第25話 一緒にいるから
スピカの口から出た思いがけない言葉。ラステルとボクは、目を大きく見開いてスピカを凝視した。
けれどもボクは、すぐにぴんときて冷静になる。
ラステルは、手に持っていたフォークをカランと落としていた。
かなり動揺している様子だ。
「あ、そうそう。わたし、水を汲みに行って来ますね」
そして彼女は革袋を持って立ち上がり、沢の方へと駆けて行った。
その後ろ姿をスピカは目で追っている。
「スピカ。キミの距離感、ヘンだよ」
ボクは、後ろ足で首のあたりをかりかりと搔きながらそう言った。
スピカは、こちらに顔を向けて首をこてりと傾けている。
「さっきのアノ言葉だよ。アレだと、たぶん『愛の告白』に聞こえるよ」
「うえっ!? で、でも、あたしラステルが心配で……。お友だちのコト心配するのは、当たり前でしょ? それに昨日、ティカレストさまも言ってたわ。『友というのは、傍にいるだけで心強い存在だ』って。だから……」
(……まぁ、そんなコトだろうと思ったよ)
スピカは、物心ついた時から花街でオトナに囲まれて育った。
そのためか、彼女には同年代の「トモダチ」が全くと言っていいほどいない。
いまでも関わり合うほとんどのニンゲンが、客、仕事仲間、そして「配下」だ。
ニンゲンの男性に近づく術は、職業柄よく知っている。
けれども「トモダチ」のいない彼女には、「トモダチの距離感」というものが解らないらしい。
そういうワケで、ラステルを酷く動揺させたアノ言葉が飛び出した。
「で、ラステルの傍にいてあげたいと。それだけなら、いいケドね。キミの方から、アルメアボア討伐の協力を申し出るのはダメだよ」
「どうして!?」
どうやら、図星だったようだ。
ラステルひとりでアルメアボアの討伐なんて、無茶な課題だと考えたのだろう。
この3か月、スピカは、ほぼ毎日ボクたちに顔を見せていた。
それは、ラステルからアルメアボア討伐の「協力依頼」があるかもしれないから。
「協力依頼」があれば、喜んでその申し出を受けるつもりだった。
「トモダチ」だから。
けれども、ラステルはスピカに「協力依頼」をしなかった。
「自分の力では手に負えない『討伐依頼』を受けたときにどう対応するのかも、エイトスが出した課題のうちなんだよ」
「そ、そんな……」
スピカはすこし涙ぐんで、しゅんと俯いてしまった。
アメジストのような瞳が、不安に揺れている。
「まぁ、ラステルに命の危険が迫ったときなら、助けに入ってもいいよ」
「命の危険? シャノワがいるのに?」
「それがね……」
ボクは、今日まさに命の危険があったコト、そして水晶池でラステルに起きたコト、をスピカにかいつまんで話した。
「……あなた、それ、よく生きていられたわね」
スピカが、信じられないといった表情でボクを見ている。
彼女もボクがオーガやゴブリンに不覚をとるなど、夢にも思わなかっただろう。
(ボクも、あらためて思い出すと身震いがするよ)
スピカはボクに腕を伸ばして抱っこすると、きゅうっと抱きしめてくれた。
そして、ボクの頭と首筋をなでなでしてくれた。
「それでね、スピカ。ラステルが戻って来たら、彼女に水晶池で起きたコトを聞き出して欲しいんだ。場合によっては、水晶池とはべつのポイントでアルメアボアを狙うコトも考えた方がいいからね」
「いいよ」
ぱちぱちと、焚き木が爆ぜる。
ボクをもふもふしながら、スピカは焚火から上がるオレンジ色の炎をじっと見つめていた。
「お、お待たせしました」
沢から水を汲んで戻ったラステルは、まだ動揺しているようだ。
胸に手をあてて深呼吸をすると、彼女は意を決した顔つきでスピカの隣に腰掛けた。
「「えっと……」」
ふたりの声が重なる。
ふたりのあいだに、逡巡の「間」が訪れてしまった。
「………」
「………」
ふたりは俯いている。
お互いに相手が話を切り出すのを待っている。
この妙な「間」を断ち切ったのは、意外にもラステルの方だった。
気持ちを落ち着けようとしたのか、すーはーすーはーと深呼吸してから切り出した。
「わっ、わたし、スピカとはお友だちのつもりですっ!」
「ありがとう。うれしい……」
スピカは、目をうるうるさせて微笑んでいる。
「お友だち」という響に感激した様子だ。
「けれども、そのっ、あのっ……れれれ恋愛感情までは、ちょっと……分からないというか、もう少しお付き合いしてから……」
(……ほほう。もうすこしお付き合いすれば、恋愛感情が芽生えるかもしれないと?)
スピカは首をこてりと傾けて、目をぱちぱちさせながらラステルを見ている。
どうやら、沢へ水を汲みにいっている間、ラステルなりに心の整理をしたつもりらしい。
けれどもザンネンなコトに、その心の整理の仕方は間違っている。
たぶん、そのような関係になるコトまでは、スピカだって期待していない……ハズだ。
「うふふ。そういうのも素敵ね。大好きだよ、ラステル」
てし、てしっ!
たまらずボクは、前足の肉球でスピカの頬を軽く叩いた。
「っ!? な、なによ、シャノワ」
(お願いだから、これ以上話をややこしくしないでっ!)
両膝を抱えて座っているラステルは、耳まで真っ赤にして俯いている。
そんなラステルの方へ、にじり寄っていくスピカ。
ぴたりとスピカが身体をくっつけると、ラステルの肩がびくっとした。
「ね。今日の魔物討伐のお話を聞かせて」
スピカは、ラステルの方を見ながらそう言って微笑んだ。
ラステルは両膝を抱えて俯いたまま、しばらく視線を
「今日は、……ホーンラビットを討伐しました。その後、水晶池へいって……、アルメアボアが出現しそうなポイントを探索しようと思ったのですが……」
「どうだったの?」
ラステルは、目を固く閉じた。
すこし震えているようにも見える。
「わたし、水晶池には怖い思い出があって……」
「怖い思い出? 水晶池に来たことがあったの?」
(怖い思い出……。それが、トラウマの原因みたいだね。それにしても、水晶池に来たコトがあったのか……)
「っ! え、ええ。昔、ちょっと……」
「商人でも冒険者でもないのに、水晶池にどうして立ち寄ったの?」
はっと目を開いて、ラステルは動揺の表情を見せた。
水晶池に立ち寄ったりするのは、通常、冒険者か商人だ。
一般人が立ち寄るコトは、ほとんどない。
危険が多い場所だからだ。
「そ、それは……、えっと……」
「………もしかして、聞かない方が良かった?」
ラステルは、しどろもどろになっている。
彼女の素性、トラウマの原因に関係する、かなり重要な情報だろうと思う。
王都で暮らしているラステルが、マイステルシュタットよりも西方にある水晶池に立ち寄るなどあまり考えられない。
ウォルバンズ街道を通行するような事情があったというコトだ。
ただ、彼女がそれを話すかどうか……。
ラステルは、ふたたび目を閉じて黙り込んでいた。
夜になり、周りも静まり返っている。
時折、ぱちぱちと薪の爆ぜる音がするだけだ。
しばらくして、ラステルはおもむろに目を開くと、スピカの方に顔を向けて言った。
「……スピカ。これからする話は、絶対に口外しないって約束してくれますか?」
「うん。約束する」
スピカが頷いて返事をすると、ラステルは焚火を見つめながら、ややゆっくりとした口調で話し始めた。
「わたしは、もともとアルメアの人間ではないんです。異国の貴族の娘でした。訳あって、祖国にいることができなくなり、アルメア王国へ亡命して来たのです。その道中で立ち寄ったのが水晶池でした……」
(他国の貴族で、亡命ね……。さすがに、スピカにも話せないみたいだね)
やはりというか、慎重に言葉を選びながら肝心な情報を伏せて話している。
(……王都に帰ったら、確認する必要がありそうだね)
そして、水晶池での恐怖体験を語り始めたラステル。
アルメアへ向かう途中で水晶池に立ち寄った。
そのさい、運悪くホブゴブリンとゴブリンに襲われたという。
「必死に戦ったけれど、わたし弱くて……。ホブゴブリン達に嬲り殺されそうなところを、剣聖アリス様が助けて下さったの」
(ん? いま、アリスって言った?)
アルメアの「剣聖」アリス。
アルメア王国の男爵令嬢にして冒険者。
スピカが剣の天才なら、アリスは剣に愛されし者。
神剣「
(……ラステルは、水晶池でアリスに出会っていたのか)
そのコトがあって以来、ラステルはアリスに憧れた。
守られて逃げるだけの自分とは決別したかった。
アリスのように強くなりたいとの願いから、冒険者になろうと決めた。
所属希望のひとつにギルド9625を選んだのも、アリスがいたから。
そのために法令などの座学を勉強し、ひとりで王都近くの森へ狩りに出たりして冒険者資格試験に備えたのだという。
そして、ギルド9625の最終課題。
ボクに出会い、スピカに出会い、強くなりたいという思いを深くした。
ひとつでも自分にできるコトを増やそうとクロスボウの訓練をし、すこしでも強くなろうと、毎日、道場で剣の稽古に励んだ。
けれども、今日、水晶池でホブゴブリン達に襲われたときのコトを思い出してしまった。
「あのときホブゴブリン達に襲われた場所が水晶池だったと知って、身体が動かなくなって……、そのせいで、わたしが弱いせいで、シャノワさんまで危険な目に……」
「ラステル……」
ラステルが、涙を流しながら嗚咽交じりに語った水晶池での体験。
初めて見た魔物たちに襲われ、殺されかけた恐怖。
無力だった自分。
彼女は、その日以来、きっと自分を責め続けてきた。
弱い自分を嫌悪すらしてきたかもしれない。
それなのに繰り返してしまった。ボクを危険な目に遭わせたと、彼女は自分を責めていた。
スピカは、ラステルの背中から腕を回して彼女の肩を抱いた。
「怖かったね。でも、もう、そのときのあなたじゃないよ」
「そうでしょうか?」
微笑みを浮かべながら頷いたスピカは、ポケットからハンカチを取り出す。
そして、ラステルの頬を伝う涙を拭いながら囁いた。
「あたしも一緒にいるから。大丈夫よ。明日は、きっと上手くいく」
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