第29話 嬉し涙と悔し涙

 アルメアボアが事切れると水球も消えて、後には巨大な肉の塊が横たわっていた。


 ラステルは八寸剣鉈はっすんけんなたを抜いて、解体作業に取りかかる。

 それにしても、この巨躯だ。

 繁殖期でなければ、解体に時間がかかるコトだろう。


 けれども、この時期のオスの個体は、商品価値が大幅に下落する。

 まず、肉が臭みを帯びてとても食用に向かない。

 毛皮も背中の方が硬くなっているため、衣料品にはとても使えない。

 商品価値があるのは、魔石と牙くらいだ。


(残念だケド、ほとんど埋設処理するしかないね)


 ラステルは魔石を摘出し牙を採取した後、アルメアボアを埋設処理していた。

 埋設するにも巨大な穴が必要になるので、そのぶん魔力も多く消費する。


「ふぅ。終わりました。これだけ大きいと、大変ですね」


 魔石と牙を革袋に入れながら、ラステルは額に浮かんだ汗を拭った。

 その様子を見ていたスピカは、ボクを抱っこしてラステルに声をかけた。


「お疲れ様。今日は拠点で過ごして、明日、街に戻ろうよ」


「そうですね」


 ラステルがアルメアボアの埋設処理を終えて、ボクたちは拠点へと向かう。


 水晶池の畔に差しかかると、ラステルの顔色はやや悪くなった。けれども、足取りはしっかりしていた。

 あのときのように途中で立ち止まったり、座り込んでしまうようなコトはなかった。


 さすがに、この短期間でトラウマ克服とまではいかないだろう。

 けれども、スピカが一緒にいたコト、最終課題を達成したコト、が彼女に安心感や自信を与えたのかもしれない。


 拠点までの道中、ラステルとスピカは慎重に周囲の状況を確認しながら、時々、笑顔で会話もしていた。

 ふたりとも3日も樹の上に潜んでいたとは思えないほど、綺麗な笑顔を見せている。


 なんていうか、ひと仕事終えた後に見る森の景色は、3日前に通ったときとは随分違って見えた。


 森のなかを涼しい風がそよそよ吹いて、樹々の葉をさらさらと鳴らしている。

 ふたりの明るい声にまぎれて、枯れ枝や落ち葉を踏みしめる音がする。

 時折、樹々の枝の間から金色の陽の光が降ってきて、その度に思わずボクは目を閉じた。


 倒木を包み込む緑色のふかふかした苔。

 来るときは、もっさりどんよりと見えたのに、いまはあそこにダイブして寝転びたい。

 ボクは、とてとて歩きながら、上に下に左に右に顔を向けて周りの景色を楽しんでいた。


 ついでに、夕飯になりそうな獲物も探す。

 野草や木の実などは採取できたものの、メインになるような獲物は見かけなかった。


 拠点に戻ったふたりは、仲良く夕飯の支度にとりかかる。

 沢で水を汲んで、薪になる枯れ枝などを拾い、そしてメインとなる食料の調達のために森のなかをうろうろした。


 残念ながら、討伐課題達成の喜びを分かち合うのに相応しい獲物はここでも見つからなかった。


 討伐したアルメアボアがメスの個体なら、今夜の夕飯はごちそうだったハズだ。

 ……つくづく、オスの個体だったコトが悔やまれる。


 結局、ボクたちは「干し肉と野草のスープ」で、ささやかながらラステルの討伐課題達成を祝うことにした。


「お疲れさま、ラステル。討伐課題達成おめでとう!」


 ニィ!


「ありがとうございます。スピカ。それから、シャノワさんも……、あれ? やだ……」


 ラステルの目から、ほろっと一粒涙が落ちた。


 うれし涙、悔し涙は、成長のための調味料。

 この「調味料」があれば、地道な努力を続けて成長できる。


「あんなに頑張っていたもの。ラステルのこと応援してたから、あたしも嬉しいよ。良かったぁ、……ホントに良かった」


 スピカはラステルに抱きついて、まるで自分のコトのように喜んだ。


 ラステルがアルメアボアを討伐出るかどうか、気が気でなかったのだろう。

 彼女がアルメアボアと戦っている間も、スピカはボクと樹の上に潜みながらいつでも飛び出せるよう構えていたほどだ。



 夕食が終わると、ふたりはおしゃべりしていた。

 ボクは耳をぴこぴこさせながら、まあるくなって考え事をしていた。


(ボクも決断しないといけないね。王都に戻ったらエイトスと話して……、アリスも王都にいるといいのだケド……。それからラステルにも、いくつか確認しなきゃ)


 王都に戻った翌日には、ラステルに採否結果を伝えるべきだろう。

 明日、マイステルシュタットに戻りその翌日に王都へ向かうとすると、あと5日ほど時間がある。


(……さて、どうしようかな?)


 やがて、ふたりは「もう寝ようか」「そうですね」と言って立ち上がった。

 ラステルがボクを抱っこすると、ふたりは並んで小屋の方へと歩き出す。


 小屋のなかに入ると、ラステルはボクを降ろして土属性魔法で入り口を閉じた。


「おやすみ。ラステル」


「おやすみなさい。スピカ」


 そして、ふたりはボクを挟んで毛布にくるまった。



 🐈🐈🐈🐈🐈


 朝、目が覚めてから、いそいそと後片付けをして、ボクたちはマイステルシュタットへと向かった。


 森を出て道中休憩を挟みながら街道を半日ほど歩き、マイシュテルシュタットの街に到着する。


 ボクたちは芳蓮閣ほうれんかくへ戻る前に、まず冒険者ギルド「蝋の翼」のマスター・ディエゴに会い討伐課題達成を報告した。

 

 そのときのディエゴの顔を、ボクは忘れるコトができない。


 彼は、狙撃手のような鋭い目つきの双眸をくわっと見開いて、


「おお! まだ見習いなのに、アルメアボアを討伐したのかい!? 凄いね、ヤバいね、ウチに所属しない?」


 などと、勧誘していた。

 ギルド9625を不採用になった後ならともかく、最終選考中の見習い冒険者を引き抜くのはご法度だ。


 ……隣にいた受付担当のベティにド突かれていた。




 マスター・ディエゴから報告書の作成方法を教えてもらい、その後、烈流道場へ向かう。


 烈流道場にも、随分お世話になった。


「ラステルさん!」


 道場に着くと門弟であるジェイクが、ラステルの姿を見るなり駆け寄って来た。

 その後から、師範のゲンツがどすどすと足音を立ててジェイクの背後に立つ。

 門弟たちも、わらわらと集まって来た。


「……やったのか?」


 ゲンツはごくりとひとつ唾を飲み込んで、腕組みしながらラステルの答えを待っている。


「はい。こちらでは大変お世話になりました。おかげさまで、討伐課題を達成できました」


 すると、ゲンツの背後にいた門弟たちがワッと歓声を上げた。

 そして、門弟たちは師範のゲンツをぶっ飛ばしてラステルに駆け寄り、


「おめでとうございます!」


「「おめでとう! ラステルさん」」


「「「「いやったぁ‼」」」


「「「「おおおおおおお!」」」」


 と口々に、ラステルの課題達成を喜んだ。


 ボクはちょこんと座り、しっぽをふりふりしながらその様子を眺めていた。




 烈流道場へ立ち寄った後、ボクたちは芳蓮閣へ戻った。


「お戻りになられて、安堵いたしました。お疲れ様でした」


 わざわざメイリンが出てきて、ラステルを出迎えてくれた。


「おかげさまで、無事戻ることができました。それから、出発の日に下さったお弁当、とても美味しかったです。ありがとうございました」


 ラステルは胸に手をあてて、メイリンにお礼を言った。

 そして、明日、王都へ戻る旨をメイリンに告げる。


 するとメイリンは、頬に手をあてながらとても残念そうな表情を見せた。


「そうですか……。あわよくば、ウチで働いてくれないかと思っておりましたのに……」


(……人気者だね)


「じゃあ、あたしはここで。また明日ね」


 そう言うと、スピカは右手をひらひら振って、くるりと玄関口へと歩き出した。


「スピカ。ありがとう」


 ラステルが、背中を見せて芳蓮閣ほうれんかくの玄関口へと向かうスピカに声をかける。

 芳蓮閣を出て行くスピカの背中が、ちょっと寂しげに見えた。


 その夜、簡単に夕食をとりお風呂に入った後、ラステルは報告書の作成に取りかかった。


 必要な報告書は、ゴブリン討伐、ホーンラビット討伐、そしてアルメアボア討伐について。

 時折、宙を睨みながら、一晩かけて報告書を作成した。



 🐈🐈🐈🐈🐈


「忘れ物は……、たぶん、ありませんね」


 王都に戻る日が来た。


 ラステルは朝早く起床すると、荷物をまとめて部屋の掃除をしていた。

 そしてドアの前に立ち、周りを見回す。


 ボクはベッドの上でまあるくなって、その様子を眺めていた。


「この部屋にも、お世話になりましたね」


 ラステルは荷物を背負いながら、すこし寂し気に微笑んで部屋のなかを眺めている。


 3か月以上お世話になった部屋に別れを告げて、とてとてと芳蓮閣のロビーへ向かう。

 ロビーに近づくにつれ、なんだか、ざわざわとニンゲンの声が聞こえてくる。


 そこでは、マイシュテルシュタットで知り合ったヒトたちがラステルを待っていた。


 スピカ、メイリン、マスター・ディエゴ、ベティ、ゲンツ、ジェイク、烈流道場の門弟たち、芳蓮閣で働く従業員たち、芳蓮閣の常連さんたち……。


 きっと、スピカとメイリンが知らせたのだろう。


「えっ!? みなさん……」


 ラステルは目を大きく見開いている。


 驚いたような表情で立つラステルの方へ、スピカが駆け寄って来た。

 そして、アメジストのような目に涙を浮かべてラステルの手を握った。


「ラステル。また会おうね。一緒に仕事しようね」


「スピカ……」


 ラステルも瑠璃色の瞳に涙を浮かべていた。


「元気でね。マイステルシュタットに立ち寄ることがあったら、またウチにおいでよ。いい仕事回すよ」


 と、マスター・ディエゴ。


「ウチの道場にも寄っていけよ。今度こそ、ふたりでゆっくり茶でも……」


「師匠、なんで口説いてんですか!?」


「そうですよ。剣士のクセに抜け駆けするんですか!?」


 ……などと、せっかくの場の雰囲気を変えてしまう烈流道場の師範ゲンツと門弟たち。


「また当館にお越しくださいね。冒険者業も、お疲れの出ませぬよう」


 と、お辞儀をしているのは女将のメイリンだ。


「また、この街にきてください」


「どうか、お元気で」


 ラステルがこの街で知り合ったたくさんのヒトたちが、彼女との別れを惜しんだ。


「みなさん……。ありがとう、ありがとうございます」

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