第4話 遊女スピカ
王都を出てから2日目。
旅は順調。
今日もボクたちは、ウォルバンズ街道を西へ歩いて行く。
目の前に聳えるあの山を越えたら、マイステルシュタットはもうすぐそこだ。
道中、トラブルもなく進むことができた。
この調子なら、今日中にマイステルシュタットへ到着できるだろう。
(……ただ、あの山越えが、最初の難関だよね)
あの山には、最近、ロックオーガが出没すると聞いている。
ロックオーガはオーガの派生種で、その名のとおり岩のように固い表皮を持つ。
討伐ランクはBだが、A級の冒険者でも手こずる魔物だ。
この地域のロックオーガの討伐依頼を、王都の冒険者ギルドで請け負っているところはなかったと思う。ギルド9625にも、そのような依頼は届いていない。
マイステルシュタットの冒険者ギルドなら、討伐依頼があるかもしれない。
(まぁ、最終選考の討伐対象ではないし、見たら逃げてもいいか。いずれにしても、日が沈む前には街に入りたいよね)
ボクは、念のため索敵スキルを発動した。
「あの山を越えたら、職人の街マイステルシュタットですね。以前、立ち寄ったことがありますが、素敵な街でした。楽しみです」
ラステルはボクの方を見ながら、そう言って微笑んだ。
まだ日は高いが、街道の山道にヒトの姿はない。
道の両側には背の高い樹木が繁っていて、昼間でも薄暗い場所もあった。
道には落ち葉が降り積もっている。
雨が降ると滑りそうだ。
ラステルはボクを抱っこしたまま、うねうねと曲がりくねった山道を歩いて行く。
(ん?)
ヒゲが、ぴりりっとした。
ボクの索敵スキルは、魔物やニンゲンを感知するとヒゲがぴりりっとする。
(ニンゲンが近くにいるね。ひとり?)
この街道へ向けて移動している。
動きは、かなり早い。
隠密スキルを使っているのか、すこし判りづらい。
ラステルの腕のなかで、そのニンゲンの動きをロストしないように注意深く探っていた。
するとすこし先で、脇道から紅色の
(あれ? あのコは……)
少女はボクたちに気がついたのか、立ち止まってこちらをじっと見ている。
心臓がトクンと跳ねて、ラステルが警戒したのが判った。
歩幅が、小さくなっていく。
彼女はボクを下ろして、その手を空けた。
すぐに剣を抜くコトができるように。
待ちきれなくなったのか、少女はこちらに向かって歩き出した。
ひゅっと息を呑んで歩みを止め、すこし斜めに構えるラステル。
「そこで、止まって下さい。わたしに、どんなご用ですか?」
少女はラステルの言葉に構うコトなく、さらに距離を縮めてから立ち止まる。
そして、首をこてりと傾けて、ラステルに微笑みを向けた。
(あぁ。いつ会っても、ぞっとするコだ)
少女は、ラステルの間合いにギリギリ入らないところで、ぴたりと立ち止まっている。
アップに纏められた艶やかな黒髪は、上質の絹糸のよう。
アメジストのような瞳が、真っ直ぐボクたちに向けられている。
鮮やかな紅を引いた小さなぽてりとした唇が愛らしい。
透き通るような肌が、小さな紅い唇を引き立たせていた。
白い絹の肌着の上に纏った紅色の打掛には、
腰には、すこし上に反り返った剣を佩いていた。
その漆黒の鞘の先についた小さな鈴が、ちろちろと音を立てずに揺れ、うろんな輝きだけを放っている。
「山賊さんですか?」
そうラステルが言うと、ぱちぱちと瞬きする少女。
そして、少女はボクの方へと視線を落とした。
「そのコ、あなたのネコ?」
ラステルは警戒を緩めず、ボクをチラ見して、
「借りたネコです」
と、答えていた。
(なに、ソレ?)
放っておくと、謎の展開についていけなくなりそうだ。
しっぽをぴんと立てながら少女の方へとてとて歩いて、ボクは彼女の前でちょこんと座った。
「シャノワさん?」
ラステルは、目をまるくしている。
「いま、シャノワって言った? やっぱり、シャノワなのね!」
少女は、嬉しそうにボクを抱き上げてスリスリした。
「元気だった? スピカ」
スピカの耳元で、ボクはラステルに聞こえないように小声で囁いた。
「う~ん、シャノワ~。会いたかったよぅ」
スピカは、ボクをきゅっと抱きしめて、そう言った。
この少女の名は、スピカ。
神剣「
「あ、あの……」
ネコと遊女の突然の再会という展開についていけず、ラステルは完全に置いていかれた。
「あたしは、スピカっていうの。あなたは?」
「ラステルです」
「ラステル? ……どこかで聞いたことがあるような。なんだっけ?」
スピカは、なにかを思い出せそうで思い出せないような顔でラステルを見ている。
「………」
ラステルは、そっと視線を伏せた。
「まぁ、いいわ。ところで、あなた、エイトスのトコの冒険者なの?」
「い、いえ。まだ仮登録です」
「ふーん。シャノワを連れて行くってことは、討伐課題かな?」
ボクの首筋をなでながら、スピカはラステルにそう尋ねた。
「はい。よくご存知なのですね」
「うふふ。『黒猫』とは、ちよっと付き合いがあるのよ」
🐈🐈🐈🐈🐈
ふたりはおしゃべりしながら、マイステルシュタットへ向けて山道の街道を歩いている。
冒険者ギルドの最終選考が、主な話題だった。
ラステルは討伐課題でボクを連れて行くコトに、どうしても納得できないようだ。
「シャノワさんは、ギルド9625のマスコット兼癒し担当ですよ? なぜ、危険な討伐に連れていくのが条件なのか解らなくて。魔物に襲われて、ケガをしたり死んでしまったら可哀想です」
腕のなかにいるボクを見て、ラステルはそう言った。
「ぷっ、あははははは」
「なにが、可笑しいのですか? 魔物討伐は、とても危険なんですよ」
「え~、だって、シャノワが魔物に襲われてケガ? 死ぬ? ないない」
スピカは笑いながら、右手を左右にひらひらと振った。
……こんな可愛らしいネコに、それはないでしょって言いたい。けれども、悲しいコトに否定できない。
「……マスター・エイトスも、スピカさんと同じ事を言ってました」
「そっかぁ。まぁ、最終選考でシャノワを連れて行くのは、それだけ見込みのある資格者ってことみたいよ」
(うん、そうなんだよね。でもエイトスが、なぜ彼女を選んで、この課題を与えたのかはボクにも分からない)
「ところで、スピカさんは、この山で一体なにをされていたのですか?」
「ん? 調査を兼ねた散歩みたいなものよ。あそこの脇道から登っていったところに、温泉が湧いているの。よく来るの」
「この山は、最近、ロックオーガが出るそうですよ。女性ひとりで、山のなかを歩き回るのは危険です」
(ほぅ、ほぅ、感心、感心。ちゃんと情報を集めていたんだね)
「あなただって、ひとりじゃない」
「わたしは、あなたのように山のなかに分け入ったりたりはしません。この街道を進むだけです」
「それでも、ロックオーガに出会ったらどうするのよ?」
「そのときは、逃げます。わたしの力では、ロックオーガには敵いません」
(清々しいほどに、言い切ったね。でも、悪くない判断だ)
するとスピカは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ラステルに問いかけた。
「じゃあ、シャノワがロックオーガに捕まっちゃいました! さぁ、どうする?」
(うん、うん。ボクがロックオーガみたいなノロマな魔物に捕まるワケないケド、良い問題だね。①戦って取り返す。②見捨てて逃げる。さぁ、どうする?)
「えっ? ……そ、そのときは、戦って取り返しますっ!」
ラステルは俯き加減になりながらも、やや強い口調でそう答えた。
(……自分の力では敵わない、って言ってたよね。戦ってどうすんのさ)
ネコなんて、荷物と一緒だ。
置いて逃げるのが正解だろう。
冒険者は、生きて帰るコトが第一条件。
これより優先されるものはない。
依頼達成にこだわって、命を落としてはならない。
パーティーで仕事をする場合、お互いに補いあったり助け合うのは当たり前だ。
そのためにパーティーを組むのだから。
ただし、魔物に仲間が捕まり殺されそうなとき、無理に助け出そうとするのはダメだ。
目の前で魔物に貪り喰われそうになっている仲間を、助け出したい気持ちは理解できる。
だが、無理をして殺されてしまったら、魔物に人肉の味を覚えさせているのと同じだ。
とりわけ、パーティの全滅だけは避けなければならない。
パーティーが全滅してしまうと、被害拡大の危険が生じるからだ。
ひとりでも生きて帰れば、様々な情報を他の冒険者に伝えるコトもできる。
それを基にして対策を立てるコトもできる。
スピカは微笑みを浮かべながら、ラステルの耳元で囁いた。
「ダメよ。ネコなんて見捨てて逃げるのよ」
ラステルは肩をびくっとさせて、スピカを見た。その表情は悲し気な、どこか不安気なものだった。
そして、ボクをきゅうっと抱きしめて言った。
「で、でもっ、そんなことできません」
「どうして?」
「だって、可哀想じゃないですか! それでギルドに採用されても、わたしの居場所がありません」
ボクが魔物に襲われて死んでしまっても失格にはしないと、エイトスはラステルに説明した。
ロックオーガは討伐対象ではないのだから、逃げても構わない。
討伐対象の魔石を持ち帰れば、採用決定だ。
だが、同時にイヤラシイ呪詛もかけていた。
――あなただけ無事に戻ったとしても、その後、このギルドにあなたの居場所は無いでしょうね。
じつは、これも最終選考の課題のうちだ。
エイトスは、あえてこのようなコトを言ってラステルを試している。
必要なのは、ギルドにおける自分の居場所ではなく「生還する」コト。
けれども、エイトスの言葉は彼女のココロに重くのしかかっているようだ。
(……力も経験もココロも甘いか。採用後の指導が大変だね)
いまのラステルは、当然と言えば当然だが、力も経験も足りない。
それは、ここまでのスピカとの会話からも窺うコトができる。
たぶん彼女は、スピカの実力を見誤っている。
スピカの派手な外見にとらわれて、本質が見えていない。
「居場所? ギルドに? それ、要る?」
とうとう、ラステルは押し黙ってしまった。
すこし俯いて、切なそうな表情で歩いていた。
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