第14話  エンチャント

 そして、3か月が経過した。


「来たよー」


 午後になり、今日もスピカがラステルを道場へ連れて行く。


 このところ、スピカは頻繁に芳蓮閣ほうれんかくへ顔を出している。


 あの日、吟遊詩人ティカレストのストリートライブを観覧した後、ラステルの表情が沈んだのを見て心配したのだろう。


 ラステルもスピカがやって来ると、へにゃりと笑顔を浮かべている。

 スピカと一緒にいるときは、なんだか楽しそうだ。


 最近のラステルは、午前中、芳蓮閣ほうれんかくでくるくると働き、午後から烈流道場れつりゅうどうじょうへ通う日が続いている。


 愛想の良いラステルは、芳蓮閣ほうれんかくでは客たちの、烈流道場れつりゅうどうじょうでは門弟たちのアイドルだ。


 午前中の芳蓮閣ほうれんかくでは、客室を掃除したり、食事を客室へ運ぶと、宿泊客などから多めにチップをもらっていたりする。

 ラステル目当てに、芳蓮閣ほうれんかくへ食事にくる客も日に日に増えていった。

 たまに酔っ払いに絡まれているコトもあったが、いまでは華麗に躱す術も身につけた。

 スピカや女将のメイリンから教わったらしい。


 まぁ、彼女たちは「その道のプロ」だからね。


 良く働き、客への対応も良いラステルに、女将のメイリンは「もう、冒険者なんてやめて、うちで働かない? お給料もはずむわよ」などと口説いていた。


 そして午後は、烈流道場れつりゅうどうじょうへ剣などの稽古へ出向く。

 もちろん、スピカも一緒だ。


 今日も道場ではラステルが姿を見せるのを、門弟たちがいまかいまかと待ち構えていた。

 いま、烈流道場れつりゅうどうじょうの男たちは、剣の稽古よりもラステルに夢中だ。


 ラステルが道場に顔を出すなり、稽古そっちのけで、


「ウチの庭に咲いていたんだ」と言って花を差し出す者、


「これは、あなたのためにヤマトの国から取り寄せた逸品です」と言ってプレゼントを渡す者、


「ボ、ボクの気持ちですっ! どうか読んでください」と言ってラブレターを渡す者、


 などなどが彼女に群がる。


「もう、すっかり道場の人気者ね」


 とスピカが、すこし拗ねている。

 とても新鮮だ。


「バカ野郎共が。てめぇら、さっさと稽古を始めろっ!」


 師範のゲンツが怒鳴ると、門弟たちは蜘蛛の子を散らすようにラステルから離れて稽古を始める。


「ウチのバカ共が、うるさくてスマンな」


 いつものコトだが、ラステルは愛想笑いを浮かべている。


「いえ、みなさん良い方ばかりで……」


 戸惑い気味に彼女は答えた。


 するとゲンツはなにかを見上げるようにして顎をすこし上げ、しばらくチラチラとラステルを見ていた。

 やがて、コホンとひとつ咳払いして意を決したように言った。


「お、そ、そうか。なら良かった。……で、まぁ、なんだ。この前、良い茶を手に入れたんだ。その……、稽古が終わったら部屋で飲んでいかねぇか?」


 ほんのり頬を紅に染めたゲンツが、ラステルをお茶に誘っている。この熊のような野趣あふれる風体からは全く想像できない顔だ。


「………」


 ラステルは口元を手で押さえて、ぱちぱちと瞬きしている。


「あーっ! 師匠、自分ばかりズルいですよ」


 そばで聞き耳を立てていたのか、門弟のジェイクが大きな声で叫んだ。


「う、うるせー。オレは、お前らみたいに下心はねぇ!」


「ウソだっ」


「抜け駆けとは卑怯な!」


「あなた、それでも剣士の端くれなの?」


「俺たちだって、ラステル嬢とお茶したいっ!」


「そうだ。そうだ」


 門弟たちは稽古の手を止めて、今度はゲンツに詰め寄った。

 ノリで、スピカも混じっている。いくらなんでも「端くれ」は、ちょっと酷いんじゃないだろうか。


(えっと……、ココ、剣術道場だよね? みんな剣の稽古しようよ)


 さて、そんなこんなで今日も稽古が始まる。


 稽古では、ラステルに手合わせを申し入れる者も多い。

 べつに、ラッキースケベな展開を狙っているからではない。

 稽古になれば、門弟たちは真剣そのものだ。

 スピカを除けば、ラステルは道場でもかなり強い方だった。このため手合わせを希望する者が大勢いるようだ。

 たぶん……。


 そのおかげで、ラステルも勝負に関して多くの経験を積むコトができた。

 剣術の腕もだいぶ上がったようだ。


 ラステルは剣のほかに、クロスボウも訓練している。

 烈流道場れつりゅうどうじょうには弓道場も併設されており、弓などの訓練もできる。


 この道場の的は魔導具だ。

 空中でふよふよと静止する的や、ランダムに動き回る的もある。

 動き回りながら魔法弾を放ってくるハードモードの的まである。

 一定時間以内に矢を的に命中させないと、的は地面に落下する。


 訓練を始めたころのラステルは、静止している的でも命中率六割がやっとだった。


 動く的の命中率は、……もはや黒歴史レベルだった。

 それは、ボクを含めて彼女の訓練を見ていた者全員が戦慄したほどだ。

 ときに命の危険さえ感じた。


 しかし訓練を重ねるにつれて、命中率を上げていく。


 いまでは、静止した的はもちろん、動く的であっても器用に次々と命中させるまでになった。

 命中率も精度も高い。

 クロスボウが弓よりも扱い易い武器とはいえ、なかなかどうして良い腕だ。


 これには、スピカもゲンツたちも驚いていた。


「すっごーい。すごいよ! ラステル」


 防御魔法を展開し、流れ矢を警戒していたスピカが感嘆して言った。

 まるで自分のコトのように、飛び上がってはしゃいでいる。

 

(剣の腕も決して悪くないケド、ラステルにはこういう武器の方が向いているのかもしれないね)


 ラステルが烈流道場れつりゅうどうじょうで訓練に勤しんでいる間、ボクはアホな師範と門弟たちの喧騒をよそに、陽当たりの良い庭石や塀の笠木かさぎの上でまあるくなっていた。

 たまに道場のなかをうろうろしたり、台所で作り置きのおかずを失敬したり……。

 ボクにとっては、のんびりした日々だった。


 道場から帰るとラステルは夕食をとり、芳蓮閣ほうれんかく自慢の露天風呂を堪能して部屋へ戻った。


「今夜は、満月ですね」


 そう言うとラステルは、荷物からくるくるに巻かれた羊皮紙を取り出して広げていた。

 広げられた正方形の羊皮紙は、ベッドの半分くらいの大きさがある。


 その中央に大きな魔法陣が、すこし離れたところに小さな魔法陣が2つ描かれていた。


(……一体、なにをするつもりなんだろう?)


 ボクはしっぽをぴんと立てながら、とてとてと魔法陣が描かれた羊皮紙へ近づいた。


 ラステルは、魔法陣の上にミスリルの矢を置いている。

 そして細長い木製の筒のなかから、乳白色のタクトを取り出した。


(象牙のタクト?)


 タクトは、その名のとおり指揮棒のような形状をした魔導具だ。

 緻密な魔力コントロールが必要な魔法に用いられる。

 魔力を通しやすい素材、たとえば月桂樹や水晶、象牙、ミスリルで作られた物が多い。

 アダマンタイトやオリハルコン、ヒヒイロカネといった素材を用いて作られた物もある。

 もっとも、ミスリル、アダマンタイト、オリハルコン、ヒヒイロカネで作られたタクトは、高価な上に数もすくないので滅多にお目にかかるコトはない。


 ラステルは、2つの小さな魔法陣に両手をあてた。魔力を流しているようだ。中央に描かれた大きな魔法陣が光を放ち始めた。


 すると左手をそのまま小さな魔法陣から離さないようにして、右手にタクトを持つ。タクトの先端をミスリルの矢にあてた。


 そして、その先端でミスリルの矢をなでるようにタクトを動かしている。


 ボクには、小さな文字をミスリルの矢に書き込んでいるように見えた。


(えっ!? もしかして、エンチャント!?)


 タクトが離れると、ミスリルの矢は一瞬だけ青白い光を放った。


「……ふぅ。久しぶりでしたが、上手くいったようですね」


 ラステルはミスリルの矢を手に取って、角度を替えながら銀色に輝くそれを満足げに見つめている。


 そしてボクの方に顔を向けて、にこりと微笑んだ。


「ふふっ。ケフィクをエンチャントしてみました。アルメアボアは土属性の魔物なので、これを使えば討伐できる筈です」


 ケフィクというのは、水属性魔法のひとつだ。

 「水檻すいかん」ともいう。


 ボクは水属性魔法を使えないので、効果の程までは分からない。

 けれども、アルメアボアに対抗するには良い手だと思う。


 それ以上に、この光景はボクにとって衝撃だった。

 愕然とした。


 いままで、エンチャントは「才能」のようなものだと思っていた。

 それが「スキル」だと思っていた。


 そうじゃなかった。


(エンチャントを魔法陣に描き起こすなんて……)


 ボクは、この時、ラステルの評価を大幅に修正せざるを得なかった。


 「スキル」やその他のステータスで測ろうとすれば、彼女の力を見誤る。

 彼女の実力は、鑑定スキルでも視るコトができない豊富な魔導の知識にあるのだと知った。


「今夜のうちに、あと2本終わらせてしまいましょう」


 そう言うと、ラステルはエンチャントを再開した。


 さすがに消耗したのだろう。すべての作業が完了すると、彼女は着の身着のままの姿でベッドに倒れ込んだ。

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