第13話 クィンの末裔――ラステル視点④

 エンリケさんの鋭い視線が、池の対岸へ向けられています。

 まるで、敵を警戒する騎士のような表情をしています。

 

 そちらに視線を向けると、約30体ほどの子供のような大きさのなにかが、こちらに近づいて来るのが見えました。


 確か、わたし達もあのモノ達が現れた辺りから、この池の畔まで来た筈です。


「あ、あれは?」


「魔物です。ゴブリン……などですね」


(あれが魔物……。書物で読んだことはありますが、実際に見たのは初めてです)


 魔物達を警戒して、スクナがわたしとエンリケさんの前に立ちました。


 グルルルッ……。


 前傾姿勢になって、魔物たちを睨み威嚇するように喉を鳴らしています。


「お嬢様!」


 魔物達の接近に気が付いたターニャが、駆け寄って来ました。


「困りましたね」


 エンリケさんは、わたしとターニャを見て肩を竦めました。


 後方は、岩場で閉ざされています。

 逃げるなら、左手の森のなかしかありません。


「エンリケさん、森のなかへ逃げましょう!」


 ターニャが、エンリケさんに言いました。


 しかし、エンリケさんは首を振って動こうとしません。


「森のなかに逃げ込んでも、その先は切り立った断崖があるので、どのみち逃げ切れませんよ」


(まさか、もう諦めて殺されるのを待つのですか!?)


「さて、剣を振るのは久々ですね」


 そう言うとエンリケさんは、どこから出したのか分かりませんが、右手に片手剣を持っていました。


(……収納スキル?)


「おふたりも、そろそろ剣を抜いて構えた方がいいですよ」


 はっと我にかえり、わたしとターニャは慌てて身体強化をして防御魔法を展開しました。

 そしてターニャは短剣を、わたしも護身用の片手剣を抜きました。


 3体ほど、他よりも大きな体躯たいくの魔物がいます。

 いずれも、刃こぼれの酷いボロボロの剣を持っていました。


 彼らはわたしとターニャを見下ろしながら、口角を上げてニヤニヤしてるようです。

 わたしとターニャを舐め回すように見ています。


 わたしは魔物達の気味の悪い視線に耐えられず、びくっとして後退りしました。


「ホブゴブリンがいますね。斬り刻んで、スクナの餌にしてやろう」


 エンリケさんは魔物達を睨みつけ、底冷えするような声で言いました。


 すると、スクナが尻尾を大きく振って、前衛にいた3体のゴブリンの横面を殴打したのでした。


 グビャアッ!


 ゴブリン達は吹き飛ばされ、頭から池に落ちました。


 池の水で頭から濡れたゴブリン達が、こちらを睨んでいます。


 わたしとターニャの方に、数体のゴブリンが下卑た笑みを浮かべてじりじりと近づいて来ます。


 わたしの前に立つターニャは、短剣を構えています。


 クアーッ!


 均衡を破ったのは、なんとスクナでした。


 スクナがわたし達に近づいて来たゴブリン達に向かって、体当たりするように突っ込んで行ったのです。


 不意を突かれて、派手に撥ね飛ばされたゴブリン達。


 そして、そのうちの1体のゴブリンがよろよろと立ち上がったところを、ターニャが短剣で心臓を一突。


 そのゴブリンは真っ赤な血を流して、うつ伏せに倒れました。


 その後もターニャとスクナは息の合った連携で、ゴブリン達を討伐していきます。


 キギャアァァッ!


 奇声を上げて次々襲いかかってくるゴブリンをなんとか回避しながら、わたしも剣を振り回しました。


(魔物達の数は多く、腕力もわたしより強そうです。押しきられないように、気を付けないといけません………)


 キョギャアアッ


(ゴブリンの攻撃を受け流しつつ、隙を突きましょう)


「せいっ」


 袈裟懸けに斬りつけ、さらに剣を突き出してゴブリンの喉を貫きました。


 ギュブピピピ……。


 ゴブリンの血が刃を伝って、ぽたぽたと滴ります。


「はあっ、はあっ、はあっ……」


 わたしは、手を染める紅のそれに戦慄していました。

 相手が魔物とは言え、生まれて初めて命を奪いました。

 戦闘中に、動きを止めてはいけないと解っています。

 けれども、身体が動きません。


「お嬢様ぁっ!」


 はっとするのと同時に、ホブゴブリンが横から斬りかかって来ました。


 ガッ、キィィッ……。


 わたしは、その斬撃を受け流しきれませんでした。


 ホブゴブリンは目を血走らせ歯を食い縛り、わたしを睨みつけています。


 そして、わたしの鳩尾みぞおちに膝蹴りを入れました。


「うぐっ……」


 一瞬息が止まり、膝をついてしまいました。

 身体強化と防御魔法を展開していなければ即死でした。


 ギヒヒヒ。


 今度は、お腹を強く蹴り上げられました。


「あぐぅっ……」


 吐き気と痛みで、身体に力が入りません。

 その様子を見たホブゴブリンは、わたしの左腕を掴んで吊るすように持ち上げました。


 深い紫の双眸が、わたしの目の前で気味の悪い光を放っています。


 わたしを見て口角を上げると、わたしの首筋から頬の辺りにかけて長い舌を這わせてきました。


「い、いや……」


 わたしは、これから自分の身に起きることを想像して、恐怖で身体が凍りついたように動けなくなってしまいました。


「お嬢様ぁ!」


 ターニャがわたしを助けようと、襲いかかるゴブリンを振り払いながら、こちらに向かおうとしています。


 しかし、やがて数の力で押さえ込まれてしまいました。


「くっ、放してっ。お願い、放してぇっ! いやあっ、お嬢様ぁ」


 スクナも、ホブゴブリンとゴブリン数体に押さえ込まれています。


 エンリケさんは、ホブゴブリンの剣撃を躱しつつ、飛びかかるゴブリンに一太刀を浴びせていました。


 けれども、こちらを助ける余裕はなさそうです。


 わたしを宙吊りにしているホブゴブリンは、なおもわたしの首筋から頬へと長い舌を這わせています。


「う、ううっ……」


 その時でした。


 ――リィーン。


 深い音色の鈴の音がしたかと思うと、突然、ホブゴブリンの両肩が血飛沫を上げたのです。


 わたしの身体は、どさりと地面に落ちました。


 目の前に肩から切断されたホブゴブリンの両腕が、鮮血をまき散らしながらドサドサッと落ちてきました。


 身体中の痛みに耐えながら、わたしは顔を上げました。


 目に飛び込んできたのは、信じられないほど美しく凄惨な光景。


 吹き荒れる血吹雪のなかで、双剣の剣舞を舞う少女の姿。


 ――リリィーン。


 鈴の音がすると、最後のゴブリンの1体が彼女に両断されていました。


 わたしは意識を手放しました。


 🐈🐈🐈🐈


 ……ぱちぱちと、なにかがはじける音がします。


 うっすらと目を開けると、銀色の瞳がわたしの顔を覗き込んでいます。


 わたしは驚いて、大きく目を見開きました。


「よかった。気が付いたのね」


 覗き込んでいたのは、白金の髪をした少女でした。わたしよりも、少し年上でしょうか。

 青い薔薇の形をした宝石を嵌め込んだペンダントが、胸元で揺れています。


 わたしは身体を起こして、辺りを見回しました。

 私が眠っているあいだに、どうやら移動したようです。


 ……クゥー。


 スクナが、顔を寄せてきます。


「ありがとう、スクナ。……心配かけてごめんなさい」


 スクナの首筋をなでました。


 あたたかくて、すべすべしたスクナの表皮を肌で感じて、ふんわりとした気持ちになりました。


「私が至らず、お嬢様を危険な目に会わせてしまいました。申し訳ございません」


 ターニャは悔いるように俯いて、わたしに謝罪しました。


「……あなたの方こそ、怪我はありませんか?」


「はい、こちらの方のおかげで、かすり傷程度で済みました」


 それを聞いて、わたしがほっと胸をなで下ろしていると、森のなかから両腕に薪を抱えたエンリケさんが現れました。


「良かった。ずいぶん酷い怪我でしたから。安心しました」


 そう言ってスクナの隣に腰かけ、1本の薪を炎のなかに投げ込みました。


 ぱあっと、オレンジ色の火の粉が舞い上がります。


「エンリケさんにも、ご心配かけました。それで、こちらの方は?」


 口を開いたのは、その少女でした。


「私は、アリス。冒険者よ」


「アリス様……ですか。危ないところを助けて下さり、ありがとうございました」


「うふふふ。ホントね。ゴブリン達に凌辱されて、食い殺されるとこだったね」


 アリス様は、こてりと首を傾けて微笑みました。


「目についた怪我は、治癒魔法をかけて治しておいたから。他に痛むところは無い?」


「ありがとうございます。いまのところは、……っ!」


 態勢を変えようとして、左手をついたときでした。

 手首に痛みが走りました。


 ホブゴブリンの攻撃を受けたさいに、手首を痛めていたのでした。


「ほら、無理しないで診せて」


 アリス様は優しくわたしの左手を取って、治癒魔法をかけてくれました。


 わたしの手首をふわりと包む彼女の手から聖属性特有の白い光がこぼれ、ズキズキした痛みが手首からひいていきます。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 わたしがアリス様にお礼を言うと、エンリケさんが口を開きました。


「アリス様は、どちらのギルドに所属されているのですか?」


「え? 『黒猫』よ」


 エンリケさんは大きく目を開き、愕然としているようです。


(黒猫? なんだか、この旅では「黒猫」に縁がありますね。黒猫の標章、黒猫紳士、黒猫ギルド? ですか……)


「貴女が、……剣聖アリス様でしたか。どうりで」


(剣聖……)


 薄れゆく意識のなかで見たこの方の強さは、確かに見たことの無いものでした。


 激しく、凄惨で、美しい。


 わたし達は、魔物と命の奪い合いをしていた筈です。


 けれども、彼女だけ、全く異なるコトをしているようでした……。


 この方の強さと美しさに憧れました。





 てしっ。


「んっ、ううん……」


 てし、てしっ。


「ふぁ? シャノワさん?」


 わたしの鼻先に、ふんふんと匂いを嗅ぐようにして、シャノワさんが鼻を近づけています。


 わたしは身体を起こして、朝日が差し込む窓の方を見ました。


(夢……、でしたか……)


 もう逃げたくない。

 強く、強くなりたい。

 あの方のように。

 スピカのように。

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