第26話 フィールドサイン

(くぅー、今日もいい天気だね ♪)


 討伐課題のために蒼の森へ入って、3日目の朝が来た。


 目が覚めるとラステルは、ごそごそと準備していた。

 今日、持っていくモノを点検しているようだ。


 そのなかに、気になるモノがあった。


 くくり罠に使うワイヤーだ。


 指でなぞる様にして、念入りに状態を確認している。


 どうやら、くくり罠を持って行くようだ。


(……くくり罠? アルメアボアには、無意味だよね。罠にかかっても、ワイヤーなんて引き千切られちゃうよ。どうするんだろう?)


 ボクたちは朝食をとった後、ふたたび水晶池へと向かう。

 今回は、ボクとラステルに加えてスピカも一緒だ。


 昨日はできなかったアルメアボアの出現ポイントを探る必要がある。


 ラステルのトラウマも心配だ。

 場合によっては、水晶池とは異なる場所での討伐を検討する必要があるかもしれない。


(スピカもいるし、さすがに昨日みたいなコトにはならないよね)


 🐈🐈🐈🐈🐈


 今日も水晶池は、昨日と変わらず青く澄んだ水をたたえている。

 その水面には、緑の樹々の姿がはっきりと映し出されていた。


 近くにゴブリンやオーガなどの危険な魔物がいる気配は、いまのところない。

 スライムが、ぽよぽよしている程度だ。


 まず、ボクたちは昨日ゴブリンたちを討伐した場所へ向かう。

 ゴブリンたちの死体を埋設するためだ。


 ところが、その場所に着いてみると、ゴブリンやオーガの死体は綺麗さっぱり消え失せていた。

 周りに多くのスライムがぽよぽよしていたところを見ると、一晩のうちに全て彼らの餌となってしまったようだ。


(手間が省けて助かるね ♪)


 ただ、やはりというか、ラステルの顔色が良くない。

 水晶池のほとりを歩いていると、彼女の身体が震え始めた。


 昨日と同じ症状だ。


ボクは、ラステルの隣にちょこんと座って毛繕いをしてから、彼女の様子を見ていた。


スピカが、体を震わせているラステルの手を握る。

そして、真っ直ぐラステルの目を見ながら言った。


「ラステル。あたしだって魔物は怖いよ。あなただけじゃないわ。誰だって同じよ」


「スピカ……」


 魔物を恐れない冒険者は、いずれ命を落とす。

 良い冒険者ほど、魔物を恐れている。その危険をよく知っているからだ。

だからこそ、万全の準備を整えたうえで魔物の討伐に取りかかる。

 冒険者は、勇者でも戦士でもない。

 勇敢である必要はない。


「どんな魔物でも危険だし、それを恐れることは決して間違いじゃないわ。だから、『冒険者教本』には、自分の手に負えない魔物に遭遇したら、生還することだけを考えろと書かれているの。勉強したでしょ?」


「はい」


(そう。冒険者は生還するコトが、なによりも優先されるからね)


 依頼された仕事を、なにがなんでも達成するコトは美徳じゃない。

 自分の手に負えない魔物に、立ち向かってはならない。

 自分の手に負えない魔物を討伐する依頼など受けてはならない。


「命の危険を感じたら逃げていいの。その心に反して立ち向かおうとすれば、身体が動かなくなる。それから誤解しているようだけど、逃げたからって弱いコトにはならないのよ」


「えっ!?」


「あなたがこれからしようとしているのは、純粋に命の取り合いよ。お貴族様たちが誇りをかけてする試合とは違うわ。命の取り合いは、人間を相手にするときでも魔物を相手にするときでも、やることは変わらない。相手の命を奪えば勝ち、自分の命を奪われたら負け。弱い方が負ける。けれど、逃げて生き延びたなら負けにはならない」


 これは、スピカ独特の「哲学」だ。

 彼女は、自分から命を賭けた勝負を持ちかけるコトはしない。


 ただ、その事態になれば、対人戦でも対魔物戦でも、とにかく「勝つ」コトだけを考える。

 そのため、正々堂々とか騎士道精神なんてモノとは無縁の戦い方をする。

 場合によっては、暗器を使用したり石や砂だって投げつける。

 一対一の勝負などにこだわらないし、負けそうなら全力で逃げる。


 いつだったか、相手が命の取り合いなんて不道徳なコトをしかけてくるのに、そこに道徳的価値観を持ち込むのは滑稽だと言っていた。


(まぁ、スピカがそこまでしなければならない相手なんて、ほとんどいないんじゃないかな。だいいち、彼女に命の取り合いを挑むとか、アホのするコトだからね。ボクだって、相手にしたくないもん)


 もっとも、元貴族だったラステルからすれば意外な価値観なのかもしれない。

 スピカの言葉を聞いたラステルは、すこし驚いたような表情をしていた。


「大切なのは、いまの自分を全て相手にぶつけること。それが相手に通用しないなら、全力で逃げていいの」


「わたしの全てをぶつける……」


 自分の全てをぶつけても敵わない相手に対し、なおも立ち向かうのは、なにもかもがムダだ。

 さっさと退散して、立て直すのが合理的だろう。

 逆に、自分の全てをぶつける前に敗れるような事態は絶対に避けるべきだ。

 むしろ、相手が全力を出す前に自分の勝ちを確定させるべきだろう。


「この日のために、準備してきたのでしょう? あたしは知ってるよ。あなたは強い。決して弱い人じゃないから」


「スピカ……、ありがとうございます」


 魔物を恐れるのは、正しいコト。

 敵わないなら、逃げていいコト。


 そう言われたラステルの表情は、すこしだけ緩んだように見える。

 身体の震えも治まっているようだ。


 それから、ふたりは手をつないで池のほとりを探索を開始した。

 樹々の間、茂みのなかを覗き込んだりして、アルメアボアが残したフィールドサインを探している。

 フィールドサインというのは、獣や魔獣が残す獣道けものみち、ぬた場、足跡、掘り返した跡、樹木へのこすり跡などの痕跡のコトだ。


「スピカ。見て……」


 しばらく池のほとりをうろうろしていると、なにか大きな獣か魔獣が通ったような獣道けものみちを発見した。

 獣道けものみちは、森の奥へと伸びている。


 アルメアボアのような魔獣は、だいたい同じルートを通って水晶池へとやって来る。

 そのため彼らが通るルートは、草がげて地面が窪み土がき出しになっていた。


 スピカは、ラステルに顔を向けて頷く。


「この獣道けものみちを、辿ってみましょう」


 ラステルは森の奥を見つめながらそう言うと、スピカの手を引いて森のなかへと歩き出した。


 獣道けものみちを辿りながら、慎重に薄暗い森のなかを進んで行く。

 すると、すこし先の方に大きい水たまりが見えてきた。


 近づいてみると、水たまりの周りに大きな偶蹄目ぐうていもくの獣か魔獣の足跡があちらこちらについている。

 さらに水たまりとなっている場所をよく見ると、なにかで掘り返されたようにぐちゃぐちゃになっていた。


「この水たまり……。これって……」


 スピカはしゃがんで、水たまりとその周りについている足跡を見ている。

 その隣でラステルは、スピカと足跡を交互に見ていた。


 やがて、スピカは水たまりの方に視線を向けて、すこしだけ口角を上げて言った。


「……水たまりや足跡の大きさからすると、アルメアボアの『ぬた場』みたいね」


「やはり、そうですか」


 「ぬた場」というのは、イノシシや鹿、アルメアボアその他の魔獣が泥を浴びる場所のコトだ。身体に付いたダニなどの寄生虫を除去したり、身体を冷やすためだといわれている。

 こうした場所では、獣や魔獣に遭遇しやすい。

 絶好のポイントだ。


 周りを見渡すと、身を隠すのにちょうどよい大樹が2、3本立っている。

 木の陰に隠れて、地上から狙うのも悪くない。

 けれども、この森にはゴブリンやオーガなどの他の魔物だっている。木の上から狙う方が、いいかもしれない。


(……問題は、アルメアボアがいつ姿を見せるかだよね。ラステルは、どうするのかな?)


 すぐに、アルメアボアが姿を現してくれるなら問題ない。けれども、そんなに都合良く出て来てはくれないだろう。


 それまで、気長に待つほかなさそうだ。

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