ、はぁ、はぁ、ふぐっ……。はっ、はっ、あっ! あぐっ……」
「お嬢様っ!」
森のなかで、樹の根に足を取られました。
転んで膝を強く打ってしまい、わたしは膝を押さえ声を殺して痛みに耐えました。
――ラステル、どうか元気で。強く生きて。愛しているわ。
――ラステル、どうか幸せに。愛してる。
(お父様……、お母様……)
「お嬢様、お怪我は!?」
側仕のターニャが、心配そうにわたしの顔を覗き込んでいます。
わたしは、無理矢理、笑顔を作って「大丈夫です」と答えました。
「まだ、近くにいる筈だ。必ず、捕らえろ!」
丘の上で、沢山の松明の火が揺れています。
捜索隊の怒号が、飛び交っています。
その様子を見ていた護衛騎士のフランツは、意を決したという表情で真っ直ぐわたしの目を見ました。
「お嬢様。私が彼らを引き付け、時間を稼ぎます。その間にお嬢様は、この森を抜けてテスランに入国を」
(な、なにを言い出すの!? フランツ)
わたしは首を左右に振って、フランツに言いました。
「だめよ。あなたはどうなるの?」
「必ず、追いつきます。私に構わず行って下さい。ターニャ、お嬢様を頼む」
ターニャが頷くと、彼は軽く会釈をして、わたしから離れて行きました。
しばらくすると、わたし達のいる場所からかなり離れた所で、「ここから先へは、行かせない!」と叫ぶ声が聞こえます。
魔獣のような形相をしたフランツが剣を抜いて、捜索隊へ向かって斬りかかっていくのが見えました。
「っ、フランツ!」
「さあ、お嬢様。いまのうちに!」
捜索隊と斬り結ぶフランツを残して、わたし達は暗い森のなかを駆けて行きました。
🐈🐈🐈🐈🐈
わたしは、ラステル・クィン。
ヴィラ・ドスト王国、クィン伯爵家の次女です。
クィン伯爵家は、初代国王ヴィラ・ドストを支えた重臣にして、ノウム教教祖でもあるメルヴィス・クィンを始祖とする家柄です。
このため、わたし達の一族は「クィンの末裔」と呼ばれています。
そして、生まれる子供が、なぜか女性だけという女系の一族でした。
初代メルヴィスは、ラムダンジュにより天使の魂をその身に宿していました。そして天使から授かる叡智をもって、国王ヴィラ・ドストを助けたと伝えられています。
現在、ラムダンジュは教会によって禁忌とされ、儀式を執りおこなうことはできません。
天使の魂が身体に適合しない場合、能力発現のさいに天使の魂が暴走し、殺戮と破壊の果てに世界の破滅をもたらすからだと言われています。
しかし「クィンの女性」だけは、例外でした。
クィンの一族の女性は、通常、天使の魂が身体に適合する者(適合者)だからです。
そこでクィンの家だけは、代々、
いえ、むしろそれは「クィンの末裔」に求められた責務でした。
天使の叡智を記した『魔導大全』を編纂し、王国の繁栄に貢献するために。
わたしの母マリア・クィンも妊娠したさい、ラムダンジュの儀式により天使の魂を取り込みました。
生まれてきた子は、双子の姉妹でした。
それが、お姉様のマルティナとわたしです。
わたしたちは生まれたときから、どちらかが「処分」されることが決まっていました。
通常、クィンの女は適合者です。
しかし、例外がありました。
ラムダンジュを施した胎児が、双子だった場合です。
教会の記録によれば、ラムダンジュを施した胎児が双子だった事例は5件。
記録に残る最初の事例が「サンドラ事件」を引き起こし、以降、全ての事例において片方は不適合者だとされてきました。
双子のうち片方は、能力が発現したかどうかに関わらず、全て処分されてきたのです。
適合者に能力が発現すると、背中に適合紋があらわれます。
他方で、不適合者に能力が発現した場合、適合紋が現れないと言われています。
そして能力がいつ発現するのか、どんな条件で能力が発現するのか、実はよく解っていません。
このため、わたし達姉妹が屋敷の門から外へ出たことはありませんでした。
いつ、何があって能力が発現するか判らないこと、不適合だった場合には速やかに処分しなければならないことが、その理由です。
屋敷には、いつも多くの衛兵達がうろうろしていました。
わたし達のうち、どちらかが不適合者だった場合に備えて厳重に警戒配備されていたようです。
屋敷のなかも外も物々しい雰囲気でしたが、それを除けば、わたし達姉妹は幸せだったと思います。
読み書き、外国語、算術、地理、歴史、経済、法律、お作法、ダンス等、貴族として学ぶべき教養をすべて身につけることができました。
武芸は、護衛騎士のフランツとジュストが手ほどきしてくれました。
魔法学は、お母様自ら教えてくれました。
お父様もお母様も、わたし達を愛してくれました。
ただ、時折、涙を浮かべて悲しげな表情をしていました。
そして、わたし達が13歳になったころ、ついにその日が訪れたのです。
ある日、お姉様は高熱を出して、一晩中うなされていました。
お父様がお医者様を呼びましたが、病気ではないとのことでした。
翌朝、お姉様の熱は、下がっていました。
そして、背中に大きな魔法陣のような紋様が出ていたのです。
お姉様に、適合紋が現れたのでした。
ということは、わたしは……、わたしが……、処分……されるのですね。
将来の夢がありました。
ひそかに想いを寄せる男性もいました。
嬉しかったことも、楽しかったことも……。
すべてが色を失い音を立てて崩れ、消えてしまいました。
ただ、ただ、部屋でぼんやりとテーブルを日が沈むまで見つめていました。
そんなわたしの姿を、側仕のターニャと護衛騎士のフランツが心配そうに見ています。
そこへ、お母様と護衛騎士のジュストがわたしの部屋に入って来ました。
そして、わたし達を見て言いました。
「では、ターニャ、フランツ、ジュスト、手筈通りにお願いします」
「お母様?」
「この日のために準備していました。ラステル、貴女は、この国から逃げなさい」
「え? それではお母様が、罪に問われます」
「構いません。もともと軟禁されているようなものです。私達クィンの女は、『魔導大全』の編纂のためだけに全てを捧げるのですから」
「でも、わたしは……」
お母様は目を閉じ俯いて、首をゆっくりと左右に振りました。
「貴女が不適合者なら、そのときは私が貴女を討ちましょう。けれども、まだ、どうか判りません。貴女が適合者の可能性もあります」
「わたしも適合者……ですか? それならば、なぜ、処分されるのですか?」
「サンドラ事件は、知っていますね?」
「はい」
「あの事件以来、王国も教会も天使の力が暴走することを恐れているのです。ひとつ間違えば、王国は破滅します。双子がどちらも適合者である可能性、得られる利点を考慮しても王国の存亡を賭ける訳にはいかないのです」
「……」
「それでも……、それでも私は、貴女に生きて欲しい。ならば、私は貴女のために罪人となりましょう。ラステル、たとえ貴女が不適合者で、沢山の人を殺めたとしても、貴女は私の愛する娘です」
「お母様……」
お母様は涙を浮かべて、わたしに手を伸ばしました。
「ラステル……、ラステル、どうか元気で。強く生きて。愛しているわ」
お母様は、わたしを抱き締めて額にキスをしてくれました。
「さあ、行きなさい」
「お嬢様、行きましょう」
ターニャが、わたしの背中に手を当てて退室を促します。
わたしは、フランツとジュストの後をターニャとともについて行きました。
そして、わたし達は執務室に入りました。
執務室では、お父様が待っていました。
「ラステル。お前になにもしてやれない私を、許してくれ。この無力な父を、どうか許してくれ」
そう言って、わたしを抱き締めて、頭をなでてくれました。
「お父様、ここまで育ててくれて、ありがとうございます。愛してくれて、ありがとうございます。どうか、お元気で」
お父様の背中に腕をまわして、お礼を言いました。
「ラステル、どうか幸せに。愛してる」
ターニャが執務室の隅に置かれている獅子の像の口のなかに手を入れると、隣の本棚が横にスライドしていきます。
隠し通路が現れました。
わたし達が全員、隠し通路を五、六歩進むと、後方でゴロゴロと音がして入口が閉じられました。
通路には、何らかの術式が組まれているようです。
壁の石が、出口へ誘うように光っています。
わたし達は、足早に隠し通路を通り抜けていきました。
隠し通路は、屋敷の東側にある山の麓に立つ、別館の地下室に繋がっていました。
わたし達は、ターニャが用意していた蝋燭の灯りを頼りに薄暗い階段を駆け上がり、別館の玄関へと向かいます。
外に出ようと、ターニャが玄関の扉に手をかけたときでした。
「やあ、お揃いで。どちらへ?」
びくっとして声のする方を見ると、そこには白銀の鎧を身に着けた騎士が腕を組んで立っています。
わたしは息を吞んで、その騎士を凝視しました。
騎士団庁に所属する上級騎士です。総勢五百名。
最上級騎士である
蝋燭の灯りに照らされて、その騎士の顔が少しだけ見えました。
「
ターニャの声が、震えています。
すぐさまフランツとジュストは、剣を抜いて構えました。
「ん? ああ、いかにも。……僕って、結構、有名人なんだねぇ」
そう言うと彼は、冷たい微笑みを浮かべながら、静かに剣を抜きました。
そして、一歩、二歩、三歩……と、こちらへ近づいてきます。
「で、どちらへ?」
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