第20話 水晶池 

 夜が明けたころ、ボクは目を覚ました。

 まだ朝も早い時間だというのに、ラステルは支度を始めていた。


(う、うーん。くあーっ……)


 ボクは立ち上がると、頭を下げぐぐっと前傾姿勢で伸びをする。

 そしてちょこんと座り、こしこしと前足で顔を洗った。


(……今日の毛並みもいいカンジ♪)


 昨日、晩御飯を食べた後、ラステルは例の「赤いベスト」をボクに着せた。

 全身丸洗いしてもらったからか、毛並みの状態も良好だ。


 座ってラステルの様子を見ながら、念入りに毛繕いする。


「おはようございます、シャノワさん」


 ボクが起きたことに気が付いた彼女は、手を止めてこちらに微笑みかけてきた。


 当たり前だが、今日の荷物は軽めだ。

 地図、クロスボウ、矢筒、そしてスピカから贈られた童子切安綱どうじぎりやすつな八寸剣鉈はっすんけんなた、それと干肉、水筒くらい。


 あとは、この拠点に置いていく。


 支度が終わり外に出ると、ラステルは土属性魔法で小屋の入口を閉じた。

 魔物やその他の獣が侵入して、荒らされたりしないようにするためだ。


「さぁ、いきましょう。今日もよろしくお願いしますね。シャノワさん」


 ボクの方に視線を落として、彼女はにこりと微笑んだ。


(うん。今日も頑張ろうね)


 地図を確認して、歩き出すラステル。

 ボクもその傍をとてとて歩く。

 まずは、昨日仕掛けた罠を見に行くようだ。


 薄く朝霧が漂う森は、昼間よりも冷んやりとした空気に包まれていた。

 時々、風が吹いてさわさわと樹々の枝が揺れる。

 

 昨日も通ったルートだ。だからといって、危険がないワケじゃない。ボクたちは慎重に進む。

 目印にした樹を辿りながら、罠を仕掛けたポイントへ向かう。


 思ったよりも短時間で、括り罠を仕掛けた場所に到着した。


 昨日は、とても長い距離を歩いたように思えた。じつは夜の間に距離が縮んだんじゃないかと錯覚するほど、あっさりたどり着いた。 


 罠を仕掛けた茂みに近づいてみた。

 ガサガサと動き回る音がしている。


 キーッ、キュッ、キュッ、キーッ……。


 どうやら、うまく罠にかかってくれたようだ。

 ホーンラビットが、罠から抜け出そうと茂みのなかで暴れている。

 必死に茂みから飛び出そうとしている。しかし、ぴょんこと跳ねても後足にかかった罠がそれを許さない。

 動揺しているのか、時々、両前足でこしこと顔を洗ったり頭を掻いている。


 ラステルは、罠からすこし離れたところでうつ伏せになった。そして、クロスボウに矢をセットして構える。


 どうやら、ホーンラビットの動きが止まったところを狙うつもりらしい。

 ホーンラビットは、罠に足を取られている。

 この状態なら、動ける範囲は限定されるハズだ。


 狙いを定めたラステル。暗夜に霜が落つるごとくトリガーを引く。


 シュッという射出音とともに、矢はホーンラビットに向かった。


 キュイィィィッ!


 脇の下辺りに矢を受けたホーンラビットは、断末魔を上げてどさっと倒れた。


 それを見たラステルは起き上がって、ほっと胸をなでおろしているようだった。

 そして片膝をついて座った状態で、隣にいるボクをなでなでした。


「良かった。上手く当たってくれました」


(うん。順調だね)


 ラステルは、矢を受けて倒れるホーンラビットに近づいていく。獲物が動かなくなったのを確認する。

 そして八寸剣鉈はっすんけんなたを抜いて、ホーンラビットの首筋にそれを突き立てた。


「水晶池へ行く前に、このホーンラビットを沢で冷やしましょう」


 ひとまず、放血、摘出(魔石を含む)を終えたラステルは、額に浮かんだ汗を拭きながらそう言ってホーンラビットをボクに見せた。


(ボクも手伝うよ)


 ボクは、ホーンラビットの首根っこを咥えた。


「ふふ。ありがとうございます。シャノワさん」


 ホーンラビットは、魔石よりも角や肉、皮に価値がある。

 肉は、魔獣のなかでも美味な部類だ。

 けれども、討伐後すぐに冷やさないと、ホーンラビットの体温でせっかくの肉が傷んでしまう。


 もちろん、水属性魔法などで冷やしても構わない。けれども、この後水晶池へ向かうことを考えると、魔力を使わない方が賢明だろう。

 沢で冷やすのが正解だ。


 ホーンラビットを拠点近くにある沢に沈める。

 流されてしまわないように色々工夫し、さらにゴブリンなどの魔物に発見されないように大きな葉や草木などを使って隠した。


「これで今日の夕飯は決まりですね。では、水晶池へ向かいましょう。とてもきれいな池だそうです。楽しみですね」


 ラステルは地図を取り出して、現在地、水晶池の方角と道のりを確認した。


 水晶池までの最短ルートには、途中、高い岩壁が立ちはだかる。


 ラステルは、これを迂回するルートを選択した。


 身体強化をして岩壁をよじ登って行けば、比較的短時間で水晶池に到着する。

 しかし、目的は討伐だ。

 あまり無駄な体力・魔力は使わない方がいい。

 すこし時間はかかるが、いまから向かえば迂回ルートで行っても、日の高いうちに到着できるハズだ。


 落葉と枯枝が降り積もったフカフカの地面を踏みしめて、森のなかを歩く。

 周りを警戒しながら、慎重に進む。

 道中、コボルト、ホーンラビット、ヴァイスケルウスなどを見かけた。

 これらの魔物は、手を出さなければ向こうから襲って来るコトはあまりない。


(近くに危険な魔物は、いまのところいないね)


 一応、索敵スキルを発動している。

 けれども、この分なら問題はなさそうだ。


「そろそろ、見えて来る筈です」


 かなりの距離を歩いたと思う。

 近くで水の流れる音がする。

 そういえば、すこし空気が湿っぽい。


 ちらほらと、水色のまあるいスライムを見かけるようになった。

 移動するたび、ぽよぽよとしている。


(池が、近いからだろうね。こういう、じめじめした場所が好きだからね。彼ら)


 異世界では、おなじみの魔物。

 けれども、ボクにとっては強敵だ。

 時間があればお手合わせをお願いしたいところだ。けれども、いまはやめておこう。


 もっとも蒼の森のスライムはとても温厚(?)なようで、生きているニンゲンや獣、魔物を襲ったりはしないらしい。

 事実、蒼の森でスライムに襲われたという報告を、ボクは聞いたコトがない。

 せいぜい、朝、目が覚めたら、食料などを食われていたという話くらいだ。


 やがて、ボクの眼前に青く透き通る大きな池が現れた。


(おお、やっと着いた。久しぶりの水晶池だね)


「ここは……、まさか、そんな……」


 水晶池。

 蒼の森に点在する池のひとつ。

 ウォルバンズ街道沿いにあり、知る人ぞ知る憩いの場所だ。

 池の水は青く澄みわたり、底の石まで見えるほど透明度が高い。


 ただ、この池には人間だけでなく、獣や魔物たちも水を求めて集まってくる。ここで魔物や獣に襲われたという事例は後を絶たない。

 最近では、ノーラ商会の商隊がここでオーガ5体に襲われた。


 ボクたちは、池の畔をとてとて歩いていく。

 青い水面に、空と樹々が映っている。


(ふふ。そういえば、以前は、よくここでエイトスと暴れたね)


 まだギルド9625を創立したばかりのころ、ボクとエイトスはこの池の周辺で街道の通行人たちを襲うゴブリンを100体ほど討伐したコトもあった。


 池の畔を歩きながら、そんな思い出に浸っていた。


(ん?)


 突然、ラステルの歩くスピードが、がくんと落ちた。


 見上げると、なんだか彼女の顔色がすごく悪い。

 しかも、がたがた震えているようだ。


 そんな状態でも、懸命に一歩二歩と足を前に出そうとしている。

 けれども、だんだんと足が前に出なくなる。

 やがて、その歩みも止まる。


 そして自分の両肩を抱きしめるようにして、膝から崩れしゃがみこんでしまった。


「い、いや……」


(昨日も、こんな姿を見たね)


 討伐したゴブリンを前にしたときだ。

 あのときも青ざめた顔で、彼女はゴブリンの死体を眺めていた。

 あのときも手足が震えていた。


(ゴブリン、そして水晶池か……。なにかトラウマになるような出来事が、ここであった?)


 いずれにしても、この状態ではクロスボウも剣も持てないだろう。

 今日の討伐は、ここまでのようだ。

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