第5話 ロックオーガ

 峠を越えると、あとはほぼ下り坂だ。

 このペースなら、日が沈む前にはマイステルシュタットの街へ入るコトができそうだ。


 ラステルとスピカは、時折、一言二言会話を交わす程度で、道中ほとんど無言で歩いている。


 ふいに、ヒゲが、ぴりりっとした。


(……っ! あぁ、来ちゃったか)


 5体の魔物が、こちらに近づいて来るのを感知した。

 このまま歩いて行けば、間違いなく遭遇する。


 脇道に入ってやり過ごしてもいいケド、こんな山のなかで迷うと面倒だよね。


 スピカの剣からも、リリィンと鈴の鳴る音がした。

 神剣はあるじに危険が迫ると、鞘の先についた鈴を鳴らして警告するらしい。


「……ラステル。下がって」


 スピカは、歩みを止めて周囲の気配を探っていた。


「どうしたのですか?」


 ラステルが、不安そうな目でスピカを見ている。


「多分、魔物よ。近くにいるわ」


 スピカがそう言うとボクは、ラステルの腕から飛び降りた。


「あっ、シャノワさんっ!」


「ネコなんて、構ってる場合じゃないわ。来るよ!」


 バキバキバキッ、ザザザザッ。


 斜面の藪を暴力的に掻き分けて、赤黒い巨体が躍り出た。


 ウゴゥルルルルルル……。


 ロックオーガだ。

 硬く赤黒い皮膚に覆われた巨体。

 緑色の双眸が邪悪に光り、尖った犬歯が口から覗いている。

 

 正面に3体、後ろに2体。

 刃こぼれした戦斧や剣を持っている個体もいた。きっと冒険者などから奪ったのだろう。


 対して、こちらは女性ふたり、ネコ1匹。


 どうやら格好の獲物と思われたようだ。

 いずれのロックオーガも口角を上げ、嗜虐的な笑みを浮かべている。ボクの目にはそう映った。


「は、挟まれました!」


(……前方は問題無いとして、後ろだよね。ラステルの方が危ない)


 スピカは、天叢雲あめのむらくもを抜いていた。

 前方のロックオーガに対し半身となり、剣先を下げて構えている。

 金剛石から作られたという透き通った刀身は、その輪郭だけが青白く光っていた。


「ラステル、合図したら前に走ってね」


 目の前に立ちはだかる赤黒い魔物の壁を睨みながら、スピカはラステルに言った。

 正面突破を図るつもりのようだ。


「えっ? でも……」


「走って!」

 

 その合図とともに、ふたりは駆け出した。

 ラステルの前を駆けていくスピカ。その後をラステルは言われた通り、真っ直ぐ前に駆け出した。


 スピカは3体のうち、まず剣を持った中央のロックオーガの首を左薙で跳ねていた。 

 返す刀が、左に立つロックオーガを袈裟斬りにする。


 ラステルが、ロックオーガたちの側を走り抜けて行く。


 スピカは、ひらりと舞うように左回転。戦斧を振りかぶって、襲いかかろうとしていた3体目のロックオーガの首が宙を舞う。


 リィンと鈴の鳴る音がして、ロックオーガの血が雨のように降り注いだ。


 ロックオーガの壁を駆け抜けたラステルが振り返る。彼女の視線の先には、天叢雲あめのむらくもを鞘に収めたスピカが立っていた。


 スピカの前には、首を切り落とされたロックオーガだったモノが2つ。

 そして、肩口から袈裟懸けに斬られ、真っ二つの肉塊となったロックオーガだったモノが転がっている。


「ああん。もう、溜め息出ちゃうわ……」


 スピカはそう言いながら、両腕をすこしだけ広げて血に濡れた地獄変相図じごくへんそうず打掛うちかけを残念そうに眺めている。


 ボクはふたりの動きをチラ見しながら、ロックオーガ2体を威嚇した。身体を弓なりにして全身の毛をぼわっと逆立てる。いわゆる「やんのか! ポーズ」。


「やっ、シャノワさん!」


 ラステルは、ボクが取り残されたと思ったのだろう。

 剣に手をかけて戻ろうとする。

 一歩踏み出したところで、スピカが右腕でそれを制した。


「あなたが行って、どうするのよ? ロックオーガを2体も倒せるの?」


「で、でも、助けないと!」


「大丈夫よ。言ったでしょ?」


「え?」


「あのコが、ケガしたり殺されたりするワケないって」


(えー、助けてくれないの? スピカはともかく、ラステルには見られたくないんだケド……)


 ふたりの会話を聞きながら、ボクは目の前のロックオーガを睨んだ。


 ボクは、一歩二歩、後ろに下がって間合いを取る。

 すこし頭を下げる。


 ロックオーガの1体が、武器を振りかぶって踏み込んできた。


 その踏み込んだ足に向かって、ボクは一直線に飛び込んだ。 

 ボクの右前足の爪が、ロックオーガの膝から下を切り落とす。


 前のめりに倒れてくるロックオーガ。まるで、大きな壁が崩れ落ちるように。


 ボクは、その一瞬を逃さない。ロックオーガの横面へ左前足で突き上げるように「ねこパンチ」を入れた。

 ロックオーガの頭部が弾けて四散する。


 ねこパンチと侮るなかれ。


 最後に残ったロックオーガは、ボクの動きに動揺しているようだった。

 緑色の眼でボクを睨みながら一歩、二歩と後退りして、ついに背中を見せた。

 

(逃がさないよ)


 ボクは、ロックオーガの背に向かって飛び跳ねる。左前足を下から振って左切り上げを放つ。

 赤黒い筋肉質の大きな背中に襲いかかる3つの斬撃。


 鉄をも切り裂く猫爪「アルテマクロウ」。


 ガギャアアア……。


 その断末魔の叫び声とともに、ロックオーガは3個の肉塊となって崩れた。 


 スピカが作ったロックオーガの肉塊をひょいひょいと飛び越えて、ボクはふたりの足元へと駆け寄った。


 振り返って見れば、酷い光景が広がっていた。

 ラステルは呆然として、出来上がった肉塊を眺めている。


「シャノワさんて、つよ可愛いネコだったのですね」


(この惨状を見て、つよ可愛いとか感想を言えるキミも何気にスゴいよ)


「ずいぶん派手に刻んだわね。だけど、アレ、片付けどうすんの?」


 スピカはボクに視線を向けてそう言うと、ひとつ溜め息をついた。


 魔物を討伐した後、死体を放置することは罰則の対象になる。埋設するなど、適切な処理をしなければならない。

 このため魔物の身体をバラバラにしてしまうと、後の処理が面倒になる。

 

(仕方ないじゃん。アルテマクロウの斬撃は3つもあるんだよ)


「魔石を回収したら、とりあえず道端に集めておくしかないわね」


 そう言うとスピカは、肉塊を蹴飛ばして道端に寄せていた。


「わたし、魔石を取り出します」


「お願いね」


 ラステルはナイフを使い、慣れない手つきでロックオーガの魔石を摘出していた。おそらくは、これまで見たこともない魔物だ。冒険者見習のラステルでは、解体に少し時間がかかるだろう。


 ラステルがロックオーガを解体している間、ボクはスピカに抱っこされていた。


「スピカ、お願いがあるんだ」


 ボクは解体作業を眺めながらスピカに話しかけた。


「なに?」


「街に着いたら、ラステルと模擬試合をしてやってほしい」


「あたしが、あのコに剣の指導するの?」


「イヤ、教えなくていいよ」


 スピカに剣の指導はムリだろう。「剣の振り方は、剣が教えてくれるの」とか言いそう。


 それならマシな方で、「こう、ひゅっと踏み込んで、スパッて振るの」とかありそうだ。


 スピカに剣の師匠はいない。

 話しによれば、刃の美しさと切れ味に魅了されて剣を振るようになったのだとか……。

 振っているうちに、いろいろ解ったとも言っていた。


 剣術を修める動機も方法も絶対ダメな方のヤツなので、きっと、教えられる方がついていけない。


 でも、スピカと立ち会ってみれば、ラステルも彼女の実力を知り自分の実力を知るコトができるんじゃないだろうか。

 いまラステルに必要なのは、自分の実力を知るコトだ。

 スピカが相手なら、それがどの程度のモノか確認できるハズだ。


(ボクには、剣の指導なんてできないからね)


「ふぅん? シャノワの頼み事なら、聞いてあげる」


「ありがと」


 ようやく、三つ目の魔石が摘出された。

 解体作業が終わるのは、まだ、時間がかかりそうだ。

 そんなラステルの様子を見ながら、スピカはボクをもふもふして尋ねた。

 

「ねぇ、ラステルって貴族の令嬢なの?」


「さぁ? エイトスなら知っているかもしれないケド、ボクは特に聞いてないね」


 そういえば、素性までは聞いてなかった。

 でも「ラムダンジュ」を宿している時点で、フツウじゃない。


「確か、ヴィラ・ドスト王国の伯爵令嬢に同じ名前の娘がいたわ」


 ………。

 

 スピカは、鑑定スキルを持っていない。

 けれども、彼女の情報網は侮れない。

 職業柄、様々な情報が手に入るからだ。

 

(スピカなら、やっぱりそこに辿り着くよね)


 けれども、おそらく彼女が得た情報だけでは確証には至らないだろう。


 ヴィラ・ドスト王国、ラムダンジュ、ラステル、伯爵令嬢……。


 鑑定スキルで彼女の能力を診たボクには、思い当たる情報があった。


 ――クィンの末裔。

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