第6話 芳蓮閣

 ラステルがロックオーガの解体作業を終えると、ボクたちはすぐにマイステルシュタットへ向かった。


 マイステルシュタットの門で入都手続をして、街に入ったのは夕暮れ時だった。


 腕のなかにいるボクを見ながらラステルは、


「今晩から滞在する宿を、探さなければなりませんね」


 と言って溜め息をついた。


「そっか、しばらくこの街に滞在するのよね」


「スピカさん、どこか良い宿ご存知ないですか?」


「……そうねぇ、じゃあ、紹介してあげるわ」


「ほんとですか! 有難うございます。お願いいたします」


 スピカの案内で、マイステルシュタットの繁華街を歩く。

 さすがに王都ほどではないにしろ、人通りが多い。

 どの店もそろそろ閉店時間になるが、あちらこちらで職人や商人たちが握手していたり、立ち話をしている。

 歓楽街へ向かうヒトたちもいるようだ。


 ボクたちは、街に立ち並ぶ店の様子をチラチラ見ながらスピカについて行く。


 しばらく街のなかを歩いたボクたちは、繁華街の一画にある老舗旅館の前に立っていた。


 甘ったる~い香りが、この辺り一帯を覆っている。


(ちょっと。ココ、見習い冒険者風情が利用する宿じゃないよ!)


 芳蓮閣ほうれんかく


 一説には、1000年続くとも言われる高級老舗旅館。

 アルメア初代国王ガイガも、御忍びで度々この旅館を利用したという。


「なんだか、ほんのり爽やかな甘い香りがしますね」


 ネコのボクには、強烈に甘ったるい香りだ。


「うふふ。良いでしょ? あたしもこの香り好きなんだ」


 この香りは、オニバラバスという花のもの。

 直径1メートル前後の大きさで、淡いピンク色をした薔薇のような花を咲かせる水性植物。


 芳蓮閣ほうれんかくの池は、この時期、広い池一面にたくさんのオニバラバスの大輪が浮かぶ。

 マイステルシュタットでも指折りの名所だ。


「こんばんわ。宿泊だけど、空いてる?」


「スピカ様!? しばらくお待ち下さい」


 フロントに立っていた男性は、スピカの姿に驚いたように目を見開いて、奥の部屋へ消えていった。


 しばらくすると、桜色の打掛うちかけを纏った黒髪の女性が足早に現れた。


「これは、これは、スピカ様。ようこそおいでくださいました」


 美人女将が慇懃に挨拶をした。

 そして、ボクの方に視線を移してニコリと微笑んでいる。


「あら、あら。シャノワちゃんも? お久しぶりでこざいます」


 ボクはラステルの腕から飛び降りて、女将の前にちょこんと座った。

 そして、前足をペロペロしてから顔を洗い念入りに毛繕いをしてから、ニィとないた。


(お久しぶりです)


「女将さん。シャノワとこのコが、宿を探していてね。連れて来たの」


 ラステルは一歩前に出ると、胸に手を当てて女将に挨拶した。


「ラステルです。スピカさんのご紹介に与りまして来館いたしました」


「わたくし、芳蓮閣ほうれんかくの女将で、メイリンと申します。本日は、当館にご来館下さり誠に有難うございます」


「早速ですが、空いているお部屋はこざいませんか?」


「そうですねぇ……。この時期は、どのお部屋も空いておりませんの」


 オニバラバスの名所でもあるこの旅館は、花が咲く時期になると宿泊客でいっぱいになる。ちょっと時期が悪かった。


「使用人部屋でも物置小屋でも構いません。お世話になる間、お手伝いもいたします」


 メイリンは、しばらく頬に手を当てて宙を見ていた。そして、ラステルに視線を移すと微笑みを浮かべた。


「それならば、使用人の部屋が空いております。よろしければ、そちらをご利用下さい」


「有難うございます」


「じゃあ、あたしは、ここで。また、明日ね」


 とりあえず滞在する宿が決まったところで、スピカは右手をひらひらと振って去って行った。


「ラステル様は、こちらにご案内致します」


 メイリンに案内されて、部屋へと向かう。

 案内された部屋は、旅館の片隅にある単身用の狭い個室だった。


 部屋へ入ったラステルは荷物を降ろして、ベッドに腰かけた。


「疲れましたね。こんなに早く、ロックオーガに遭遇するとは思いませんでした」


 ボクもベッドにひょいと飛び乗り、ラステルの隣でまあるくなる。


「スピカさんとシャノワさんが、いてくれて命拾いしました」


 ボクをなでなでしながらそう言って、ラステルは悲し気に眉を震わせながら窓の外を見ていた。


「わたしは、また、なにもできませんでした。本当に走って逃げただけ……」


 彼女が肩を落として俯くと、一粒、二粒、と雫の落ちる音がした。


 彼女の頬を伝う涙を、ボクは身体を伸ばして反射的に舐めた。

 舐めてしまった。


「ううっ……、うくっ、うっ」


 ボクをきゅっと抱き締めて、ラステルは嗚咽した。


 窓から外を見れば、日が沈んですっかり暗くなっている。

 池に咲き誇るオニバラバスの花は、ぼんやり発光して芳蓮閣ほうれんかくの庭園に夜の彩りを添えていた。


 🐈🐈🐈🐈🐈


 翌朝、食堂で朝食をとった後、ラステルはメイリンに旅館の雑用をしたいと申し出た。


「では、客室と館内のお掃除をお願いしますね」


 メイリンに仕事を振られたラステルは、客室やロビーなどを手際よく回ってゴミを集めたり、箒やモップで館内中を掃除したり、くるくるとよく働いている。


 ボクはというと、庭園の陽当たりの良い庭石の上で、まあるくなっていた。


 ラステルの仕事が一段落して、昼食をとり終わったころ、スピカがやって来た。


「やっほー。来たよー」


「スピカさん。女将さんですね? いま、お呼びします」


「ちがうわよ。あなたに会いに来たの」


「え? わたし、ですか?」


「そ。剣のお稽古したいから、付き合って。お願い」


 昨日、ロックオーガを討伐した後、ボクがスピカに頼んだコトだった。


「わ、わたしでは、全くお役に立てないと思います」


「そんなコトないわ。女将さーん、ラステル借りていきまーす」


 フロントの奥にある部屋から「どうぞ~」と声がした。


「シャノワ、おいで」


 ボクは、とてとてとスピカに駆け寄った。

 彼女は、ボクを抱っこして歩き出した。


「え? え?」


「さ、いくわよ」


 処理落ちするラステルに構わず、スピカは旅館を出て行く。

 遅れてラステルが、早足で追いかけて来た。

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