第19話 「乙星や」にて

 シャノワとラステルが蒼の森で高級「焼き鳥」を頬張っている頃、マイステルシュタットでは―――


 歓楽街の一画に軒を連ねる高級遊郭のひとつ「乙星おとぼしや」。


 この妓楼ぎろうの部屋の一室で、リュートの奏でる旋律に合わせて歌声が響いている。

 なかなかの美声である。


 

 カイザーストリート王都老舗しにせの宝飾店♪

 黒い~ローブの司祭さま~♪

 きらきらした~、女性モノの~首飾りを買いました~♪

 wowwo~♪

 夜のとばりが~下りた頃~♪

 ときどき振り返っては~そそくさと~♪

 足早に街中を歩く~黒いローブの司祭さま~♪

 Ah 夜空に浮かぶお月さま♪

 白い乙女岳おとめだけを妖しく照らしています♪

 Ah 月の光に照らされた万世橋ばんせいきょう

 橋の下には~人目を忍び逢瀬おうせを楽しむ黒いローブの男と女♪

 wowwowwo~♪

 Ah Ah 三千大千世界さんぜんだいせんせかいの~ゴブリン殺し~♪

 朝まで~キミを~抱いて~いたい~♪



 歌詞の内容は、教会の堕落ぶりを皮肉るもののようだ。

 

 歌声の主は、元ノウム教司祭の吟遊詩人ティカレスト。

 踊りながらリュートを弾いて歌っている。


 その周りには、4人の遊女たち。

 3人は、ティカレストと一緒にキャッキャと騒いでいる。


 しかし、ひとりだけ物憂げに外の景色を眺める遊女がいた。


 紅の生地に地獄変相図じごくへんそうずの柄を刺繍した打掛うちかけを羽織るその遊女は、ティカレストたちと騒ぐこともなく、何か物思いに耽っているようだ。


「ねぇ、スピカ様は、いったいどうしたのかしら?」


 ティカレストと一緒に騒いでいた遊女のひとりが、不思議そうにスピカを見て言った。


「きっと、『瑠璃るりの君』の事を考えているのよ。ほら、あの方、最近ウチにいらっしゃらないじゃない」


「遠い異国にいる、あの素敵な殿方の事を想っておられるのですね。きゃー、わたしも、そんな殿方と出会いたーい❤」


 遊女たちが、くねくねしながら、きゃあきゃあとそんな話で盛り上がっている。


「あなたたち。そろそろお座敷の時間でしょ? こんなところで遊んでないで、さっさとお客様のところへ行きなさい!」


 はっと我に返ったのかスピカは、的外れな話に花を咲かせる遊女たちを窘めるように言った。


「はーい。じゃあ、ティカちゃん。ごゆっくり~」


「またねー」


「今日の歌も、素敵でしたー」


 彼女たちは、そう言うとティカレストに小さく手を振って部屋を出て行った。

 彼もにこりと微笑んで、彼女たちに手を振って送り出した。


 遊女たちが出て行くの見送ったスピカは、ひとつため息をついて立ち上がった。そしてティカレストの隣に座ると、彼にグラスを渡して無色透明な酒を注いだ。


 とくとくと水のように透き通る酒が注がれる音とともに、ふわりと果物のような芳香が立つ。


「『瑠璃るりの君』のことを、考えておいでで?」


 その酒がグラスに注がれるのを見つめながら、ティカレストはスピカに尋ねた。


「ごめんね、センセ。あたしがお呼びたてしたのに……」


 スピカは、この吟遊詩人を「師」と仰いでいた。


 といっても、剣術や学問、芸事などの師匠ではない。

 男女の営みの方でもない。


 彼の歌、彼が語るお話、彼が口にする何気ない一言がスピカの心を捉え「つぎにすべきこと」を気付かせてくれるから。

 そういうわけで出会って以来、彼女はティカレストを「先生」と呼んで慕っていた。


「今回は、テスランを回っておられたのでしょ? お話を聞かせて」


 スピカは顔をあげてティカレストに微笑みを向け、彼にテスランの旅の話しをねだった。


「……貴女は、いつもそうやって、自分の心を隠して人に微笑みかけるのですねェ」


 ティカレストは、グラスに注がれた酒をあおる様に喉に流し込むと、手の中のグラスを見つめながら微笑んだ。


 ふたりとも、自分の手の中にあるモノを無言のまま見つめていた。


 どこかで笛や三味線、リュートなどの楽器を演奏しているようだ。

 曲に合わせて手拍子をしたり、大きな声で囃し立てたりしている。

 演奏が終わると、ワッと歓声が上がった。  


「……考えていたのは、あの人のことじゃないの。友だちのことよ」


 スピカは少しうつむき加減に、その手に持つ酒の瓶を見ながら言った。


 その様子を見たティカレストは、目を丸くしている。

 普段、彼女の口から聞くことのない言葉が出たからだ。


「貴女が『友だち』と呼ぶヒトとは……、これはまた珍しいですねェ」


 スピカと出会って以来、ティカレストは、彼女が「友だち」と呼んだ人間を知らない。

 普段の会話のなかでも、友人の話しが出てきたことはなかった。


「ふふ。そうね。でも、センセも知っているコなのよ」


「……ほぉ。どなたでしょうか?」


 顎をなでながら、ティカレストはスピカの方に視線を向けた。


「広場で会ったでしょ?」


「もしや、あのとき広場でワタシの『髑髏語どくろがたり』を一緒に聴いて下さった方ですかな?」


 3か月ほど前に「あいの広場」で、スピカとともに『髑髏語どくろがたり』を聞いて涙を流した少女の姿を思い出す。

 その隣に、どこかで見たような黒猫がちょこんと座って、しっぽをふりふりしていたことも……。


「ええ。そうよ。あのコ、エイトスのトコの見習いなの」


「……これはまた、不思議なご縁で。とすると、隣にいた黒猫は、やはりマスター・シャノワでしたか」


 シャノワがともにいるということは、ギルド9625の幹部候補である。

 採用が決まれば、今後、ティカレストと無関係な人物ではない。


 ティカレストはグラスを手に持ち、興味深そうな目をしてスピカの方に顔を向けた。


「それで、その女性のお名前は?」


「……ラステル」


 グラスを差し出そうとしたティカレストの手が、ぴたりと止まる。

 その名前に、彼は心当たりがあった。

 

「……ラス……テル? ……まさか!?」


「あたしの勘が正しければ、いまセンセが思い浮かべた少女と同じコよ。シャノワに聞けば確証を得られるのだけど……、きっと、あのコは話さないわね」


 勘だとスピカは言ったが、それだけで人物を特定するようなことを彼女はしない。

 独自に集めた情報もあわせて話しているのだ。


 確かに、シャノワのスキルなら「ラムダンジュ」の存在を知ることができる。

 だが、いくら親しいとはいえ、スピカにペラペラ話すことはない。


 ティカレストは、自分の手を見つめながら口角を上げた。


「ほほぅ……。そうですか。アルメアにいたのですか。ラステル・クィン。道理で……」


 これを僥倖ぎょうこうというべきか。

 まさに、神の配剤というべきか。

 王都に帰ったら、シャノワやエイトスとともに「あのお方」にご報告差し上げなければなるまい。

 「あのお方」は、お喜びになるだろうか?

 それとも、戦慄なさるだろうか?


 そんなことを考えて、ティカレストは胸を踊らせた。


「センセ。悪い顔になってるよ」


「フフフフ。『宝石は足下にころがっている』とは、よく言ったものです」


「誰が言ったの? 聞いたことないわ。面白い格言ね」


「もちろん、ワタシですヨ。いま思い付きました」


「………」


 スピカは、ひとつため息をつくと、ティカレストのグラスに酒を注いだ。


「クィンの話は、ひとまず置いておきましょう。それで貴女は、先ほどからそのラステルさんのことをお考えになっていたのでしたね」


 そう言うと、ティカレストはグラス口をつけて、今度はちびちびと酒を舐めるように飲み始めた。


「ええ。だって、いくらなんでもやり過ぎよ! ギルドの討伐課題でゴブリン、ホーンラビットならまだ解るの。でも、アルメアボアなんて、見習いに討伐できる魔獣じゃないわ!」


「そうですねェ。ですが、マスター・シャノワがいるなら問題ないのでは?」


 ティカレストも、常々、エイトスの出す最終課題については「ムチャぶり」だとは思っていた。

 むしろ、討伐課題に立ち会う審査者の方に課題を出しているのではないか、とすら考えている。


 しかし、どういうわけか最終課題で大きな事故が起きたことはない。

 そしてシャノワが審査者として帯同しているなら、これほど頼りになるモノはいない。

 どんな強大な魔物に遭遇しても、彼が適切に対処する筈だ。


「センセたちは、シャノワに傾倒し過ぎなのよ。あのコは、ネコよ。人間の生死に興味なんて無いわ」


「………」


 ティカレストは、ほんのちょっぴり、スピカの言う通りかもしれないと思った。


 もっとも、ティカレストはシャノワを連れて魔物討伐に行ったことはない。

 そして彼の手に負えない強大な魔物に遭遇したとき、シャノワが助けてくれるイメージもなぜかできない。


 ……むしろ、前足をぺろぺろ舐めて顔を洗いながら様子を見ている姿が思い浮かんだ。


「あたし、ラステルが心配で……。こんな気持ちになるの初めてなの。ねえ、センセ。あたし、どうすればいいかな?」


 スピカは涙を浮かべて、すがるような視線をティカレストに向けている。

 彼女のそんな姿は、彼にとって新鮮で微笑ましいものだった。


 ティカレストは、目を閉じた。


 瞼の裏に映るのは、僧籍に入ったばかりの頃の自分の姿。

 神が与えた試練にもがく己の姿。

 手を差し伸べてくれた友の姿。


 おもむろに目を開きスピカに視線を向け、ゆっくりとした口調で言った。


「友というのは特に何をしてくれるワケでなくても、ふらりと現れて傍にいてくれるだけで心強い存在ですヨ」

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