第15話 蒼の森へ

 翌日、ラステルは空が白み始めたころに起床し、装備を点検した。

 いよいよ、課題に取りかかるつもりだろう。


 ボクはラステルの側にちょこんと座って、その様子を見ていた。


「ふふっ。これどうですか? シャノワさんのために準備して来ました」


 赤いベストのような小ぶりの衣類だ。

 ボクの身体に合わせて作ったのだろうか?

 背中のトコに、銀糸で魔法陣が刺繍してある。


「しばらく、お風呂に入れませんからね。洗浄魔法を発動する魔法陣を刺繍してみました」


 そういえば、このところラステルは自分の部屋にいるときに、なにやらチクチクと針仕事をしていた。


「ほらっ、わたしとお揃いですよ」


 そう言うと彼女はすこし首を傾けて微笑みながら、赤い衣類の肩口の辺りを両手で摘まんで持ち上げて見せた。


 お揃いといっても色だけで、タンクトップのような肌着だ。

 こちらにも、お腹の辺りに魔法陣が刺繍されている。


(はっ!? まさか、ボクにアレを着ろと?)


 ボクには、このつやつやふわふわの毛並みがある。その上からアレを着るのは、ご勘弁願いたい。


 しかし、ラステルはアレをボクに試着させたいようだ。


 眼をきらきらと輝かせて、ボクの方に身を乗り出している……。


 ボクは二、三歩後退りした。


(あ、あの、あとで結構です。というか、できれば遠慮したいです。ホント、間に合ってますから)


「ふふっ。ちょっとだけ、ここで着て見せてもらえますか?」


 じりじりとボクに迫るラステル。

 さらに後退りするボク。


 ラステルが腕を伸ばしてくる。

 抱き上げようとするラステルの腕から、ボクはするりと逃げた。


「むぅー。なぜ、逃げるのですか?」


 ぷくっと膨れっ面をするラステルの挙動に警戒しながら、ボクはさらに後退りする。


「わたしは、これをシャノワさんに着てもらうために頑張ってきたんですよ」


(ええーっ! 冒険者になるためじゃないの!? 憧れのギルドって、そういう意味だったの?)


 そしてラステルは、ボクに熱い視線を向けながら口角を上げた。これまでに見たことのない迫力のある視線だ。


「……逃がしません」


 彼女の手に黒い光が纏わりついている。その光は、闇属性魔法特有のモノだ。


 だんだんと彼女の手に纏わりつく光の量が増えていく。

 そして黒い光はラステルの掌から放出され、ものすごい速さでこちらに迫って来た。


 その黒い光が、一瞬でボクの四肢を捉える。ボクの四肢に黒い光が巻きついていた。


(なっ!? う、動けない)


「ふふふ。闇属性の拘束魔法、ヴァインセルです」


(ふぬぅ。ネコ相手にそこまでする?)


 たぶん鑑定スキルで解析すれば、解除できるだろう。

 ただ、拘束魔法には術者が解除のために組み込んだ暗号がある。拘束を解除するには、その暗号を読み取らなければならない。

 しかし生憎、危機はすぐそこに迫っている。


 解析する余裕はなさそうだ。


(くっ、背に腹は代えられないね)


 この拘束魔法を解除する方法は、もう1つある。


 被拘束者の魔力が術者の魔力を上回っている場合、より強い魔力を放出をするコトで解除できる。

 ようするに、力づくで解除するというコトだ。

 脳筋解決ともいう……。


 消費する魔力が多くなるのが難点だ。

 ラステルとボクの魔力の差なら、なんとかなるはず。


 ボクは、四肢に聖属性の魔力を一気に流し込んだ。聖属性特有の白い光が、四肢から溢れる。


 するとボクの四肢に巻き付いた黒い光は、ガラスが砕けるように四散した。


「えっ!?」


 その光景を見たラステルが、処理落ちして固まっている。


(ふふふ。驚いた?)


 ボクはちょこんと座って、前足をぺろぺろして顔を洗った。


「なっ、なんですか!? それ!」


 ラステルは涙目だ。


 そんな彼女をからかうように、ボクは鼻柱をぺろっと舐めて、


 ニィ


 とないてみた。


「……わかりました。仕方ありません」


 ラステルは俯いてそう言った。

 その表情は、前髪で隠れてしまってわからないケド。


(ふぅ、どうやら諦めてくれたみたい)


「シャノワさんがそういうことでしたら、わたしにも考えがあります」


(ん?)


「本気でいかせてもらいます!」


(ええっ!?)


 するとラステルは、ボクを捕らえようと飛びかかって来た。

 彼女も脳筋解決を選択したようだ。


 本気というから、どんな大魔法をぶっ放すのかと思えば肉弾戦を挑んできた。


「こらーっ、待ちなさーい!」


 早朝にもかかわらず、狭い部屋のなかでドタバタと、追いかけっこが始まった。


 ボクを捕まえようとするラステル。

 その腕をするりするりと躱すボク。


 そんなことを、しばらく繰り返していた。


 しかし、そこへ状況を一変させる少女が登場する。


「ラステルー、入るよー」


 声がすると部屋の扉が開いた。


 スピカだ。


 それはボクがラステルの腕をするりと躱して、ひょーいと飛んだときだった。

 ちょうど、そこに立っていたスピカの胸に飛び込んでしまった。


 はしっ、と反射的にボクを抱っこするスピカ。


「スピカっ、シャノワさんをそのまま確保ですっ!」


「は? なに?」


 スピカは、ボクとラステルを交互に見た。

 そして、ラステルが小ぶりの赤いベストを広げて構えているのを見て、なにかを察したようだ。


 悪戯っぽい笑みを浮かべてボクを見ている。


(ちょっ、スピカ!?)


「これでいい?」


 彼女は両手をボクの両脇の下に入れると、ボクを持ち上げてラステルの前に差し出した。


(くっ、スピカっ! お前もか!? 放せーっ!)


 両足をばたばたさせて抵抗したが、もう遅い。


 それを見たラステルが、熱っぽい目をボクに向ける。そして、にやあと笑みを浮かべて近づいて来た。


「ふふふ。つ、ついにわたしの長年の夢が叶います」


(こわっ! 顔がこわいよう、ラステル)


 ぎにゃーっ!


 長時間の格闘の末、抵抗むなしくボクはラステルお手製の赤いベストを着せられた。


「あら、似合うわね♥️ 可愛いよ、シャノワ」


(くっ、スピカの裏切り者めっ!)


 ラステルは眼をうるうるさせながら、胸元で両手を組んでボクを見つめている。

 どうやら、感激で言葉も出ないらしい。


 やっぱり、すこし落ち着かない。

 このベストを着ていると、毛繕いや背中を掻いたりできないからだ。


(うう、もういいでしょ? 早く脱がして……)


 ちょこんと座って、ふたりに視線で訴える。けれども、気付いてもらえない。

 しばらく我慢するしかなさそうだ。


「今日、朝早く出るって言っていたから、手伝えることがあればと思ってきたけど……、準備はできたみたいね」


 ベッドの下に置かれている荷物を見ながら、スピカはラステルに尋ねた。


「ええ。2、3日くらいで戻る予定です」


 ラステルは、ベッドの方へ歩いて荷物を背負いながら答える。


 するとスピカは、その手に携えていたモノを細長い袋からするりと抜き出した。


「それは……?」


 剣のようだ。

 それは、スピカが腰にいているモノとよく似た形をしている。刃の上の部分が、すこし上に反っていた。


「ヤマトの国で鍛えられた業物で、銘を『童子切安綱どうじぎりやすつな』っていうそうよ。ラステルに使ってもらおうと思って、持ってきたの」


 そう言って、スピカは童子切安綱どうじぎりやすつなをラステルに差し出した。

 それを両手で受け取ったラステルは、おもむろに鞘からすこしだけ抜いて、その刃を見つめている。


 「綺麗……」


 小さな波状の刃紋が、刃の美しさを際立たせている。とてつもない業物だ。


 「……でも、これ凄い剣ですよ。いいの?」


 そう言って刃を鞘に納めたラステルは、スピカの方へ視線を移した。

 目を閉じて首を振るスピカ。そしてラステルに近づくと、彼女の背中に腕を回した。


「いいよ。討伐課題、達成してね。あ、でも絶対ムリしたらダメよ」


 

 部屋を出て、ボクたちは芳蓮閣ほうれんかくの玄関先に立った。

 まだ空気が、ひんやりとしている。

 金色の朝の光が、すこし眩しい。 


「行ってらっしゃい。お早いお帰りをお待ちしておりますね。それから、こちらは道中で召し上がって下さいな」


 朝のバタバタする時間帯にもかかわらず、女将のメイリンが見送りに出て来てくれた。

 そればかりか、お弁当まで用意してくれた。


「ありがとうございます。メイリンさん」


 差し出されたお弁当を受け取って丁寧にお礼を言ってから、ラステルはスピカとメイリンに手を振って歩き出す。

 スピカと女将のメイリンは、いつまでもボクとラステルを見送っていた。


 目指すは、マイステルシュタットからウォルバンズ街道を西へ半日ほど歩いたところに広がる大森林。


 蒼の森。


 ラステルにとって、最大の試練が待っていた。

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